第106話 幼女の辞書に手加減の文字はない Part2
結局、アーサーの愛馬はユリアの魔法によって見事に蘇生された。
ユリアが目の前の軍馬の遺体目掛けて、無言で手を翳している。
すると……『キュルルルルルル……』という何かが擦れるような音とともに、彼女の目の前の時間が巻き戻って行った。
ひと言で言えば、映像の巻き戻しのようなものであるが……生憎とフラジオンでは、そのような光景は一般的ではない。
魔法をかけている当の本人たるユリア以外の二人は、生まれて初めて見るその奇跡のような……奇跡そのものと言っても差し支えないが……光景に、まるで魂を奪われたかのように見入っていた。
「お~!」
「……」
もっとも、二人の反応は全くもって対照的である。
目を輝かせ、好奇心満々にその光景を見守っているカメリアに対し、アーサーは口をあんぐりと開けたまま放心していた。
人生経験の短さ故に先入観無く目の前の光景を楽しんでいる彼女と違い、彼の頭脳は、常識があるが故にそれを素直に受け入れる事を拒んでいる。
……無理もない話であった。
「すご~い!」
「……」
引き千切られ、狼たちに半分食われかけていたはずの後脚が、元どおりの形を取り戻して再び胴体にくっ付いていく。
引き裂かれ、内臓を貪り食われていたはずの腹部も、再生された内蔵とともに見事に元どおりになっていた。
牙が何本も突き立てられ、ダラダラと大量の血を流していたであろう首筋は、傷ひとつない元の皮膚を取り戻している。
もうすっかりと魂が抜け、もはや物言わぬ骸と化していたはずのアーサーの愛馬が、まるで何かに操られている……ユリア以外の誰でもないが……かのように目の前でカクカクと不自然な動きを見せていた。
「……アーサー様」
「ひ、ひゃい?」
「……此処で見た事は、他言無用でお願い致します」
「か、かしこまりましてござりまするぅ!」
ユリアに突然声をかけられて、相変わらず噛み噛みの返事を返すアーサー。
どうやらユリアは、彼にこの事をあまり公言して欲しくなさそうであったが……。
「……本当に大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫でず! この事は決して他のぶっ!」
あ、舌噛んだ。
どうやら彼は、それどころではなさそうである。
慌てて口元を押さえながら、その場にしゃがみ込んでしまったアーサー。
「あの……いえ、いいです」
「? おじちゃん、ろうしたの?」
「ん~……。ちょっと待ってあげて、カメリアちゃん」
「? は~い……」
全てを察したユリアは、呆れたような視線をチラリとアーサーの方へと投げかけると、そのまま困ったようにひとつ溜息を吐く。
彼女のすぐ隣では、何が起こったのか良くわかっていないカメリアが、不思議そうな表情でアーサーとユリアの顔を交互に見比べていた。
本気で痛そうにしているアーサーに、治癒を施そうかと一瞬、迷ったユリアであったが……これ以上話しかけて、更に事態を悪化させる事を恐れたのであろう。
彼女は一先ず彼の事を放置して、目の前の蘇生魔法に全ての神経を集中する事にしたようであった。
やがて……、
「……この辺で終わりにしましょうか」
ユリアが宣言とともに、突き出していた右手をゆっくりと下ろしていく。
彼女は反対側の手をパタパタと扇ぐように軽く振ると、緊張を解くように大きく息を吐き出した。
「おわり?」
「そう、終わりよ」
「でも、ユリアたま……おうまさん、うごかないよ?」
確かにカメリアの言うとおり、目の前の馬はピクリとも動かない。
彼は目の前の何もない空間を凝視したまま、彫像のようにピキンと固まったままであった
何を思ったのか、動かない馬にポテポテと近づいて行くカメリア。
随分と無警戒かつ軽率な行動であったが、ユリアはそれを止めようともしなかった。
「あぁ、それはね……お馬さんに時間停止をかけているの」
時間停止って……。
確かに“時間の巻き戻し”ができるのであれば“時間の停止”も可能なのであろうが……とんでもない高等技術であった。
ユリアはまるで朝飯前と言わんばかりの口調であるが、単にこれは彼女が箱入り娘で世間知らず過ぎるだけである。
世の中の常識って……大切だよね。
「じかんていし?」
「う~ん……。簡単に言えば……何て言えば良いんだろう……?」
「……ひょっとして、カメリア……へんなこときいた?」
「いや、変な事じゃないんだけど……何て言うかな……」
「……えっちなこと?」
「違います! 断じて違いますから!」
「……カメリアはちいさいから、きいちゃいけないこと?」
「それ意味が変わっていないから! 違うから!」
何処かで聞いた事があるようなやりとりを繰り返すカメリアとユリア。
ユリアは一体、誰がこんなセリフを彼女に吹き込んだのか問い質したい気持ちに駆られたが……心当たりがあり過ぎて、彼女は不気味に『後で御仕置ね……』と呟いていた。
「じゃあ、なに?」
「う~ん……。
カメリアちゃんにわかりやすく言うと、その場所から動けなくなるような特別な魔法を使ったの」
「特別な魔法? なんれ?」
「そのまま時間を動かし始めると、お馬さんが暴れたり逃げ出したりするから」
「そうなの?」
ユリアを質問攻めにするカメリア。
彼女はおそらく純粋な好奇心からユリアに尋ねているのであろうが……ユリアも彼女のソレを好ましく思っているのか、決してはぐらかしたり誤魔化したりするような受け答えをしなかった。
ユリアはカメリアの“なぜなに攻撃”を、怯む事なく真正面からしっかりと受け止める。
生真面目と言うよりも、むしろ親バカ……と言うか姉バカな魔王様であった。
「そうなの。
カメリアちゃんも、目の前にいきなり知らない人が現れたりしたら、ビックリして泣いちゃうでしょ?」
「カメリア、なきむしじゃないよ~!」
『泣く』と言う単語が癇に障ったのか、ムッとした顔でジタバタと両手を振り回しながら、ユリアに必死に抗議するカメリア。
もっとも、そんな彼女の必死な姿も魔王様にとっては愛でる対象であったようで……ユリアはカメリアの頭を慈しむように撫でながら、言い聞かせるようにあっさりと謝罪した。
「あら、そう。ごめんなさいね。
でも、泣かなくてもビックリするでしょ?」
「……するかもしれない」
何故かカメリアは、不本意そうにユリアの言葉に首肯する。
どうやらこの辺りが、彼女のプライドを守るギリギリの妥協点であったようだ。
「それと一緒。
お馬さんも、いきなり目の前に知らない人が現れたりしたら、ビックリしちゃうの」
「へぇ~」
「ビックリして、暴れ出しちゃったり逃げ出しちゃったりするの。だから時間を止めたの」
「ふ~ん……」
この場合、狼やら熊やらサーベルキャットやらを遙かに凌ぐ絶対強者たる二人を突然目の当たりにした馬が、何をするかわからないという要素も大きいのだろう。
動物的本能でそれを察知した馬が、いきなりその場で心臓マヒを起こして、天に召されるという可能性が否定できなかったので……。
納得したのか納得していないのか良くわからない表情で、ユリアを見上げるカメリア。
……ひょっとすると、理解できなかったのでとりあえず頷いただけかも知れなかったが。
さて、カメリアからの“なぜなに攻撃”も終わり、ほっと一息吐くユリア。
彼女は一仕事終えた爽快な気分で、優雅に背後へと振り返ってみるが……、
「……」
「あの……大丈夫ですか?」
「ん?」
問題はまだまだ山積みであった。
彼女たちの背後では、相変わらずアーサーがまるで時間停止を喰らった自身の愛馬と同様に、ピキンと固まったまま動かなくなっている。
彼は口元の痛みも忘れたかのように大きく口を開いたまま、目の前で復活した馬を見つめていた。
どうやらユリアが引き起こした神話級の奇跡の連続に、彼の脳ミソが理解を拒絶したのか、呼吸する事すら忘れて完全にフリーズしている。
……無理もない話であった。
「ユリアたま、おじちゃんにもじかんていし?」
「してない! してないから!」
「れも、おじちゃん、うごかないよ?」
「何でだろ……? 私にもわかんない……」
その原因が自分にあるとは露ほども思っていないユリアが、動かなくなったアーサーの目の前でヒラヒラと手を振ってみるが、勿論、彼は全く反応しない。
カメリアはアイテムボックスから黒のペン取り出して、彼の顔にそっと近づけてみるが……それに気づいたユリアに、ペンを取り上げられて膨れていた。
何しろそのペンの表面には、はっきりと『油性』の文字が記されている。
……大惨事一歩手前であった。
「……さて、どうしたものでしょうか……?
目の前で手を叩いてみましょうか?
さすがに大きな音がすれば我に返ると思いますが……。
でも、それで怪我をされたら困りますね……」
「お~い! お~い!」
早々に諦めて、両手を腰に当てつつ今後の方策を考え込むユリアに対し、カメリアは前にも増して両手を大きく振りながらアーサーに呼びかけている。
それこそ『手を叩く』どころではないほどの大音量で彼の耳を刺激してみるが……やっぱり彼は何の反応も示さなかった。
「……軽く揺さぶる程度にしておきますか。
それなら暴れたりしないでしょうし、大丈夫で……」
「おじちゃ~ん! カメリアだよ~! おきて~!」
アーサーの胸倉を両手で掴んで、『軽く揺さぶる』なんて目じゃないレベルの振動を彼に与えるカメリア。
彼の脳ミソが完全にシェイクされ、それこそ脳震盪や記憶障害を引き起こすんじゃないか、と心配になるほどの激しい揺さぶり方であったが……それでも彼はさっぱり目を覚まさなかった。
幼女の辞書に『手加減』の文字はない。
此処までやっても全く動き出さないアーサーにしびれを切らしたのか、カメリアの目がどんどんと本気の色に染まっていった。
「ちょっと待った! カメリアちゃん!
幾ら何でも、それはやり過ぎ……」
彼女の纏う不穏な空気を察したのか、ユリアが慌ててカメリアを牽制する。
だが……、
「ねぼすけさんはおきてくらさ~い! とぉ!」
「あっ!」
彼女はユリアの制止の声も聞かずに、ついに体当たりという実力行使に出た。
ドン!
という大きな音とともに、見事に吹き飛んでいくアーサーの体。
彼は見事な放物線を描きつつ……、
ガツン!
ドサッ!
大きな木の幹に全身をしこたま打ちつけた後、そのまま崩れ落ちるようにしてその根元へと落下した。
「……」
「……あれ?」
その光景を、唖然としながら見守るユリアとカメリア。
どう見ても良くて気絶、下手をすると全身打撲で即死しそうなほど勢いであった。
普通、二歳程の幼女に体当たりされて吹き飛ぶような成人男性はいない。
……勿論、狼や熊を素手で圧倒するような幼女も、普通は存在しなかったが……。
「……」
「おじちゃん、おもったよりもかるかった……?」
唖然としたまま立ち尽くすユリアの隣で、カメリアがポツリと言い訳じみた呟きを漏らしているが、まさか鎧兜を着込んだ成人男性が軽いわけがない。
どう考えても、彼女が力加減を間違えたというのが理由であろうが……彼女自身も、この結果は全く予想していなかったようだ。
何しろいつも周りにいるのが、絶対無敵の魔王様と自分たちよりも遙かに強い母親と自分と同レベルの姉妹たちだけであったので、カメリアが全力で暴れても彼女たちはビクともしないのである。
……思わず『修羅の国かっ!』と叫びたくなるほどの過酷な環境であった。
「……」
「てへっ、しっぱい、しっぱい」
笑って誤魔化そうと考えたカメリアであったが、被害者からすれば、とても笑って済ませられるようなダメージではない。
彼女はその場からそっと逃げ出そうとしたが……ユリアに頭をガシッと鷲掴みにされて、そのまま動けなくなってしまった。
仕方なくカメリアは、恐る恐るユリアの表情を窺ってみるが……彼女と目が合った瞬間、その小さな全身が凍り付いてしまう。
其処には憤怒のオーラを隠そうともしない魔王様が、無表情のまま彼女を見下ろしていた。
「カ~メ~リ~ア~ちゃ~ん!」
「ぴぃ!」
恐怖に固まったカメリアが何だか言葉にならない奇声を発しているが、もう全てが手遅れである。
地獄の底から響いて来るような魔王様の声に、彼女はもう失神寸前であった。
「ど~う~し~て~! そうやってすぐに勝手な事をするのよぉ!」
「ごめんなさ~い!!」
『御免で済めば警察は要らない』とも言うが、カメリアにそれを求めるのは酷だろう。
彼女は久しぶりに見る魔王様の本気モードの怒りに、地面に這いつくばって許しを請う事しかできなかった。
『普段怒らない人間ほど怒らせると怖い』
これは異世界フラジオンでも立派に通用する珠玉の格言であった。
次回の投稿は、12月11日の予定です。