第102話 時に手加減は相手のプライドをズタズタにする。
暫しの間、休憩をとった騎士たちとチビたちは、彼等の愛馬を求めて森の中の探索を再開する。
……いや、休憩していたのは彼女たちだけであって、騎士たちはさっぱり休憩になっていなかったような気がしないでもなかったが、そんな事は些細な問題であった。
チビ娘たちは先程までと何ら遜色のないスピードで、森の中を走り始める。
その小さな背中を、騎士たちが必死の形相で追いかけていた。
「……どうにかならんのか、この速さは」
「最近、運動不足だったのかなぁ……? 正直言って、このペースはキツいです」
「幼女相手に泣き事を言ってんじゃねぇよ!
まぁ、確かに尋常じゃないスピードなのは認めるが……」
まだブツブツと文句を言っているウィリアムとアーサーを、何故かロバートが叱咤している。
どうやらチビ三人組の相手をひとりでさせられた事を、彼はまだ恨みに思っているようであった。
結局、最後は手伝ったんだから良いじゃないか、という言い訳は、残念ながら通用しないらしい。
……執念深い男であった。
「……だが、どうなんだ!? あの運動能力は……。
自分の身長ほどもある岩や切り株を、お構いなしにピョンピョンと飛び越えて行くぞ!?」
「……誤魔化し方が雑だ、ウィリアム」
形勢悪し、と判断したウィリアムが露骨に話題を変えるが、ロバートの目は相変わらず冷たいままである。
もっとも、彼も目の前で驚嘆すべき事実が起こっているのは認めるのか、あっさりと話題の転換に乗って来た。
「まぁ、確かに驚異的な運動能力だよな。
さっき両脇から飛び掛かられた時も、一発で俺の肩口まで飛びついてきたし」
「それ以前に、どうやったらこの足元の悪い森の中を、あんなスピードで走り回れるんですか!?
何か、殆ど物理法則を無視しているような気がしてならないんですけど!?」
当たり前であるが、この鬱蒼と茂った深い森の中に、踏み固められた道など存在するはずがない。
騎士たちは、油断したら一瞬で足を取られかねない深い腐葉土に覆われた地面に、四苦八苦しているのが実情であった。
そのくせ前方を走り回るチビ娘たちは、まるで重力など感じていないかの如く軽快な動きのままである。
……何か特別な能力でも持っているんじゃないか? とアーサーが疑うのも無理からぬ話であった。
「……毎日遊び回って、体が鍛えられているのか?」
「鍛える鍛えない以前に、根本的な身体能力が違い過ぎていますよ、アレ……。
大体、どういう鍛え方をしたら幼児があんな運動能力を持てるんですか!?」
「彼女たちにとってはこれが普通なんだろうなぁ……。
ま、文句を言ってないで、さっさと走れ」
そう口では言っているものの、ロバート自身も正直に言ってこの速度を最後まで維持できる自信はない。
ついさっき休憩をとった時も、息も絶え絶えになっていた自分たちとは違い、チビ娘たちはまったくと言って良いほど呼吸を乱していなかった。
しかも、狼やグリズリーを相手に先頭まで熟しつつ、である。
彼女たちがこの森に慣れているという点も大きいのであろうが……アーサーの言うとおり、根本的な身体能力の差というものを嫌というほど見せつけられて、彼はある種の絶望感のようなものを感じていた。
「……馬を見つけたら、絶対、引き返そう。
例え殿下が何を言い出したって、引き摺ってでも帰るぞ」
「……同意だ。
あの娘たちでさえあのレベルなんだから、俺たちでは逆立ちしてもあの城にいる連中には勝てない」
座った目で強い決意を口にするロバート。
その言葉に対し、冷静に現状を分析したらしいウィリアムが全面的な賛意を示していた。
「え!? 戦うつもりだったんですか!?」
「いや、戦うつもりなんて最初からなかったんだが……。
でも、殿下が懲りずに彼女たちをまた怒らせる可能性があるだろ」
「あぁ、そっちですか……。確かに……その可能性は否定できないですね」
そう言いながらアーサーは眉を寄せ、その非常事態が起こった際の対処方法について考え込んでいる。
その際の最優先事項は……勿論、自分たちの身の安全であった。
「……もしそうなったら、さっさと殿下を見捨てて俺たちは土下座しよう。
勿論、自分たちの一切の関わりを否定しつつだ。
何だったら、殿下の首を切り落とすのに協力しても良い」
「あぁ、それが最善だろう。
たぶん、首を刎ねる死刑執行人の役割はシェーラさんが嬉々としてやってくれるだろうから、俺たちは殿下の体を押さえる役割が適当だな」
「そうですね。そもそも僕たち自身、殿下の嘘に嵌められたようなものですから……。
幸い、僕たちはユリア様たちに悪印象は持たれていないはずですし、何とかなりそうですね」
結局、話し合いはあっさりと決着する。
三人の誰からも異議や文句が出されない、完全な全会一致であった。
『それは近衛騎士としてどうなのか?』という疑問に対しては、勿論、ガンスルーである。
そもそもこの決断に文句を言いそうな奴が王宮内にひとりもいない時点で、彼の運命は決まったも同然であった。
「では、この話はこれで終わり、という事で」
「……異議なしだ」
「では、それに備えて目の前の事を片付けましょう」
実りある話し合い(?)を終えて、再び前を向く騎士三人組。
彼等の前方では、チビ娘たちが相変わらずキャアキャアと騒ぎながら森の中を爆走していた。
彼女たちも彼女たちなりに気を使っているのか、騎士たちが自分たちを見失わない程度に、意図的に距離を保っているらしい。
やがて……チビたちのひとりが他の二人と別れ、明らかに違う方向へと駆け出した。
「あ! カメリアちゃんが分かれましたよ!
じゃあ、僕は彼女の方へ! 失礼します!」
「おぅ! 頑張れよ!」
前方でカメリアが急に方向転換したのを確認したアーサーは、残りの二人にその旨を伝えると、彼女の後を追ってひとりで森へと踏み込んでいく。
三人の中では一番戦闘力に欠ける……平たく言うと“弱い”彼を、単独で動かす事に一瞬、躊躇いを見せたウィリアムであったが……、
「……気をつけてな」
結局、考えている暇はないと判断したのか、念を押すようにひと言だけ付け加えると、あっさりと彼を送り出した。
「……あいつひとりで大丈夫だろうか?」
「ひとりじゃないだろ。カメリアちゃんがついている」
「……それはそうだが」
「むしろ注意すべき点は、『彼女とはぐれるな!』だろ。
彼女ひとりなら何の心配もいらないが、あいつがひとりになったりしたら……その瞬間、間違いなく死にそうだし」
「……やはりそう思うか」
普通は逆である。
「まぁ、それについては俺たちも似たようなものだが……」
「……」
やはり心配になったウィリアムが、アーサーに加勢しようと彼の後を追おうとするが……ロバートのセリフを受けて、改めて考え直したようであった。
良く見ると、二人の前方では襲いかかって来たサーベルキャットらしき獣を、ロゼとリリィが何の躊躇いもなく蹴散らしている。
「……しかし、相変わらず凄い戦闘力だな、アレ……」
「いや、『凄い』なんてレベルを超越しているだろ、どう見ても……。
大体、サーベルキャットを一撃で吹っ飛ばすって……何をどうすればそんな事が出来るんだ!?」
「……まぁ、我々には辿り着けない領域だな……絶対」
「しかもオツムは幼児のままだから、其処に手加減や躊躇いというものが一切、ないし……」
「……不幸にも鉢合わせてしまった獣たちには、『御愁傷さま』としか言葉がかけられん」
「……それ、必要か?」
遙か上空へと綺麗に打ち上げられたサーベルキャットの勇姿を見ながら、彼等は心配するだけ無駄だと悟ったのか、疲れた体に鞭打って彼女たちとの距離を詰める事に専念する事にした。
「見た目は可愛らしいんだけどなぁ……」
「……中身はとんでもない修羅だがな」
「ていうか、あのギャップは絶対に反則だろ」
「……まぁ、そうかも知れん。一見で見抜くのはまず不可能だし」
まさに鎧袖一触といった感じで猛獣たちを蹴散らし、森の中を爆走する幼女たち。
「……ひょっとすると、俺たちは単なる足手まといなのかも知れない……」
「言うな、気が滅入る。俺だって薄々そう感じてるんだから……」
その後ろ姿を遠目に見ながら、二人の脳裏に騎士の沽券にもかかわる疑問が浮かんできた。
気づきたくなかった真実に辿り着き、どんよりとした暗い表情になるウィリアムとロバート。
ピョンピョンと飛び跳ねるようにして森の中を進んで行く彼女たちの背中が、妙に頼もしく思えてきた二人であった。
「……アーサーの事は少し心配だったんだが、あれなら大丈夫そうだ」
「むしろ、あいつが下手に出しゃばったりした方が不安だよ」
「……まぁ、その点については大丈夫だろ。
あいつは元々、先頭に立って敵に突っ込むような勇気など持ち合わせていない」
それは……騎士としてどうなんだろう?
「それもそうか」
「……それに、あいつがでしゃばる前にカメリアちゃんがさっさと敵を始末してしまうだろうし」
「完全に過剰戦力だもんな」
「……むしろ心配の種は、あいつが彼女を見失って、はぐれて泣いたりしないかだ」
「其処まで心配しても仕方がないだろ。幼児じゃあるまいし」
確かカメリアは幼児のはずであったが……何故か全く心配されていない彼女であった。
「だからユリアちゃんは、何の躊躇いもなく彼女たちを送り出したんだな……。
最初は『何を考えているんだ!?』と正気を疑ったもんだが、今となったら十分に納得できる判断だったわ」
「……それは俺も思っていた」
「……しかし、誰もかしこもこんな怪物揃いだし……。
あの城にいる連中を敵に回さなくて良かった、とつくづく思っているところだよ。
本当に……」
「……あぁ」
彼にしては珍しく、妙にしんみりとした口調でこれまでの事を振り返るロバート。
その時、彼等の遙か前方を走っていたロゼとリリィが、いきなり甲高い声を上げた。
「みつけた~!」
「おうまさ~ん!」
「まって~! にげちゃらめ~!」
「つかまえろ~!」
そう叫ぶや否や、いきなり急加速するロゼとリリィ。
その速さはまさに疾風の如く、あっという間に二人の視界から消え去ってしまうほどであった。
「……あ!」
「え!? ちょっ、ちょっと待って!」
「……な、何だ? あの速さは……」
「反則だろ、アレ……」
突然、森の中に取り残されるような形になって、思わず呆然と立ち尽くしてしまうウィリアムとロバート。
ピチピチとわざとらしく響く小鳥の囀りだけが、残された二人に降り注いでいた。
「何処行っちまったんだ? 二人とも……」
「……マズいな。さすがに此処で見失ったら、出口を探すのもひと苦労だぞ」
「まぁ、あの娘たちの実力なら森の中での危険はないだろうが……。
あれ? ひょっとして、俺たちの方が危険なのか……?」
「……そいつは笑えない冗談だな」
冗談めかして笑うウィリアムであったが、本気で冗談になっていない。
この状態で森の獣たちに襲われたりしたら……さすがの彼等も、無事で済まされるという自信はなかった。
二人の全身に、急に圧し掛かって来る疲労感。
彼等はその場に立ち尽くし、手を膝に当てながら呼吸を整えるだけで精一杯であった。
「くそっ! 此処でへばったら全てが無駄になる」
「……同感だ。だが、体が……」
緊張感がプツリと切れてしまったせいなのか、体がやけに重たく感じられるウィリアムとロバート。
彼等はすぐにでもその場に寝転がりたくなる衝動を何とか抑え込みながら、意識を奮い立たせるように何度も己の頬を叩いていた。
「……ふぅ。あの娘たちはどっちに行った?」
「……はぁ。たぶん……あのデカい切り株の向こう側だろう」
「……行くぞ」
「おぅ」
「「……」」
暫しの間、上がってしまった息を整え、心を落ち着かせるように周囲を見渡すウィリアムとロバート。
そして彼等は、まるで糸の切れた人形のようなおぼつかない足取りで、ノロノロと森の中を歩み始めた。
「……こうなったら、あの娘たちが我々を見つけてくれることを期待しよう」
「随分と都合の良い期待だこと……と言いたいところだが、全くもって賛成だ。
むしろ、それ以外に希望はないと断言しても良い」
「……お前にしては随分と弱気な発言に聞こえるが?」
「そっちこそ。じゃあ尋ねるが、他に何か良い手段でもあるのか?」
「……ない」
「そういう身も蓋もない答えを、堂々と真顔で叫ばんでくれ」
「……」
まるでヤケクソになったようなセリフを、互いに掛け合うウィリアムとロバートであったが……さすがに自分たちがしている事の不毛さに気づいたのか、最後は互いに視線も合わせずに黙々と歩みを進めている。
踏みつけられた下生えの様子から、何とか彼女たちの向かった先はわかったが……距離が離れすぎているのか、声や足音などはさっぱり聞こえなかった。
「……しかし、やはりあの娘たちは我々が付いて来られるように、わざと手加減して走っていたんだな……」
「……言うな。気が滅入る」
「……一体、世の中どうなってんだ?」
「どうもこうも、見た物が真実だろうが。そんなモン……」
気まずい沈黙に耐えられなくなったのか、互いに口を開くウィリアムとロバート。
もっとも、その口から零れ出る言葉は、殆どが愚痴ばかりであったが……。
「……しかし……」
「まぁ、あそこに住んでいる連中は、どう考えても例外中の例外だろうな。
そうじゃなきゃ、とてもじゃないがやってられないくらいの差を感じたぜ、俺は……。
大体、魔王様とその直属の配下なんだから、発想や身体能力が人外じみていても当たり前と言っちゃ当たり前なんだろうけどさ……」
それにしても本音では、思わず『限度というものがあるだろう!』と叫びたくなってしまうロバート。
まぁ、奇行の殆どはシェーラが勝手にやった事なので、『発想が人外じみている』という風評被害については些か的外れであったが……。
「……それにしても、まさかあんな小さな子供まで……」
普段は口数の少ないウィリアムであったが、まだ目の前で起こった事が信じられないのか、さっきからブツブツと何かに拘るようにしゃべり続けている。
まだ彼は、チビ娘たちのあの愛らしい姿に惑わされているようであった。
「だから、見た目に惑わされるな、って言う良い教訓だと思え。ウィリアム。
まぁ……確かに俺だって、実際にこの目で見なけりゃ信じられない事の連続だったけどさ……」
「……」
ロバートが『現実を見ろ』とウィリアムに釘を刺すが……そういう本人も、実は目の前で起こった非常識な出来事に殆ど現実逃避一歩手前である。
激しい運動直後だというのに、何故か顔を真っ青にしている二人は、まるで彷徨える幽鬼のような足取りで森の中をフラフラと進んで行った。
「わかったら真面目にあの二人を探すぞ。
どうやら馬を見つけて追いかけているみたいだったから……案外、近くにいるのかも知れないな」
「……うむ、急ぐか」
会話を切り上げ、少し急ぎ足になるウィリアムとロバート。
もっとも、今までとは違い安全を保障された状態ではないため、まわりを警戒しながらではあったが。
暫くして……、
「……ん? 何か音がしなかったか?」
「え? そうか……? ちょっと待て」
何か気になる事でもあったのか、急に足を止めるウィリアム。
ロバートも足を止め、剣を抜きつつ周囲の気配に全神経を集中したが……、
「「……」」
何も聞こえてこなかった。
いや、正確に言えば、聞こえてくるのは風に揺らめく木々の葉擦れだけである。
獣たちの唸り声や草を掻き分ける音はおろか、今度は空を飛ぶ鳥の鳴き声すら聞こえてこなかった。
「「……」」
森の中に満ちる不気味な沈黙。
気のせいか、と判断した二人は、剣を収めつつ再び歩き出した。
「……何かが居たような気配があったんだが……」
「俺は何も感じなかったけどな……。
驚かすなよ……と言いたいところだが、まぁ、仕方がないだろ。
こんな所じゃ、ちょっとした油断が命取りになるのも事実だし」
「……面目ない」
「だから、謝る必要はないって。
こういった森の中では、油断するより慎重過ぎるくらいがちょうど良いんだから」
もうすっかり傾きつつある太陽を背にして、森の中に二人の騎士の落ち葉を踏みしめる音だけが響いている。
のんびりとした春の夕暮れ時ではあったが、ロバートの言うとおり警戒するに越した事はないのも事実であった。
少し強めの風に煽られた枯枝が、バサリと音を立てて地上に落ちる。
二人がそれに気を取られて振り向いたその瞬間、反対側の茂みから急に何かが彼等に襲いかかって来た!
次回の投稿は、11月13日の予定です。