第16話 魔王様との晩餐会 肉料理編
「あの~……、ひとつ訊いていいですか?」
「何でしょう? 魔王様」
珍しい事に、ユリアから拓真に質問が来た。
此処はひとつ、彼女の好感度を稼がねばならない、と気合を入れる拓真。
何のために? と訊かれると、少々、困ってしまうが、おずおずと困惑と疑問の混ざったような彼女の声に、彼は努めて明るくハキハキと回答する事にした。
もう手遅れのような気もするが……。
そんな残酷な現実からは、この際、きっぱりと目を逸らしておく事にした拓真であった。
「……ジャスティンさんは、何でぐるぐる巻きにされているんでしょうか?」
「盗人に対する処罰です」
きっぱりと断言する拓真。
だが、その答えにユリアはますます困ったような表情を浮かべていた。
おかしい。
何か間違えただろうか?
彼女の表情に気が晴れた様子が見られないので、この回答はあまり良くなかったという事になる。
どうやら好感度稼ぎは失敗したようだった。
彼は再び気合を入れ直し、次の質問に臨む。
(くそっ! 選択肢が出ないのは辛いな……)
既に、ギャルゲーか何かと勘違いしている拓真だった。
……馬鹿以下である。
「……まぁ、それは理解しました。本当は理解したくはなかったのですが……。
では、そのぐるぐる巻きのジャスティンさんが、何で逆さに吊るされているんですか?」
ユリアの目線が、当惑したようにチラチラと拓真の背後に向けて揺れていた。
何か気になる物でもあるのだろうか?
拓真は、ふと目の前に置かれた皿に視線を落とす。
其処には、食べ損ねた魚料理の次に出てきた、メインの肉料理であるローストされたスペアリブがドンッと置かれていた。
骨に沿ってナイフを入れながら、一本ずつ肉の塊から切り離し、今度はそのまま手掴みで口に運んでいく。
ジュワッと溢れる肉汁と甘辛のソースが、彼の口の中で極上のハーモニーを奏でていた。
美味しい。
骨付き肉の旨味が、たっぷりと味わえる逸品であった。
切り離す時に、一度に全部を切ってしまわず、食べる直前に一本ずつ切り離す事が美味しく食べるコツだ。
それはスペアリブだけではなく、ハンバーグやステーキにも共通して言える真理だった。
肉が冷めちゃうからね!
はっきり言って、このローストスペアリブは……とても美味かった。
天にも昇る気持ちとは、まさにこの事を指すのだろう。
焼き加減も素晴らしかったが、特にこの甘辛ソースが絶品だった。
シェーラさんはとても料理が上手な人のようだ。
拓真のシェーラさんに対する好感度が上がった!
残念ながら、彼女の拓真に対する好感度は、ゼロ以下のままのようだが……。
一本食べる毎に満足そうにうんうんと頷きながら、幸せそうにメインディッシュを食べ続けた拓真。
向かい側でも同じ物を食べているはずの魔王様だが、何故か気もそぞろな様子で彼の背後を何度も何度も気にしている。
このスペアリブソースの絶妙さ加減以外に、何か大切な事でもあったのだろうかと不思議に思った拓真。
やむなく彼は、魔王様がさっきからしきりに気にしている彼の背後へとくるりと振り返り、其処にある醜い簀巻きになった物体を見上げてみる。
其処には……ダイニングの天井から逆さ吊りにされているジャスティンの姿があった。
「二度とこのような事をせぬよう、只今、猛省させております」
「は? はぁ~……?」
チラリとその醜い物体を一瞥し、絶品スペアリブソースを手近なナプキンで拭いながら、拓真はさも当然のように答えていく。
だが、彼のはっきりとした言葉にも、どうやら彼女は今ひとつ納得できていないようだった。
此処は誠意をもって、彼女を説き伏せねばならない。
拓真は一度、場を改めるようにコホンと軽く咳払いをすると、彼女の目を真っ直ぐに見ながら説得を始めた。
「よろしいですか、ユリア様。他人の取り分を奪うような人間の事を、盗賊と呼ぶのです」
「えぇ、それはわかりますけど……」
「盗賊とは、即ち犯罪者です。罪人です。死刑囚です」
「死刑囚は……違うと思いますけど……」
拓真の飛躍した論理展開の誤りを、きっちりと指摘してくるユリア。
絶世の美少女にして頭脳明晰とは、天は二物を与えたのだろうか?
感動する拓真。
もっとも、彼女は何かヤバいものでも見ているかのような視線で、彼の方を見ていたが……。
「盗賊や山賊などは、見つけ次第殺しても誰も文句は言いません」
「そ、そうですか……」
「ですが、此処で刃物を振り回してユリア様にご迷惑をおかけするのは、さすがに私の本意ではないのです」
「……お気遣いありがとうございます」
「床が汚れますので」
「え? そっち!?」
ビックリしたような声を上げる魔王様。
どうやら拓真の回答が、余程、想定外だったらしい。
何か自分はおかしなことでも言ったのだろうか、と首を傾げる拓真だが、当然ながら心当たりなどこれっぽっちもない。
そんな彼の様子を見ていたユリアが、ますますドン引きしていた。
完全に悪循環である……。
「で、でも、逆さに吊るすのはちょっとやり過ぎのような……」
「そうですか? ですが、そのまま吊るすと縛り首になってしまうので……」
「し、縛り首ですか……」
何故か話が、逆さ吊りと縛り首の二択になっていた。
死刑執行が前提になっている時点で、既に何かがおかしくなっているという真っ当な指摘は、此処では適用されないらしい。
「人は首を絞めたら、割とすぐに死んじゃいますからね。
反省を促すためにも、逆さに吊るしたんです」
それらしく言っておく拓真だが、勿論、これは事実ではない。
単に勢いとその場のノリで逆さ吊りになった、というのが事の真相であった。
そもそも縛り首と逆さ吊りの違いは、ひとおもいに殺すか、それともじわじわと苦痛を与えながら嬲り殺すかの差であって、どちらかと言うと逆さ吊りの方が刑罰としてはかなり重いはずである。
どちらも死刑前提の話であったが……。
「反省……できるでしょうか……?」
ユリアがポツリと呟いた言葉の意味は、どういう意味だろうか?
彼女の言葉の意味を、腕を組んで真剣に考え込んだ拓真。
ジャスティンのオツムはサル以下だから、反省なんて高度な作業ができるわけがないという事だろうか?
それとも、このままだと反省する前に気絶してしまう、という事だろうか?
確かに気絶してしまえば、反省どころの騒ぎではない。
そのままあの世に行ってしまう公算が大であった。
拓真としては、それはそれで別に構わないのだが……一応、彼女の前では言葉を取り繕っておいた方が良さそうだ。
そう結論付けた拓真は、ユリアに真っ直ぐ向き直ると、いかにも真面目に考えました、と言う風を装いながら彼女に向かってとりあえずの意見を述べた。
「してもらわないと困ります。
己の罪を悔いた後、晴れ晴れとした気持ちで地獄に落ちてもらわないと!」
「死んでます! それだとジャスティンさん、死んでます!」
「おや?」
『おや?』じゃない。
当たり障りのない意見を述べるつもりが、つい本音が出てしまったようだ。
「おっと、つい本音……ゲフンゲフン、もとい、おかしな事を口走ってしまいました。
どうか忘れてください、ユリア様」
「……何か物凄く物騒な言葉が聞こえたような気がするんですが、まぁ、良いでしょう」
決して良くはないと思うが……。
というか、ジャスティンが地獄に落ちるのは確定なのか? というツッコミすら既に忘れているユリアであった。
「確かにジャスティンは頭脳に問題を抱えており、サルでもできるはずの反省ができない男ではありますが、其処は信じてあげないと!」
「全然、信じているようには聞こえないセリフなんですが……」
拓真の方を白い目で見ながら、そんな言葉を宣うユリア。
彼女の言っている事は正鵠を得ていた。
何しろ、拓真も口ではそう言っているものの、内心では全く信じていないのだから。
勿論、その場にいた他の三人(ジャスティン除く)も、全く信じていないのは周知の事実であった。
段々とユリアの言葉から、力強さのようなモノが失われつつある。
どうやら彼女は、かなりお疲れのようだった。
……何が(というか、誰が)原因なのかは敢えて言うまでもないだろうが。
そろそろ話を締め括るべきであろう、と判断した拓真は、熱弁を振るって彼女を説き伏せにかかった。
「因みに、捕らえた海賊全て縛り首にする、というのは、全世界共通の掟です」
「……ジャスティンさんは、いつから海賊になったんですか?」
「なる一歩手前だから、逆さ吊りで済ましているんですよ」
「はぁ?」
意味がわからない。
彼女の顔に、はっきりとそう書いてあった。
当然である。
言っている本人も、全く意味がわかっていなかったのだから。
「サルから海賊にレベルアップです」
「……」
軽くサムズアップなどをしてみる拓真。
だが、ユリアの方はそんな彼の仕草の事など全く意に介さず、何か深刻な悩みでもあるのか頭を抱えてしまった。
どうやら納得してくれた……というより、もうすべてを諦めたと言った方が正しいか……彼女からの視線が、チクチクと刺さるようで気になって仕方ない拓真。
どうやら説得は、大失敗のようであった。
おかしい。
好感度を稼ぐつもりが、何故か全く正反対の結果になっていた。
拓真は何が悪かったのかと考えながら、とりあえず目の前でぶらぶらと揺れているジャスティンをぼんやりと眺めてみる。
この男、悪足掻きを尽くして他の三人からスペアリブを強奪しようと企んだため、二度と手出しができないようにロープで縛り上げられた挙句、天井から吊るされる羽目になった。
最低な男である……。
逆さ吊りになってしまったのは……まぁ、成り行きというヤツであった。
特に理由があったわけではないし、決して悪意があったわけでもない……と思う。
拓真以外は。
何故か一番乗り気で、実際に作業にも一番熱心だったのが、部外者であるはずのシェーラさんだったような気がするが、その件に関しては見なかった事にするのが一番、良さそうだ。
ユリア以外の三人も、嬉々としてやっていたような記憶があったし……。
まだ意識があるのか、何やらうんうんと不気味な唸り声を上げているジャスティンだが、ユリア以外は全く気にする素振りも見せていない。
薄情な連中であった……。
その様子を見て、ユリアは正面からの説得を諦め、情に訴える作戦に切り替える。
問題は、彼等に人間としての情があるかどうかだが……その点については、残念ながら甚だ自信が持てない彼女であった。
「で、でも、あのまま逆さ吊りにされ続けるは、ちょっと可哀想です……」
「其処は魔王様、時には心を鬼にせねばならぬ時があるもの。いまがその時とお考え下さい」
何故か頑なに、ユリアの嘆願を拒み続ける拓真。
どうやら説得は、不首尾に終わったようだった。
しかし、今になって急に彼女の願いを拒むのはどういう事だろうか?
好感度稼ぎは、一体、何処へ行ってしまったのだろうか?
「……個人的な恨みとかではないですよね?」
「……勿論、おっしゃるとおりです」
少しジト目になって、こちらを見てくるユリアの目をまともに見る事ができず、ついつい目を逸らしてしまう拓真。
こいつもジャスティンと同様、嘘を吐くのが苦手な男であった。
あれこれと屁理屈を重ねてはいるが、要は単なる個人的な意趣返しである。
美味しい食べ物を盗まれた恨みは、彼の中でかなり深いようだが……それに気づかないユリアではなかった。
彼の心理状態を何となく察したユリアは、今度は切り口を変えて彼への説得を試みる。
「……そうですか。
でも、このまま放置しておくと、ジャスティンさんに床を汚されそうです。
それは困るので、何とかしてもらえませんか?」
「その点についてはご安心を。
万が一にも逆流しないように、このように奴には二重三重に猿轡を嵌めてありますので」
「……窒息したりしませんか?」
「……おそらく大丈夫でしょう。したらしたで別に良いですし」
「それはちょっと……」
まるっきり他人事のように答えた拓真。
むしろ、聞き方によってはそれ以上に聞こえるかもしれない。
この薄情さ加減こそが、この勇者パーティ最大の特徴なのだが、どうやら彼女には永遠に理解できそうもないようだった。
まぁ、理解されたらされたで、それも大問題のような気がするが……。
「失神した挙句、失禁とか困りますよ? 食事中なんですから」
「……」
ユリアに策の盲点を突かれ、反論できずに沈黙した拓真。
確かに失禁はマズい。
特に床掃除が大変そうであった。
それをやるのが他人なら、全く気にもしないところだが、おそらくその役割は、拓真に割り振られることになるだろう。
当然だ……主犯なのだから。
其処に、いつの間にか現れたユリアの愛犬(確か、フェンリルとかいう御大層な名前だった記憶がある)が、ふんふんと鼻を鳴らしながらジャスティンの顔の辺りを嗅ぎ回っていた。
そして、ペロリと彼の顔をひと舐めする。
「はっはっは、フェンリルさんよ、そんな物を舐めたらお腹を壊しちゃうぞ?」
名前を呼ばれて、一度だけチラリと拓真の方に顔を向けたフェンリル。
だが、彼はすぐに興味を無くしたのか、拓真の忠告(?)など聞こえていなかったかのように再び元の作業に戻っていく。
もう一度、ペロリとひと舐め。
ワンコに顔を舐められるたびに、『ムギュウ!』とか『ムゴゴ~!』などと言う奇妙な雑音が、揺れている物体の方から聞こえるが、これは比較的どうでも良い事だろう。
精々、くすぐったい程度で、命に別条があるわけじゃなかったし。
暫くすると、ワンコは匂いを嗅ぐ事にも飽きたのか、その場でくるくると回り始める。
その様子に気づいたユリアが、顔を青褪めさせながら立ち上がろうとしていた。
やがてワンコは立ち止まり、片方の後ろ脚を高々と持ち上げて……。
「「「「「あ……」」」」」
「ムグゥウ~!」
(フェンリル、GJ!)
正義を執行した功労者に、拓真はスペアリブの骨を投げてやった。
それをジャンプしながら空中で華麗にキャッチするフェンリル。
骨を咥えて満足そうな彼の尻尾が、嬉しそうにブンブンと揺れていた。