第104話 ごめんなさい
一方、その頃……。
姉妹たちと別れたカメリアは、アーサーを引き連れて彼の馬を追跡していた。
彼女は馬の臭いを辿るためなのか、時々、立ち止まってはヒクヒクと鼻を動かしている。
さすがに姉妹と別れて心細いのか、カメリアはアーサーとつかず離れずの距離を保ちながら、周囲を警戒しつつ慎重に歩みを進めていた。
ひょっとすると、騎士としての実力が心もとない彼を守るために、この方法を採ったのかも知れなかったが……それは言わぬが花と言うヤツであろう。
どう考えても、そっちの方が正解っぽいので。
「あ! おおかみさんら!」
「え!?」
「とつげき~!」
「はい!?」
アーサーの半分ほどの身長しかないくせに、何故かカメリアが彼よりも早く狼の群れを発見する。
慌てて辺りを見回してみるアーサーであったが……其処には何の変哲もない、日常的な森の風景が広がっているだけであった。
まだ事態が飲み込めていない彼を置き去りにして、彼女は即座に突撃を開始する。
……慎重ってどういう意味だったっけ?
「え!? ちょっ、ちょっと待った! カメリアちゃん!?」
事態の急変についていけず、目を白黒させながらカメリアを呼び止めるアーサー。
彼はいきなり行動を開始した彼女を止めようと、彼女の小さな背中に手を伸ばすが……まるで当然と言わんばかりに、その手は空しく虚空を掴んだだけであった。
カメリアの場違いなほど甲高い喚声に気づいたのか、十数頭の狼の群れの視線が一斉に彼女へと降り注ぐ。
彼等はこちらに向かって来る小さな少女に向けて、明確な敵意を向けてきた。
「うわっ! こっちに来た!」
狼たちは飛び込んできたカメリアを包囲するように、扇形に陣を組もうと散開する。
そしてその時、陣の両端にいた二頭が、アーサーの存在に気づいたようであった。
彼女の相手を群れの仲間に任せ、彼目掛けて疾駆する狼たち。
カメリアと比較すると索敵能力が著しく低いと言わざるを得ないアーサーであったが、さすがにこちら目掛けて疾走してくる狼の存在には気づいたのか、彼は慌てて腰の剣を抜き放った。
「え!? ちょっと待った! フォレストウルフって……こんなに大きかったっけ!?」
あれ? 知らなかったの?
アーサーは失念していたようであったが、実はフォレストウルフという狼は、普通の犬や狼たちと比べてひと回り大きな体躯を誇る獣であった。
命を懸けた戦いの緊張感のためなのか、それともアーサーの心の奥底に眠る怯懦の心がそう見せているのか、彼の目には迫ってくる狼たちがやけに大きく見える。
彼はガクガクと震える両足で何とかその場に踏み止まりながら、彼等の一挙一動を見逃さないように大きく目を見開いていた。
「畜生……やるしかないのか」
さすがにシロウマ(以下略)とは違うのか、開き直って腹を括るアーサー。
もう逃げる隙が見出せない以上、戦って生き延びる事だけが彼の唯一の選択肢であった。
チビたちはまさに鎧袖一触と言わんばかりに薙ぎ払っていたが、普通の人間にとっては、複数のフォレストウルフは結構な強敵である。
彼等は手慣れた狩人のように、獲物をその場に押し倒すべく、僅かな時間差を作ってアーサーに体当たりしてきた。
ドシン!
ガシッ!
「ぐっ!」
狼たちの突進を正面から受け、たたらを踏むアーサー。
彼は足を狙ってきた最初の一頭を無視して、致命傷になりかねない喉笛を狙ってきたもう一頭の牙を、咄嗟にガントレットで覆われた左手で受け止めた。
肺の中の空気を全て吐き出しかねないほどの激しい衝撃であったが、アーサーはそれでも何とかその場に立ったまま踏み止まる。
彼がその場で尻餅をつかなかった事は、普段の訓練の賜物……でも何でもなく、単なる奇跡の類であった。
「くそっ! 痛ぇじゃねえか……」
普段の温厚な彼からは想像もできないような汚い言葉で、呪いの言葉を吐き散らすアーサー。
噛みつかれた右足が、激しい痛みを訴えていた。
致命傷には程遠いので、とりあえず放置しているが……さすがにいつまでもこのままという訳にもいかないだろう。
顔に吹きかかる生臭い息に顔を顰めながらも、彼は右手の剣を握り直した。
「くっ……たぁ!」
さすがに噛みつかれたままでは、アーサーが得意とする治癒呪文も十分な効果を発揮するとは言い難い。
彼は威勢の良い掛け声とともに、右手に牙を突き立てている狼目掛けて剣を振り下ろした。
だが……、
ボスン!
「ギャン!?」
分厚い毛皮に阻まれたのか、それとも普段の手入れの悪さのツケを払わされたのかはわからないが、剣は狼の体を切り裂く事なく跳ね返されてしまう。
だが、それでも鉄の棒で殴られた衝撃はやはり痛かったようで、狼はひと声鳴いてアーサーの足から牙を離すと、そのまま慌てて彼から少し距離をとった。
「畜生……こんな所でくたばって堪るかよ」
ついでとばかりに、左腕に噛みついたままぶら下がっている狼目掛けて剣を振るうアーサーであったが…さすがに野生の勘と言ったところか、狼はすぐさま口を離し、彼の剣をヒラリと躱してしまう。
狼は急いで同僚の隣へと戻ると、じわじわと獲物との距離を詰めながら、恫喝するように唸っていた。
「グルルルルル……」
「ガルルルルル……」
「天に在します我らが女神よ……“治癒”」
アーサーは次に備え、素早く治癒呪文を唱えて苦痛を即座に消去する。
彼の場合、この呪文があるので、ある意味継戦能力という点では他の二人よりも優れているのだが……肝心の剣の腕の方がさっぱりなので、敵を撃破する殲滅能力という点では全くと言って良いほど物足りなかった。
わかりやすく言ってしまえば、現在の彼の状態は“ジリ貧”と言うヤツである。
正直に言って、彼ひとりではこの現状を打破する手段が乏しい以上、今すぐ背を向けてこの場から逃げ出したくなるほど怖かった。
「焦るな……焦るな僕……」
もっとも、アーサーも逃げ出したところで逃げ切れないという事など百も承知である。
それに、彼には頼もしい味方がついているのだ。
群れの殆どを引き受けて、今も奮闘しているであろうカメリアの事を思い、竦みそうんある足を叱咤するアーサー。
そして、彼は剣を軽く振って狼たちを威嚇しながら、彼は形勢逆転を狙ってじりじりと少しずつ後退した。
「グルルルルル……」
「ガルルルルル……」
「……」
暫しの間、睨み合う二頭とひとり。
大したダメージは感じていないようだが、さすがに一発殴られて慎重になったのか、狼たちは即座にアーサーに襲いかかるような真似はしてこなかった。
彼等は獲物を追い詰めるかのように、巧妙に立ち位置を変えながら彼を追い詰めていく。
やがて……、
トン。
アーサーの背中が巨木の幹に触れた瞬間、左右に分かれていた二頭の狼が、全く同じタイミングで飛び掛かってきた。
「うわっ!」
狼たちはベテランの狩人らしく、アーサーが二頭を同じ視界に収められないような角度から、彼の上半身……主に首筋と両腕……を狙ってくる。
彼等の狡猾な罠に嵌り、彼は一瞬、判断に迷ってしまった。
それでもアーサーの本能はそのまま棒立ちと言う愚行を許すつもりはないのか、彼は咄嗟に急所になりそうな首筋を慌てて両手で覆い隠す。
「くそっ! 嵌められたか!?」
だが……何故かいつまで経っても、衝撃や苦痛が襲ってこなかった。
「……?」
アーサーは反射的に閉じてしまった目を、恐る恐る開いてみる。
其処には……ある意味、とんでもない風景が広がっていた。
「……!」
「……!」
「おじちゃんをいじめるわるいこはおしおきらよ~!」
「……」
少し離れた所に、待望の援軍であるカメリアが立っている。
彼女は少し聞き捨てならないセリフを叫びながら、クルクルとその場で回っていた。
良く見ると……いや、良く見るまでもなくはっきりとした光景であったが……カメリアの小さな両手には、狼たちの尻尾が一本ずつ握られている。
即ち、彼女は狼たちの尾を握り締めたまま、彼等をジャイアントスイングのように振り回しているところであった。
「……」
「キャハハハハハハハ!!」
思わず呆然としたまま目の前の惨劇に見入っている彼を置き去りにしたまま、カメリアは哄笑を上げつつ嬉々として狼たちを振り回している。
何処からどう見ても、“御仕置き”なんて生易しいモノではなく、立派な“処刑”であった。
ガサッ! バキッ! ドスン! ゴン!
もう既に意識が吹っ飛んでいるのか、狼たちはぐったりとしたまま声も出せずに、まるでヌイグルミのように振り回されている。
時々、近くから伸びていた木の枝に、狼たちの頭が大きな音を立てて何度も激突していたが……それでも彼女は、彼等を地面に落とす事なくグルグルと回転し続けていた。
「……あの……カメリアちゃん?」
漸く再起動したらしいアーサーが、恐る恐るカメリアに声をかける。
彼の声に気づき、返事をするためなのか、彼女は其処で漸く回転する事を止めた。
あれだけ激しく回転していたにも拘らず、カメリアは目を回して足元をふらつかせるような様子はまるで見せていない。
彼女はニッコリといつもの愛らしい笑顔を浮かべているが、両手に握り締めたままの狼の尻尾が全てを台無しにしていた。
「ん? なぁに、おじちゃん」
「……えっと、助けてくれてありがとう」
カメリアは狼の遺体(?)を無造作に放り投げると、今度はアイテムボックスから取り出したハンマーで、止めとばかりにポカポカと殴り始める。
“おじちゃん”と言う単語に少し引っ掛かりを覚えるアーサーであったが……それでも為すべき事をなすのが先と判断したのか、彼は素直に頭を下げながら彼女にひと言お礼を言っていた。
「えへへへへへ……」
照れたようにはにかみながら、可愛らしく笑うカメリア。
もっとも、今はハンマーで狼たちを滅多打ちにしている真最中なので、その行動についてはとても可愛いとは言えなかったが……。
「あ~……、そろそろ狼さんたちも気絶しているようだし、放してあげた方が良いんじゃないかな?」
「ん?」
『気絶している』じゃなくて、間違いなく『絶命している』ような気がするが……。
ほら、片方の狼の顔面からは両目が飛び出しているし、もう片方の狼は顎が砕け散って無くなっているし……。
アーサーの言葉を受けて、カメリアは漸く何かに気づいたのか、狼たちを叩くのを止めるとキョトンとした顔で彼を見上げている。
だが、彼女は地面でピクリとも動かない狼たちの死体に再び目を落とすと、まるで何かに当たり散らすかのように今度は死体をゲシゲシと蹴り始めた。
「? どうしたの、カメリアちゃん? 何かあったの?」
カメリアの死体蹴りに何か不審なモノを感じたのか、アーサーは彼女の肩を抱きとめながら問いかける。
彼女は彼に背を向けたまま、何処か申し訳なさそうにポツリとひと言呟いた。
「……しんれた」
「え!?」
「……こいつら、おうまさんころした」
「何だって!?」
「……あっち」
少ししょんぼりとした口調でそう言いながら、森の奥を力なく指さすカメリア。
彼女は何処か後ろめたい事でもあるのか、アーサーとは決して目を合わせようとはしなかった。
普段の無邪気で明るい、どちらかと言うと能天気にしか見えない彼女の態度の急変が心配で心配で堪らない彼であったが……その原因が何かを突き止めるため、急いで彼女が指さした方へと走って行く。
すると……其処には凄惨な光景が広がっていた。
「……なっ!」
少し開けたその場の中心には、アーサーの愛馬が変わり果てた姿で横たわっている。
彼は苦悶の表情を浮かべたまま、狼たちに首筋を噛み裂かれ、腹を食い破られて盛大に内臓を撒き散らした状態で息絶えていた。
少し離れた所には、狼たちが互いに引っ張り合いでもしたのか、食いちぎられた後ろ脚の一本が残飯として転がっている。
物言わぬ骸と化した相棒の無残な姿に、アーサーは全身の力が抜けてしまったかのように、思わずその場にがっくりと膝をついていた。
「……」
そして、その遺体の周囲には首を不自然な方向に曲げた十数頭の狼たちが、こちらも物言わぬ骸と化して事切れている。
中にはカメリアの一撃に耐えられなかったのか、首が千切れ飛んでいる首なし死体迄ある始末であった。
良く見ると、アーサーの足元にも恐怖と驚愕に目を見開いたままの狼の首が転がっている。
彼は這うようにしてその首を掴み取ると、森の奥目掛けて力いっぱい放り投げた。
「……」
「……ごめんなさい」
やるかたない怒りに包まれて我を忘れそうになっているアーサーの後ろから、ポツリと謝罪の言葉が投げかけられる。
思わず振り返った彼のすぐ傍では、明らかに落ち込んでいる様子のカメリアが、泣きそうな顔で彼を見上げていた。
「……まにあわなかった。ごめんなさい」
「……!」
大きな目に涙を浮かべているカメリアを、そのままギュッと抱き締めるアーサー。
彼女は彼の胸板に顔を沈めながら、何処か安心したようにわんわんと泣き出した。
「ごめんなさ~い!」
「謝る必要はないよ! カメリアちゃんは頑張った!」
「れも! れも!」
「カメリアちゃんは悪くない! 悪いのは狼だから!」
「わ~ん!」
「気が済むまで泣きなさい。誰もカメリアちゃんを叱ったりしないから」
カメリアの頭を撫でながら、安心させるように優しい声をかけ続けるアーサー。
彼女は顔中をベショベショに濡らしながら、激情の赴くままに涙を流し続けていた。
それは、今は死体と成り果てた彼の愛馬に対する憐憫の情なのか、それとも自身の責任を果たせなかった後悔なのか。
カメリアを抱き留めるアーサーにはわからなかったが、それでも彼女の年相応の子供らしい行動に、彼はある種の安堵感のようなものを感じていた。
「うぐっ、うぐっ」
「大丈夫だよ、カメリアちゃん。お兄さんはカメリアちゃんの味方だから」
「ひっく、ひっく」
「大丈夫。カメリアちゃんは良い子だから」
「すん、すん」
「大丈夫だよ。カメリアちゃんは精一杯頑張った。お兄さんが証人だ」
漸く泣き止みつつあるカメリアを宥めながら、彼女の顔を心配そうに覗き込むアーサー。
彼は涙でビショビショになった彼女の顔を懐から取り出したハンカチで拭いながら、何度も『大丈夫』と言う言葉を繰り返した。
その言葉に少し安心したのか、まだ目を赤く腫らしながらも照れたように笑うカメリア。
彼女の顔に笑顔が戻ったのを確認したアーサーは、彼女の目の前で彼女にもわかるようにニッコリと笑うと、もう一度しっかりとその小さな体を抱き締めた。
「うん。カメリアちゃんは強い子だ。お兄さんもこれで安心だ」
「おじちゃん、ありがとう!」
「……えっと……」
「おじちゃん、やさしいね! おじちゃん、らいすき!」
「……」
姑息にもこのタイミングで“おじちゃん”を“お兄さん”に訂正しようとしたアーサーであったが、どうやら彼の目論見は外れたようである。
カメリアはいつもの無邪気な笑顔を取り戻すと、目の前にある彼の顔を抱き締めながら、何度も何度も感謝の言葉を述べていた。
「おじちゃん、らっこ! かたぐるま!」
「……」
挙句に、微妙な表情をしたままのアーサーの答えも待たずに、彼の体をよじ登り始めるカメリア。
彼女は何故か硬直したように固まったままの彼の肩の上に堂々と鎮座すると、再び満足げな笑顔を浮かべながら彼の後頭部にギューッと抱きついた。
次回の投稿は、10月27日頃になります。