第11話 クライマックスはグタグタに
やっとメインヒロインの登場です。
長かった……。
「わんわんわんわんわんわんわんわん! わんわんわんわんわんわんわんわん!」
魔王城の謁見の間を、一匹のワンコが走り元気に回っている。
魔王と勇者の緊張感あふれる睨み合いの中、物語の中ではまさにクライマックス突入寸前の一番大事なシーンで、そんな事お構いなしにワンコは自由に走り回っていた。
一体……何事?
犬の体長は60センチくらい、牧羊犬の一種なのか全身の体毛はやや長め、そのせいか手足が少し短めに見えた。
一言で言うと……毛の塊に手足が生えたような、なかなか愛嬌のあるモフモフのワンコである。
「わんわんわんわんわんわんわんわん! わんわんわんわんわんわんわんわん!」
そのモフモフ毛玉は、最初に魔王と勇者たちの間に割り込むと、背後のご主人様(魔王)を守るかのように左右に激しくステップを踏みながら、拓真たちを威嚇するように吠えかかってきた。
暫くして、たくさん大声を出して満足したのか、今度はご主人様のまわりをぐるぐると周回しながら走り始める。
……どうやら元気とスタミナが、有り余っているようだった。
事態の急展開に、ついていけずに混乱する拓真たち。
まさか、無邪気に吠えて走り回っているだけの可愛いモフモフに切りつける事など、少なくとも拓真とジャスティンには出来そうになかった。
「あ! こら! 待って!」
唖然としたままワンコの大爆走を眺めている拓真たちの耳に、今度は年若い少女の悲鳴が届く。
何事かと振り返った彼等の目の前で、蒼いドレスを着た黒髪の美少女が、黒い影の後ろから飛び出してきた。
「こら! 待ちなさい! フェンリル!」
((((どちら様ですかぁ~!!))))
追加で現れた場違いなニューフェイスの登場に、ますます混乱に拍車がかかる勇者たち。
彼等がオロオロとしている間にも、美少女と飼い犬の追いかけっこは続いていた。
だが、そもそも人間と犬の間には、絶対的な速度や敏捷性といった基本的な運動能力の差があり過ぎる。
当然、追いつけなかった。
追いつけるわけがない。
暴走毛玉は、興奮したまま何度も何度も謁見の間をぐるぐると周回しながら、呆然としたままの拓真たちの足元を何度も何度もすり抜けて行った。
「ちょっと! 待ちなさいったら!」
待てと言われて待つ馬鹿はいないと言うが……でも、犬の躾に『待て』というものがあったっけ……楽しそうな毛玉は、時々、主人の方を振り返りながら、追いかけっこを楽しんでいるかのように少女の腕をすり抜けて行く。
……躾の悪いワンコであった。
それでもめげずに、必死に愛犬を追いかける少女。
だが、ついに諦めたのか、彼女は拓真たちの前で立ち止まると、本当に申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「あの~、あの子を捕まえる手伝いをしていただけませんか?」
「あ? あぁ……い、いいよ」
何が何やらわからない拓真の口から、絞り出すような情けない返事が漏れる。
もっとも、彼女を手伝う事に異論があるわけではなかった。
艶のある黒髪は全力疾走のせいで乱れに乱れ、呼吸も可哀想なくらいに荒くなっているし、よく見ると、両足の靴が何処かで脱げてしまったのか、いつの間にか裸足になっている。
拓真にしてみれば、そんな辛そうな美少女の頼みを断るなど、勇者どころか人間失格と言われても弁護のしようがない暴挙であった。
少なくとも、そんな奴は勇者である自分が許さない。
たとえ下心満載であっても、それが彼にとっての正義でなのであった。
「おい! 何時までもボケっとしてんじゃねぇ! あのワンコを捕まえろ!」
「「「お? おぅ!」」」
調子に乗った拓真の態度の急変に、戸惑ったような声で反応する他の三人。
だが、それでも自分のやるべき事(?)を思い出したのか、一斉に脱走した彼女の愛犬を捕まえるべく走り出した。
ワンコは遊び相手が増えた事を喜んでいるのか、尻尾がブンブンと振れている。
五人がかりの『躾の悪いフリーダムワンコ捕獲大作戦』は、拓真が例の干し肉の存在を思い出すまで続いた。
君たち、何しに来たんだっけ……?
「ありがとうございます。本当に何と言ってお礼を申し上げたらいいか……」
「まぁまぁ、そんな事は気にしなくていいよ。困った時は御互い様さ」
ペコペコと何度も頭を下げながら、しきりに感謝の意を示している美少女に、胡散臭いくらいの爽やかな笑みを浮かべて答えた拓真。
彼はもう少し、現在の自分の格好を自覚した方が良いと思う。
因みに、ついさっきまで謁見の間を大爆走していたモフモフワンコは、彼女の胸に抱かれてハフハフ言いながら、嬉しそうに尻尾をバタバタと振っていた。
どうやらご主人様に遊んでもらえて、大満足のようである。
「ハハハハ! 元気なワンちゃんですねぇ~」
彼女を安心させようと、拓真は相変わらず胡散臭い笑顔のまま、毛玉の頭を撫でようと手を伸ばすが……、
ガブッ。
見事に躊躇なく噛みつかれてしまった
ワンコ、GJ!
しかも、そのまま噛んだ彼の手を強引に引き千切ろうとでもしているのか、ワンコは首を左右にブンブンと振ろうとしていた。
この男から発せられる邪気のようなモノを、野生の本能で感じ取ったのだろうか?
少女は愛犬の突然の蛮行に、驚いて言葉を忘れたように立ち尽くしていた。
「……」
拓真としては、手には厚手の皮手袋をしていたためか、特に痛みは感じない。
だが、下手に振り払って彼女の愛犬を傷つけるわけにもいかないので、そのまま相手のなすが儘にせざるを得なくなってしまった。
結果、拓真の右手は、ワンコの口の中でいつまでも左右に揺れる事になってしまう。
「は! す、すみません! 大丈夫ですか!? こら! フェンリル! 離しなさい!」
「く~ん……」
漸く再起動したらしい少女が、パシパシと愛犬の頭を叩きながら拓真に謝罪をし、拓真の右手を彼の口から引き剥がした。
ワンコは甘えたような声を出しながら、主人に向かって『何をするんだ!?』と言わんばかりに不満を表している。
どうやら全く反省していないようだった。
まぁ、そんな事はどうでも良いだろう。
むしろ彼女が、この事で自分たちに心理的な負い目を感じてくれたら儲けものであった。
何しろ、赤の他人に愛犬が噛みついたりしたら、下手をすれば損害賠償+保健所送りである。
この世界には裁判所も保健所もないけど。
「いやいや、元気があって良いんじゃないか?
全然、痛くなかったし、甘えてじゃれてるだけだろう?」
「そうですか? でも……本当にすみません」
「うぅ~……」
少なくとも甘えているわけでないのは、拓真を鋭い目つきで睨みながら唸っている時点で良くわかる。
そんな愛犬の様子を困ったような目で見ている彼女を、拓真は改めてじっくりと観察してみるが……ひと言で言えば、とんでもない美少女であった。
拓真にとっては懐かしく感じられる黒髪黒目で、顔つきはやや幼い印象が残っているが、それでも十人が見れば十二人がぼ美少女と答えるくらいの、極めて整った容貌の持ち主である。
全力疾走の直後とあってか、とても艶々しい黒髪が少し乱れているが、後頭部に留められた大きめのリボンが、頭を下げる度に黒髪と一緒に揺れながら彼女の愛らしさを引き立てていた。
その細い身に纏ったシンプルな蒼いドレスも、とても丁寧かつ上品な作りで、彼女の全身から醸し出される無垢で清楚な雰囲気にとてもよく似合っている。
実に将来が楽しみである……というのが、拓真の勝手な感想であった。
「あぁ、それとこれは拾っておいた靴ね。君のだろう?」
「きゃあ! ありがとうございます! すいません、お手数をお掛けして」
「なになに、このくらいはお安い御用さ」
そう言いながら拓真は、先程の追いかけっこの途中で拾っておいた彼女の靴を、彼女の足元に丁寧に並べて置く。
彼は再び恐縮する彼女に、不審人物と勘違いされないように極めて紳士的に対応した。
何より見た目がアレである。
彼の28年の人生の中で、此処まで慎重に行動したのは初めての事だった。
何しろ、日本にいた頃からも滅多にお目にかかった事のないくらいの超絶美少女が、今現在、目の前にいるのだ。
彼女の口から『キモい』と言われたり、指を指されて大笑いをされた日には、軽く死ねそうなほど絶望する自信があるので、普段の彼からは考えられないくらいに行動が慎重だった。
そんな拓真の様子を見ていたクラウスから、後日、『あれくらい普段から慎重に行動してくれれば、こちらの苦労も半分以下になりますのに』とお小言を頂いたのは、彼にとってとても不本意な出来事であったらしい。
半分以下って……普段のクラウスの苦労が偲ばれるエピソードであった。
「キャッ!」
「おっと、危ない」
「あ……」
「あ! ご、ごめん!」
愛犬を抱えたままひとりで靴を履こうと試みた彼女が、バランスを崩して転びそうになる。
咄嗟に彼女を支えた拓真。
だが、ふと冷静になってみると……これは時と場合によっては、セクハラになってしまう可能性が十分にある事に思い至り、青ざめる拓真。
どう見ても、彼女は十代前半の多感な年頃であった。
嫌な想像が彼の脳裏を駆け巡り、背中に冷たいものが走る。
(マズい! 『気安く触らないでください!』とか、『おじさんキモい!』とか言われたらどうしよう……)
「あ、ありがとうございます……」
「いえ、ど、どういたしまして……」
予想外に、彼女の反応は大人しいものだった。
罵声が来るかと身構えていた拓真も、拍子抜けしたようにくぐもった声で答えている。
美しい顔を伏せて下を向いたまま、ぼそぼそと蚊の鳴くような小さな声だが、彼女はしっかりと拓真に素直なお礼を言ってくれた。
もう一度、拓真は彼女の足元に、彼女の靴を揃えて置く。
勿論、愛犬を手放せば簡単に靴を履き直せるのであろうが……さすがにあの追いかけっこをもう一度やるのはあまりにも不毛なため、彼女にその選択肢はないらしい。
暫しの逡巡の後、本当に困ったような顔をする少女。
彼女の好感度稼ぎに余念がない拓真は、それに気づいた瞬間、咄嗟に閃いた事を実行に移した。
「あぁ、ワンコを抱えていたままじゃ靴は履きにくいだろ?
かと言って、その子を他の誰かに預けるわけにもいかないだろうし……。
だったら、しゃがんだ俺の背中なり肩なりで体を支えて履いた方が良いんじじゃないか?」
「え! そんな……ご迷惑をおかけするわけには……」
「気にしない気にしない。
まぁ、ついさっきまで外にいたから、手が汚れちゃうのは勘弁してくれ」
「そんな……わかりました。では、お言葉に甘えて」
そう言いながら彼女のすぐ横にしゃがみ込み、自分の体を支えにするように促す拓真。
彼の体に手を触れる事を躊躇うかと心配した拓真だったが……彼女は特に気にする事もなく、片手で愛犬を抱えたまま彼の肩を借りて靴を履き直した。
ワンコは主人に近づく不審者を警戒している。
見事な忠犬ぶりであった。
「うぅ~……」
(おいクソ犬! いい加減唸るのやめろや!)
拓真とフェンリルと呼ばれた彼女の愛犬の、種族の壁を越えた罵り合いが展開される。
彼としては認めるわけにはいかないだろうが、この場合、どう考えてもフェンリルの方が正しかった。
だが、忠実な(?)愛犬の警告も空しく、靴を履き直して漸く人心地ついたらしい彼女は、改めて勇者パーティ全員に向かって頭を下げる。
どうやら彼女には、警戒心と呼ばれるものが不足しているようだった。
「ありがとうございます。本当に助かりました。
それと、本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「あぁ、気にしないでくれ。さっきも言ったけれど、困った時は御互い様だ」
「そうですね。お役に立てたようで光栄です」
「大丈夫、大丈夫。このくらいならいつでも言ってくれ。お兄さん頑張っちゃうよ~」
三者三様の答え方ながらも、友好的な微笑と一緒に彼女に応える拓真たち。
アランだけは無言のままだが、彼にしては珍しく微笑を浮かべていた。
因みに、彼女の胸に抱き抱えられているワンコは、そろそろ呼吸でも苦しくなってきたのか、ご主人様の腕から逃れようと、もぞもぞと動き出している。
人間の男からしてみれば天国に等しいそのポジションも、犬畜生はそんな事は感じないらしい。
……当たり前である。
羨ましいとは思いつつも、さすがに口には出せずに睨みつけるだけで済ませた拓真。
やはりこの犬は、彼にとっての不倶戴天の敵のようである。
その時、クラウスがふと思い出したように、目の前の少女に問いかけた。
「ところでお嬢さん。ひとつよろしいでしょうか?」
「あ、はい。何でしょう?」
「実は我々は魔王様に会いに来たのですが、お嬢さんは魔王様のご血縁の方ですか?」
「え? あ! す、すいません! 急用を思い出しました!
本当に申し訳ありません! 失礼します!」
「「「「?」」」」
クラウスの特に何でもない質問に、何故か急に取り乱したように慌て始める少女。
彼女は再び頭をペコリと下げると、玉座の奥の舞台袖のような場所まで大急ぎで走って行った。
其処で抱えていた愛犬をその場に降ろし、二言三言、何かお説教のような言葉をかけていたが、たぶんあのワンコは分かっていないだろう。
そして、彼女はそのまま彼のお尻を奥の方に押し出しながらこの部屋から追い出すと、今度はくるりと振り返り、先程から微動だにしない巨大な黒い影の背後に回り込んだ。
「「「「?」」」」
彼女の謎の行動に、揃って首を傾げている勇者たち。
すると再び黒い影から……、
「えっと……何処まで読んだかしら……?」
何かを呟くような重低音が、彼等の耳に届いた。
「おい、まさか……」
「そういう事ですか……」
「……頭痛くなってきた……」
「なぁ、あのお嬢ちゃん……何やってんの?」
「ならば、そなたたちを予の前に立つ資格の……」
「「「「もういいです……」」」」
一体、クライマックスは何処へ行ってしまったのだろうか?
こうして彼等、勇者パーティの魔王討伐の旅は終わりを告げた……。
ようやく女性キャラが登場しました(ネコを除く)。