表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妄想少女ツグミ  作者: あおい つばさ
20/27

20.悪魔(2)

 人の出会いとは、いつも唐突で、衝撃的なものだ。そして、それと同じくして、人の別れも唐突で、衝撃的である。だったら、「再会」はどうなのだろうか。


 僕は前髪から滴る雫を目で追い、足元で広がっていく水溜まりを見守っていた。


 そんな事をして何になるのか。勿論、どうにかなる訳ではなく、ただ他にやる事がなくて、僕はそれを幾度も幾度も、機械のように繰り返していた。 


 そんな折、雨音がくぐもり、水溜まりに落ちる雨粒が途切れた。ふと顔を上げれば、誰かが傘を差し、立っていた。その人物は、鼻梁に皺を寄せて悪戯に笑う少女だった。


 「ねえ、『悪魔』って信じる?」


 彼女にそれを聞かれるのは、二回目だった。かつて、僕はここにあったはずのコインランドリーで、彼女にその質問をされた。そのときの僕は、何と答えただろうか。今となっては、遠い昔のように感じられ、思い出せない。


 「どうかな?」


 僕が首を傾げると、彼女は楽しげに笑った。 


 「私はね、悪魔っていると思うの。だって、人は皆、死んじゃうんだよ。どんなに頑張ったって死んじゃうんだよ。それじゃあ、誰も報われないよ。だからね、悪魔が人を死に向かって走らせているの。悪魔が人を殺しているの」


 彼女の話は、いつも意味不明だった。ぶっ飛んでいて、まともじゃない。到底理解出来ない話だ。だけど、それを語る彼女は可憐だ。そして、相変わらず目に色はなく、恐ろしい。


 「君は、本当に存在しているのかい? これは現実なのかい? それとも僕の妄想なのかい?」


 僕が問うと、彼女は少し考えた。小さな唇に指を当てて、色のない目で何処かを見ていた。でも、それがどこなのか、僕には分からない。きっと僕には見えないものが、彼女には見えている。


 しばらく考えた彼女は、口を尖らせたまま言った。


 「現実か、妄想か、それってそんなに重要? だってさ、現実だろうが、妄想だろうが、そんなに大差ないと思うよ」


 「いや、でも、現実は本当の事だけど、妄想は想像で、空想でしょ」


 「うーん」と彼女は首を傾げる。


 それから僕に傘を渡し、自分は夏夜の雨空の下へ出て行った。


 「例えばさ、ここに『死神』がいるとするよ。私には見えるけど、君には見えない」


 彼女は、何を言い始めたのか、僕と自分の間を指した。でも、そこには何もなく、落ちる雨粒と広がる水溜まりがあるだけだ。でも、彼女はそこに死神がいるかのように話し続ける。


 「それで、テキトーにそこら辺の人を捕まえて、『死神が見えるか』って聞くの。すると、その人は見えるって言うの。それをね、100人に聞いてみる。100人とも死神は見えるって言うの。でも、やっぱり君には見えない。——さて、死神は本当にいるでしょうか?」


 「……い、いる」


 僕が自信なく答えると、彼女は綺麗な顔に皺を作って、質問を重ねた。


 「本当に? 君には見えないんだよ? 100人が君を騙そうとして、嘘を吐いているかもしれないんだよ? それでもいると思う?」 


 「そ、それは……」


 僕は口籠った。そんな事はないと思うけど、絶対有り得ないとも言い切れず、何も言い返せなかった。すると、彼女は質問を変える。


 「じゃあさ、逆に、死神は君にだけ見えていて、その他の100人には見えない。——死神は本当にいると思う?」


 「……い、いない」


 「本当に? だって君にはしっかりと見えているんだよ? それに、もしかしたら、100人全員が見えているけど、見えないって嘘を吐いているかもしれないんだよ?」


 「……じゃあ、いる……のかなぁ?」


 よく分からなかった。彼女の質問はいつもよく分からない。そして、彼女の思考もよく分からない。


 「結局の所、現実か妄想かなんて、それを観測している人数の違いなんだよ。沢山の人が見えて、聞こえれば『現実』。少数の人にしか、見えたり聞こえたりしなければ『妄想』。でも、それってさ、確かに多くの人に見えれば、そこに存在している可能性は高くなるけど、絶対100%にはならないんだよ。1%の人は見えないかもしれないし、全員見えるっていっても、誰かが嘘を吐いているかもしれない。だからさ、現実と妄想を区別する明確な方法はないと思うの」


 確かに、その通りかもしれないと思った。今見えている世界が、現実なのか、妄想なのか、それを絶対的に区別する術はない。


 だったら、僕が今見ている彼女が、実在する人物なのか、架空の人物なのか、それを決定づける事は出来ない。彼女は、僕だけに見えている現実なのかもしれないのだ。


 「つまり君は、自分が見えているものだけを信じろって言うのかい?」


 僕は歩み寄って、彼女を傘に収めた。彼女は滴る雫を払い答える。


 「まあ、それは人それぞれかな。自分の見えているものだけを信じたければ、そうすればいいし、多くの人の意見に流されたっても構わない。ただ、人に合わせるって事は、悪魔に殺されちゃう危険もあるの。だって、多くの人のなかに悪魔が紛れてたって、分からないじゃない」


 「だったら、自分を信じるべき……なのかな?」


 「そうね。でも、自分を信じるって事は、それはそれで孤独なの。他人を信用しないって事だし、少数派だから、世間から理解されない辛さがあるの。それに、変人とか異常者とか、そういうレッテルを貼られちゃうかもしれないし、しまいには、妄想に囚われている精神病患者として、病院に閉じ込められちゃうかもしれない。それが現実とも知らずに」 


 たぶん彼女は、後者の方だろう。自分のみを信じていて、他は信用していない。むしろ彼女にとって、周囲の人物は只の環境であり、自分の人生において流れ去っていく背景のようなものだ。そして、僕もその背景の一人。だから、彼女に善悪は関係なく、ただ自分自身が面白ければそれでいいのだ。  


 そんな彼女の事を、自分勝手と言ってしまえば、それまでだが、短絡的にそうは決めつけられない。


 彼女にとってすれば、自分の見えている世界が現実で、他人の見ている世界は妄想なのだから……。


 つまり、彼女の世界では、街は、妄想に囚われた人々で溢れかえっているのだ。彼女だけが、正常者で、他は異常者なのだ。


 「なるほど……」と、僕は頷いた。


 確かに、彼女の言い分は分かる。ぶっ飛んでいるとは思うけれど、道理は通っているかもしれない。


 でも、それでも、僕は彼女に言いたい。世界は、悪魔ばかりではないという事を。優しさで溢れているという事を。


 「でも——って言っちゃうと、押しつけみたいだけど、僕の個人的な意見として聞いて欲しいんだ」


 「ん? 何々?」


 彼女は興味ありげに、僕を見上げた。今から、どんな面白い話が聞けるのかと、ワクワクしているようだった。


 でも、悪いけど、僕には彼女の期待に応えられるような、ぶっ飛んだ話は出来ない。僕は、彼女を狂気の谷底から引き揚げるために、手を伸ばすのだから。


 「僕は思ったんだ。確かに、一人ひとり、それぞれの世界があって、現実がある。その中には、妄想も含まれているだろう。街には、悪魔もいるかもしれない。だけどね、君が僕を傘に収めてくれたように、僕が君を傘に収め返したように、世界は優しさで溢れている。それは、無意識的で、ほんの些細なものかもしれないけど、それが沢山集まって、世界は成り立っているんだ。全ての悪事がそうとは言えないけれど、もしかしたら、誰かを思った結果、悪事に手を染めたり、嘘を吐いたりしてしまうのかもしれない。でも、優しさが根源にある限り、それは償える悪なんだよ」


 彼女はずっと僕を見ていた。黙ったまま、色のない目を大きく開いて、僕を見上げていた。


 彼女は何と思ったのだろうか。僕の話を聞いて、生意気だとか、単なる詭弁きべんだとか、そんな事を思っただろうか。


 でも、今はそれでもいい。いつか僕の話を聞いて、彼女も何かを感じてくれればいい。そして、やがてその感情が、他人への興味や関心に変わってくれれば、僕は幸いだ。

 



 雨が降り出してから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。夏の雨は、いつも通り雨のようで、往々に短時間で止む事がある。今降っている雨も、ただの通り雨だったらしく、一時は強まった雨脚が、今はもう止みそうな程弱まっていた。そして、そんな静まり始めた雨音に混じり、少女の小さな声が響く。


 「優しさか……」


 その声音は、彼女としては珍しく、楽しさはなく、勿論残忍さもなく、何となく寂しげで、しっとりとしたものだった。


 僕はそこに彼女の「正常さ」を感じた。彼女は、表面上、狂人的な少女だったが、実はその深層部には、ただ単に世界に馴染めない自分を否定し、それを他者のせいにしている自身への嫌悪感があったのではないか。


 それはつまり、「まとも」への憧れで、自らも狂人ではなく、美しい世界を美しいと思えるような、まともな子供になりたいという希望なんだと思う。それは、僕も同じで、僕と彼女は性根の所では、同じ子供だったのだ。


 彼女は、そんな僕の憶測を、まるで心の耳で聞いていたかのように、ゆっくりと何度か頷いた。


 「そうだよね……。そうなんだよね……」 


 彼女の湿っぽい髪や衣服は、肌に張り付いていて、その白肌は、水分と熱を纏い、闇夜に煌きを放っていた。それは、とても繊細で、とても儚く、同時に色っぽい。だけど、そこにいやらしさはなく、人としての純粋さや無垢であるが故の美しさがあった。


 だから僕は、それに触れたくて、彼女へと手を伸ばす。しかし、僕が彼女に触れる直前に彼女が言った。


 「ねえ、言ってなかったけどさ……。君、何か勘違いしていない?」


 「……えっ?」


 僕は唐突な話に思わず手を止めた。そして、目の前の彼女を改めて見てみる。


 彼女には、確かに艶っぽさはあった。でも、僕を見上げる大きな目は、依然として色はなく、漆黒のそのもので、やはり冷酷だった。


 「さっきさ、優しさだとか、現実だとか、妄想だとか、言ってたけどさ。それって、全部どうでも良いんだよね。だってさ、『ここ』は私の世界なんだもん」 


 「私の世界?」


 「そう。私の世界。この雨も、その傘も、この路地も、街も、全部私の世界なの」


 相変わらず、彼女の話は理解不能だった。私の世界とは、どういう意味だろうか……。


 「だからね、この世界で誰が死のうが、生きようが、そんなのはどうでも良いの。優しさなんて、全部嘘。だって全部が私の妄想なんだから。空想なのよ、ここは」


 「い、言っている意味が分からないんだけど……」


 何故か背中が粟立ってきた。彼女は一体何の話を始めたのか。それを考える事がとても恐ろしかった。 


 「だからさ、ここは私の妄想世界なの。つまり、ここにいる私以外は、全部架空の存在なの。創造されたものなのよ。だから、君も架空の創造物でしかないんだよ」


 「えっ? 僕が……架空?」


 全く以って理解できなかった。確かに、彼女から見れば、僕は流れていく風景かもしれない。


 でも、彼女の言い草は、僕が風景の一部であると言うより、そもそも僕は存在しておらず、自分だけがこの世界で唯一無二の「現実」であると言っているようだった。


 そして、彼女は、いつものように鼻梁に皺を寄せ、悪戯に笑うと、僕が架空の存在である事を、決定づける言葉を口にした。


 「だってさ、君、自分の名前も知らないでしょ?」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ