第101話 肩車と猫団子
さて、事態は相変わらず想定外の方向へと向かっている。
幼女たちが森に向かって駆けだした時、真っ先にウィリアムの脳裏に浮かんだ懸念は彼女たちの安全であったが……これについてはもう、完全に解決済みであると断言して良かった。
何しろどう考えても……彼女たちは自分たちより遙かに強い。
その予想だにしなかった事実を前に、彼は途方に暮れていた。
「……俺たち、何しに来たんだっけ……?」
「自分たちの馬を探しに来たんですよ! 忘れたんですか!?
しっかりしてくださいよ。殿下じゃあるまいし……」
「……いや、そういう意味ではなくてな……」
何を勘違いしたのか、ウィリアムの顔を訝し気な目で覗き込むアーサー。
確かに彼の言い方もマズかったのであろうが……シロウマ(以下略)扱いされるとは、この上ない屈辱であった。
声を荒げ、アーサーの胸倉を掴みたくなる衝動を堪えて、ウィリアムはどうしたものかと少考する。
だが結局、あまり気の利いた言い回しなど思い浮かばなかったので、彼は誤解されないように慎重に言葉を選びながら言い直した。
「……彼女たちにとって、俺たちの存在意義って何だろう?」
「あぁ、そういう意味ですか」
今度はしっかりと真意が伝わったのか、アーサーのウィリアムを見る目が露骨に変わる。
「ん~……。チビちゃんたちの護衛……ではないですね。
どちらかと言うと、護衛しているのは彼女たちのような気もしますし……」
たぶん、当の本人たちは全くそのつもりはないのであろうが……結果として、そうなってしまっていた。
「まぁ、彼女たちがやるべき事を忘れないように注意する係……でしょうか?」
「……それ、必要か?」
アーサーの情けない答えに、思わず顔を顰めながらツッコミを入れるウィリアム。
だが、厳然たる事実として、他に言いようがない事もこれまた事実であった。
次々と襲いかかってくる猛獣たちを、まるで羽虫でも振り払うかのように、いとも簡単に蹴散らすチビ娘たち。
森の獣たちにとっても、災厄が己の棲み処を走り回っているようなものであった。
「……襲いかかってきた獣たちにかけるべき情けはないはずだが……何でだろう?
こいつ等が哀れに思えてしまうのは……?」
「野生の獣でも、見た目に騙されるんですかねぇ……」
「何だ、同情心でも湧いたのか?
単に圧倒的強者に襲いかかったバカの哀れな末路だろ。こんなモン……」
しみじみと世の無常を嘆くウィリアムとアーサーの背後から、少しイラついたロバートの言葉が投げかけられる。
「……何か、誰かに似ているような気がするが……?」
「誰でしょう? パッと思い浮かびませんが……」
「圧倒的強者に無謀にも挑む者……どう考えても殿下だろ」
「「それだ!」」
「よし、だったら話は終わりだ。いい加減にこっちに来い!」
それでもしつこいくらいに現実逃避としか思えない会話を続けている二人を、ロバートが一刀両断に切り捨てていた。
何しろ現在の彼は、とんでもなく忙しい羽目に陥っている。
その忙しい原因たちが、舌っ足らずな言葉とともに彼の周囲に纏わりついていた。
「いいな~!」
「いいな~! ロゼちゃん!」
「わかった! わかったから、もうちょっと待ってくれ!
おい! 二人とも! いいから早くこっちを手伝え!
其処でボケ~っと突っ立ってないで、さっさとこっちに来い!」
良く見ると……いや、良く見なくても一目瞭然であったが……ロバートの肩の上にロゼが乗っている。
彼女は彼に、所謂、肩車をしてもらっているところであった。
姉妹たちに責められて泣き出してしまった彼女は、まだグズグズと嗚咽の声を漏らしており、漸く少しずつ機嫌を直している途中である。
生粋の女たらしであるロバートも幼女の泣き顔には弱いのか、彼は必死になって彼女を宥めすかし、あやしている真最中であった。
「あたしもかたぐるま~!」
「あたしも~!」
「かわって~!」
「おじちゃん、かわって~!」
……いや、ロバートと交代してどうするのよ。カメリアちゃん……。
そして彼の足元では、どういう訳かロゼを泣かした張本人であるリリィとカメリアが、口々に肩車の交代を訴えていた。
「……子供の相手はどうも……」
「うるせぇ! 俺ひとりに押し付けてんじゃねぇ!
肩車してやりゃ喜ぶんだから、さっさとやれ!」
「こんな事している場合じゃないと思うんですけど……」
「だからと言って、この娘たちの御機嫌を損ねちゃ意味がないだろうが!
彼女たちが頼りなんだから、グズグズ言ってんじゃねぇ!」
「「ちっ」」
正論で論破され、舌打ちするウィリアムとアーサー。
理由を付けては幼女たちの相手を渋る二人であったが、勿論、ロバートがそんな戯言を聞き入れるはずがなかった。
要は三人とも、自分が大変な目には遭いたくないだけらしい。
……大人として、最低であった。
「ロゼちゃんばっかり、ずる~い!」
「ロゼちゃん、ずる~い!」
「ひとりじめはらめらよ~!」
「こ~たい! こ~たい!」
「リリィにもかたぐるま~!」
「カメリアも~!」
肩車をされているロゼはまだその場から離れたくないのか、ロバートの頭にギュッとしがみついている。
彼女たちの子供心をくすぐるその絶好のポジションを断固として譲らない彼女に対し、姉妹たちからのブーイングが激しさを増していた。
「こうなったら~……えぃ!」
と叫ぶや否や、ロバートの左腕にしがみ付くリリィ。
彼女は足をブラブラとさせたまま、力任せに彼の体をよじ登ろうとしていた。
抗議をしても状況が変わらなければ、残る手段は実力行使しかない。
彼女の判断は、実に的を得た的確なものであった。
まぁ、それが……相手の都合を無視していなければ、の話であったが。
「うわっ! 危ねぇ!」
「とぉ!」
リリィの奇襲に、思わずよろめいて体を傾けるロバート。
その瞬間、今度はカメリアが反対側から彼の右腕目掛けて飛び掛かった。
彼女はちゃっかりとロバートの傾いた胴体を足場にすると、そのまま器用に彼の体をスルスルと昇っていく。
そして昇り終えたカメリアは、ロバートの顔面にしっかりとしがみついた。
「むぐぐぐぐぐ……」
「キャア! くすぐった~い!」
焦ったロバートが口を動かす度に、顔面にへばりついたカメリアから嬌声のような声が聞こえてくる。
単にくすぐったいだけであろうと思われるが……何故かエラく嬉しそうに聞こえるのは気のせいであろうか?
「ロゼちゃん、てつらって~!」
「しょうがないなぁ、もう……」
姉妹からの救援要請に、渋々ながらも手を差し伸べるロゼ。
こっちはこっちで、昇られている当の本人の意思を無視したまま、勝手に二人の間で話し合いが成立していた。
彼の上半身は、今や完全にチビ娘たちに占拠されつつある。
幾ら幼児と言えど、さすがに三人分の体重は堪えるのか、ふらふらとおぼつかない足取りになるロバートであった。
「ちょっと待った! 重い! 重いって!」
傍目には子猫の団子のような微笑ましい光景であったが、中に取り込まれた被害者にとっては地獄でしかない。
さすがに耐え切れなくなったロバートが、本気で抗議の悲鳴を上げていた。
「おもくないも~ん!」
「リリィはれぶじゃないも~ん!」
「れりぃに『おもい』はきんくらよ~!」
何処で覚えた? そんな言葉。
思わず口から飛び出したロバートの言葉に、三人娘から次々と抗議の声が上がっていた。
「……ほう、良く知っているな」
「きちんと淑女教育が行き届いているようですね。感心です」
二人とも、感心している場合じゃないと思う……。
というか、アーサーのセリフは完全に的外れのような気が……。
ウィリアムとアーサーが、まるっきり他人事のようにうんうんと頷いている。
……『他人事のように』ではなく、『まるっきり他人事』が正解であった。
「こら其処! 感心してんじゃねぇ!
誰がレディだ!? 誰が!? レディはこんな事しないぞ!?」
「え~!」
「ひろ~い!」
「ブゥ~!」
こいつ等、意味がわかってるんだろうか……?
ロバートのセリフに、再びチビ娘たちが抗議の声を上げていた。
「おらっ! この娘たちが待ってるんだから、さっさとせんかい!」
「……仕方ないか」
「……ハイハイ」
ブーイングを上げるチビ娘たちの声を無視して、二人を急かすロバート。
さすがにこれ以上は彼任せには出来ないと判断したのか、二人は渋々ながらも彼の要求を受け入れた。
彼等は後からロバートの体にしがみ付いたリリィとカメリアの小さな体をヒョイと取り上げると、そのまま自身の肩に乗せていく。
要は彼女たちを肩車してあげれば良いのだから、楽なものであった。
「ハァハァハァ……。大体、何でそんなに渋ったんだ?
遊びたい盛りの幼児なんだから、この娘たちの御機嫌取りなんて楽なもんだろうに……」
漸く猫団子から解放されたロバートが、荒い息を整えながら二人に向かって恨み言を述べている。
「この娘たち、血塗れじゃないですか。血液ってなかなか取れないんですよね……」
「お前は洗濯係のメイドか?」
あまりに自己中心的なアーサーの回答に、ロバートが呆れ返ったようなツッコミを入れていた。
「……それに、血の匂いというのは危険だからな。
特にこういった深い森の中では、凶暴な獣をおびき寄せる可能性がある」
確かにウィリアムの言うとおり、その可能性は無きにしも非ず、である。
ロゼ以外のチビ娘たちのメイド服には、グリズリーの返り血がベッタリと付着していた。
それに対し、グリズリーの全身を跡形もなく爆散させ、文字どおり返り血ひとつ浴びていないロゼ。
……実は彼女、この上なく良い仕事をしたんじゃないか、とすら思えてきたロバートであった。
「……あぁ、そういう意味か。確かに……けど、あれ?」
ウィリアムの言葉に思わず納得しかけたロバートであったが……ふとした疑問が脳裏を過ぎる。
「なぁ、ちょっと良いか?」
「……何だ?」
「何でしょう?」
なので、彼は素直にその疑問を口にする事にした。
「……それは大丈夫なんじゃないか?
仮に猛獣が来たところで、片っ端からこの娘たちの餌食になるだけだし」
「……それもそうか」
「でも万が一、彼女たちの手に負えないくらいの数が押し寄せて来たら……。
さすがに僕では、グリズリーと一対一はキツいですよ」
アーサーの、騎士としてのプライドなどカケラも感じられないセリフに、顔を顰めるウィリアムとロバート。
思わずお説教のひとつでもかましたくなった二人であったが……さすがに此処ではそんな事をするべきではないと考え直したのか、頭痛を堪えるように額を押さえつつも、彼の不安を取り除くべく考えを巡らせた。
「……もしそうなったら、俺たちやチビちゃんたちの手が空くまで頑張って防御に徹しろ。
お前には回復呪文があるんだから、大きな一撃をもらわなけりゃ何とかなる」
「……それに、グリズリーには集団で狩りをする習性はなかったはずだ」
「はぁ~……なるほど。それもそうですね」
なので、具体的な対処法を示してアーサーを安心させる事にする。
何処かの王太子とは違い、やるべき事がわかっていれば、彼も一応は戦力にはなる男であった。
「……もう少し休憩したら、出発しよう」
「具体的には、どのくらいだ?」
「……この娘たちが満足するまで、かな……?」
「いつになるんですか? それ……」
「……知らん」
「「……」」
真剣にこれからの事を話し合う騎士三人組であったが、チビ三人組を肩車しているせいで、傍から見ると遊んでいるようにしか見えない。
いや、話し合いの内容も随分とふざけたモノであったが……。
因みに彼等の肩の上に乗っている彼女たちは、漸く念願が叶ったのか、終始御機嫌である。
幼女たちの歓喜に満ちたキャアキャアとした歓声が、森の中を満たしていた。
次回の投稿は、11月6日を予定しています。