第108話 合流してみたものの……
「キャア~! おうまさん! おうまさん!」
「さぁ、ユリア様もどうぞお乗りください!
このアーサーが、森の外までお二人をご案内申し上げましょう!」
「いえ、その……」
何故だろう?
幼女と近衛騎士のテンションが妙に高かった。
「おうまさん、たか~い! すご~い! かっこいい~!」
「はっはっは! そうだろう! カメリアちゃん、凄いだろう!」
「おじちゃんもすごいね~!」
「はっはっは! ありがとう、カメリアちゃん! でも、其処から手を離しちゃダメだぞ?」
「なんれ~?」
「何故なら……そんなところで暴れたりしたら、落っこちて怪我をしちゃうからだ!
カメリアちゃんの気分はわからないでもないが、もう少し大人しくしていた方がいい、とお兄さんは思うぞ!」
「らいじょうぶらよ~! らって、カメリアはいいこらから!」
「そうだ! カメリアちゃんはとってもいい子だ!
何故なら、僕の馬の良さがわかるからだ!」
「えへへへへへ……」
「……」
初めての乗馬体験で興奮しているカメリアはまだわからないでもないが……手綱を引いたまま地面に立っているアーサーが何故こんなに興奮気味なのか、ユリアにはさっぱり理解できない。
……ひょっとすると、何処か頭の打ちどころでも悪かったのだろうか?
「さぁ、ユリア様もどうぞ!」
「いえ、カメリアちゃんはともかく、私は……」
「ご安心を! こう見えても、私は方向感覚がしっかりしている方です!
何処ぞの勇者とは違って、森の中で迷いに迷いまくり、一週間もふらふらと彷徨った挙句に餓死寸前になるような真似は致しません!」
おい!
それ、誰に聞いた?
「シェーラさんからですが?」
……あ、そうですか。
「? 誰に向かって話しているんですか? アーサー様……」
やはり頭の打ちどころが悪かったのだろう。
虚空に向けてペラペラと話し始めるアーサーに、ユリアの憐れむような視線が注がれていた。
「帰り道もしっかりと覚えておりますし、せっかく此処までご足労頂いたユリア様の御手を煩わせるような真似は、決してしないとこの場でお誓い申し上げましょう!」
「いえ、そういう意味では……」
「さすがにこのような深い森の奥を麗しきご婦人に歩かせるのは、王国近衛騎士たる私の矜持が許しません!
さぁ、どうぞご遠慮する事なく我が馬にお乗りください、ユリア様!
せめてもの恩返しです!」
駄目だ。
遠慮気味に告げられたユリアのセリフを、珍しくアーサーが遮っていた。
おそらく御令嬢を馬に乗せて手綱を引いて歩く、まるで騎士道物語の登場人物のような自分自身の姿を想像して、勝手に酔っているのであろう。
ユリアが彼の申し出に乗り気でないのは、そういう理由じゃなかったんだが……。
「ですが……」
「もし御入用でしたら、我が背を足場にして頂いても構いません! さぁ、どうぞ!」
そう言い放つや否や、その場で四つん這いになるアーサー。
……ひょっとして、彼はそういう趣味であったのだろうか……?
これから訪れるであろう至福な時間を夢見て、アーサーの瞳キラキラと輝いている。
その“至福”とやらが一体何なのか、ユリアにはさっぱりわからなかったし、わかりたくもなかったが……。
彼の貴族の一員とは思えないようなとんでもない申し出に、ユリアの端正な珍しく顔が引き攣っている。
さすがにユリアを相手に不埒なことを考えているわけではなさそうであったが……もしそうだとしたら、彼女は遠慮なくぶっ飛ばすつもりである……逆に此処までするか? と言うくらいの彼の善意に、彼女はどう言葉を尽くせばいいのかわからず途方に暮れていた。
「いや、それはさすがに……」
「きっとコイツも、ユリア様に乗って頂いて感激に打ち震えることでしょう!」
できれば私が、コイツの替わりにユリア様の馬になりたいくらいなんですから!」
「……」
……おいおい。
アーサーのセリフが、完全に変態じみたものになっていた。
どんどん暴走していく彼の熱弁に、もはや絶句するしかないユリア。
彼が何を言っているのかさっぱりわかっていないカメリアが、不思議そうな顔をしながら馬上で首を傾げていた。
「……はぁ、わかりました」
「おぉ、そうですか! では、どうぞ!」
何故か表情を輝かせるアーサーには申し訳ないが、さすがにこれ以上彼に夢を見続けてもらうわけにはいかない。
これ以上下手に言葉を重ねたところで、アーサーのショックが大きくなるだけであるし、むしろ傷が浅いうちに残酷な事実を突きつけた方が彼のためであった。
そう判断したユリアは、なるべく申し訳なさそうに、だが相手に誤解の余地を与えぬよう正確な言葉を用いて彼に事情を説明する。
……些か手遅れのような気がしないでもなかったが。
「アーサー様には申し訳ないのですが……」
「如何なさいましたか? 何か不安なことでも?」
「……瞬間移動の魔法を用いますので、先導は結構です。馬に乗る必要もありません」
ビシッ!
その場の空気が固まったような音とともに、アーサーの笑顔も固まっていた。
そして……そのままがっくりと項垂れるように、彼は膝から地面へと崩れ落ちていく。
どうやらこの男、ユリアがどうやって此処まで来たかを失念していたらしい。
「悪いことしたかしら……?」
「おじちゃん、またねちゃったの~? おじちゃん、ねぼすけさんらね!」
ユリアのひと言とともに、少し冷え込んできた空気が一陣の風となって落ち葉を舞い上げる。
カメリアは手綱を握り締めたまま動かなくなってしまったアーサーを指さしながら、何故か嬉しそうにユリアに語りかけてきた。
再びフリーズしてしまったアーサーを、どう穏便に再起動させようか?
ユリアは額を押さえながら、そんなことばかりを考えていた。
「うぉっ!」
「おぉっと!」
「あ! ユリアたまら!」
「ユリアたま、わ~い!」
ユリアたちが目の前に現れた瞬間、森の中に歓声とも驚愕ともとれる叫びが響く。
結局、当初の予定どおり、彼女は瞬間移動を用いてもうひとつのグループへと合流した。
「皆さん、よくぞ御無事で」
「お~い! お~い!」
「……」
ウィリアムたちの前方で、笑顔のまま手を振るユリアとカメリア。
それに対し、ウィリアムとロバートは一瞬だけ驚いた後、安心したように笑顔で彼等に手を振り返してきた。
勿論、ウィリアムの肩の上にはロゼが、ロバートの肩の上にはリリィが、それぞれ肩車をしてもらいながら両手を振っている。
何故かアーサーだけが見るからに落ち込んでいるが、その場にいる全員がその惨めな姿を敢えて視界に入れないようにしていた。
「……申し訳ありません、ユリア様。我々の事情に巻き込んでしまって……」
「いえ、お気になさらずに。こういう時には御互い様ですし」
「いや、どう考えても俺たちの方が、一方的にユリア様に借りを作っているような気が……」
「そんなことありませんよ。
私達も……その……チビちゃんたちの“森遊び”に付き合わせたようなものですし……」
「……“森遊び”ですか……」
「“森遊び”ねぇ……」
そう言いながら互いに顔を見合せた後、がっくりと項垂れたように下を向くウィリアムとロバート。
明らかに一瞬、言葉を濁したユリアの気遣いが胸に突き刺さるようで……とんでもなく心苦しい気分になる二人であった。
更に、彼等にしてみれば命懸けの探索行であったのに、それを“森遊び”と称されてしまって……。
またそれがチビたちにとっては変えようのない事実であったので、彼等のプライドは崩壊寸前であった。
「何か気に障るようなことを言ってしまいましたか? 申し訳ありません」
「……いえ、それこそお気になさらずに。単に自分たちの力のなさを痛感しただけですから」
「ロゼちゃんもリリィちゃんもカメリアちゃんも強かったからなぁ……」
「……我々としては彼女たちの護衛のつもりだったのですが、明らかに彼女たちが我々の護衛になっていましたからな」
「正直なところ、『俺たち何しに来たんだろう?』ってずっと自問自答しながら彼女たちの背中を追いかけていたよ……」
「そ、それは……」
特に気分を害したような様子は見られなかったが、気まずい空気に言葉を詰まらせるユリア。
騎士としての存在意義の危機に、半ばヤケクソ気味になっている二人にどう声をかければいいのか、全知全能とすら呼ばれる魔王様もわからず困っているようであった。
だからと言って圧倒的戦闘力を誇るチビ三人組に手加減をさせて、彼等を危険に晒すことはもっと間違っている。
……というか、そもそも彼女たちには“手加減”事態が不可能であった。
「……で、アーサーはどうしたんですか? 何だか随分と落ち込んでいるような気が……」
「おい、アーサー! 何ボケっとしてんだ!? 何かあったのか?」
「……」
返事がない。
ただの屍のようだ。
「……どうしたんだ、アーサーの奴……?」
「どう見てもおかしいぜ。あっちで何かあったのか?」
「……明らかに目の光が消えてるんだが」
「まぁ、ちゃんとこっちに向かって歩いてきてはいるし、生きてることは間違いなさそうだけど……」
「……本当か? ゾンビじゃないよな?」
「あぁ、その可能性があるのか……」
「大丈夫です! 生きてますから!」
突然降って湧いたような“ゾンビ疑惑”を、慌てて否定するユリア。
だが、何も映さない濁ったガラス玉のような瞳でひたすら虚空を見上げているアーサーの姿は、まさに紛れもないゾンビそのものの姿であった。
「……まぁ、ユリア様がいたんだ。滅多なことは起こらないだろう」
「確かにな。カメリアちゃんも相変わらずケロッとしているし、大丈夫だろ」
「……ひょっとすると、ユリア様が傀儡の術を使っているのかも知れんが」
「何ソレ、怖い」
「使ってません! ちょっとショックなことがあって放心しているだけです!」
いきなり濡れ衣を着せられて、それを全力で否定するユリア。
確かに出来るか出来ないかで言えば出来るのだが……さすがにそれを告白しては、更に話を複雑にするだけであった。
少なくとも彼女は、アーサーにそんな魔法を使った覚えはないし、その必要性もない。
……ちょっとお願いすれば、何でも簡単に言うことを聞いてくれそうだったので。
「……ショックなことですか……」
「ショックなことねぇ……何だろう?」
「……例えば……まわりに誰もいないことをいいことに、ユリア様に告白して撃沈したとか」
「うわっ! 何て身の程知らずな……」
「……更に、フラれた腹いせに……トチ狂ってユリア様を押し倒そうとしたとか」
「そして渾身の平手打ちを喰らって気絶した挙句、倒れた拍子に頭を打って記憶が吹っ飛ぶ所までがワンセットだな」
「違います! 変な事実を捏造しないでください!
というか、何ですか、そのワンセットは!?」
確かに嫌なワンセットである。
話がとんでもない方向へと向かいそうになっていたので、ユリアは真っ赤になりながら慌ててそれを否定した
「……ならば……ひょっとして、告白の相手はカメリアちゃんだった!?」
「うぉっ! さすがにそれは想定外だ!」
「はぁ!?」
「……或いは……カメリアちゃんに悪戯しようとしたところをユリア様に見つかった、とか」
「うわっ! それ最悪!」
「してません! ちょっとアーサーさん! 何か言ってください!」
「……そこで徹底的な制裁を受け、記憶がぶっ飛ぶ羽目になったに違いない」
「きっと股間に強烈な一撃を喰らって再起不能になったんだろ。だったら無理もない」
「何が無理もないんですか!? そんなことしてませんから!
アーサーさん! そろそろいい加減目を覚ましてください!
何だか、あなたの名誉がどんどん貶められていますよ!?」
アーサーの胸倉を掴んで、ガクガクと乱暴に揺さぶりながら必死に呼びかけるユリアであったが、それでも彼の目は虚ろなままである。
……というか、ウィリアムが悪ノリし過ぎであった。
「……まぁ、冗談はそのくらいにして……」
さすがにそろそろ事態の収拾を図った方がいいと思ったのか、露骨に話題を変えるウィリアム。
「冗談だったのか? それにしては随分と論理的だったし、妙な迫真性が……」
「そんなもの何処にもありません! で、何でしょうか? ウィリアムさん」
それに対し、ロバートはまだまだ何か言い足りないようであったが……さすがに鬼気迫る様子のユリアにセリフを遮られてしまった。
もっとも、彼もそのことを不快には思っていないのか、ニヤニヤしながら彼女の端正な顔を眺めている。
どうやら彼に揶揄われただけだ、と漸く気づいたユリアであったが……彼女は不機嫌そうに頬を膨らませた後、それでも強引に話題を変えるべくウィリアムに話の続きを促した。
「……本当に何があったんですか?
どう見ても、余程ショッキングなことがあったとしか思えないんですが……。
「まぁ、言い辛いのはわかるけどさ。
さすがに友人が廃人一歩手前まで追い込まれているのを見せられると、心配するのは当然だろ?」
「え~と……」
急に真面目な顔つきに戻ったウィリアムとロバートの言葉に、虚空を見上げながら言い澱むユリア。
彼女としては、できれば己の魔法のことはあまり知られたくなかったのだが……それを誤魔化すのはもはや限界であった。
何より話の辻褄が合わなくなってしまうであろうし、幼いカメリアの口からあっさりと真実が暴露される可能性が大である。
結局……、
「……信じられないかもしれませんが……」
ユリアは覚悟を決めて、その時その場で起こったことを、包み隠さず正直に話すことにした。
が……、
「……それは今更というものでしょう」
「まぁ、そうだよな。ユリア様が絡んでいる以上、何が起こっても不思議じゃないし」
「……どういう意味ですか? それ……」
続けられた二人の言葉に、その決心が鈍ってしまう。
「……何しろ、シェーラさんやそのお嬢さんがたが、あれだけのことをやってくれたのです。
その主君であるユリア様なら、一体どれほどのことをやってくれるのか、という期待が……」
「笑えるヤツ、お願いします」
「……お二人の目には、私はどう映っているんでしょうか?」
「「……」」」
「……止めてもらえますか? その目……」
彼等の生暖かい視線に耐えられなくなったのか、ユリアは少しいじけたようにプイッと二人から目を逸らしていた。
「私は、あんな風な脈絡のない行動をとったりはしませんよ?」
「……その点については、よく理解しているつもりですし、全く心配しておりません」
「そりゃそうだ。
もしユリア様がシェーラさんみたいな性格だったら……俺たちなんか、もうとっくにあの世に逝ってるだろうし」
「……それ、誉め言葉ですか?」
「……えぇ。
ついでに言わせて頂ければ、我々は貴女の問題解決能力についても全く疑問を持ってはおりません。
というか、貴女で不可能なら、それこそ神様でも不可能でしょうし」
「どっちかって言うと、とんでもない事態に陥ったアーサーたちをユリア様がどんな力業で解決したのか、に興味があるかな」
「力業……」
信用しているのかいないのか、さっぱりわからないロバートのセリフに、がっくりと肩を落とすユリア。
確かに力業と言われれば、これ以上ないほどの力業であったのは事実なので、彼女は彼のセリフに何の反論もできなかった。
「……という訳で、我々は何を聞かされても腰を抜かしたりはしないでしょうから。
その点についてはご安心を」
全く安心できそうにないセリフを、臆面もなく語るウィリアム。
「まぁ、それを目の前で見せてもらえるわけじゃないし、だったらどんな話でも大したことはないと思うよ?
少なくともシェーラさんのあの御乱行を見せられた後じゃ……」
口調こそユリアを慰めているように聞こえるロバートのセリフであったが、比較対象が酷過ぎた。
「……まぁ、さすがに今すぐ、とは申しません。気が向いたらでも結構ですので」
「え~……」
「……ロバート、少しは自重しろ」
「……」
さすがにユリアをこれ以上追い詰めるのはマズいと判断したのか、ウィリアムがまだ不満げなロバートを宥めている。
二人の肩の上では、話に加わってこなかったロゼとリリィが、やはり彼等と同じく興味津々の目で彼女を見つめていた。
特に怒りや不平不満などは感じていないが、何故か少し頭痛のようなものを感じてしまうユリア。
その背後では、相変わらず心此処にあらずといった感じのアーサーが、そろそろ沈み始めた夕日をボケっと眺めていた……。
次回の投稿は、12月25日の予定です。
そうか……もうクリスマスになるのか……。