35 ボスのあいさつ
兵舎の前には、門番はいない。
俺を持ち上げたナックルが近づいていくと、門の奥にある扉が開いた。
「止まれ!」
ナックルが止まる。
「……おれっす、ナックルです!」
「ナックル? ……それは、どういう状態だ」
扉の中からの声は、困惑している様子だ。
角度的に俺からあまりよく見えないけど、俺が知らない人だろう。
「いろいろあって、ちょっと、中で説明するんで、いったん、中入ってもいいすかね」
「あ、ああ……」
屋根の下に入ると、剣は落ちてこなくなった。
俺は久しぶりに自力で立ち、広間に入っていく。
広間には隊長、アリンさん、他に五人の男がいる。
全員遠征兵なんだろう。
「よくもどりましたね。アリンさんから、不審人物を捕まえたという報告を受けたあと、連絡が取れなくなっていましたが……」
隊長が言った。
あとはいまも、ガラス製と思われる小部屋にアナがいた。
「今日もからっぽね」
と俺にひとこと。
「いままでどこに?」
隊長は言った。
「隊長さん! いま、王都を攻めてるのは、ボスです」
俺は急いで言った。
「ボス?」
「あの話したとき言いましたよね? 俺がコッサで会った、ボスって呼ばれてる男がいて、変な道具を使ったり、俺を樹海にとばしたりした。あのボスが来てたんです! この町に!」
「本当ですか?」
「ナックルと追いかけたら、俺たち転送されて、だから大変だったんですけどなんとかいまもどってきたんです。ボス、あの人、なんか、世界をめちゃくちゃにするのが自分の目的で、そのためにはあの少年がいる、みたいなこと言ってたんですよ! 少年を開放したい、とか! だからまずいんですよ!」
「……ええ……それはつまり、かんたんにいえば、世界の平和を乱したいと?」
「そうです!」
わかりやすい!
「ボスは、王都がほしいというわけでない?」
「はい! 世界を、めちゃくちゃにしたいだけみたいです!」
隊長はあごに手をやった。
「……だから、王都を攻めるにしては、統率が取れていない……?」
隊長は俺を見た。
「ということは、ボス、は魔道具も多く持っているわけですね?」
「はいたぶん!」
「では……、ナックルには急いで前線まで行ってもらって、透視してもらいましょう。できるだけ、相手側の持ち物を見ていって、今後なにをしようとしているか見破るために」
「うす!」
「一般の人たちは闘技場へ避難してもらっていますので」
「もう見たっす! そのへんに散らばってる脱走囚人も、指示出してなんとかしますわ!」
隊長がうなずく。
「ちょっと待て。結局、お前は何者だ」
遠征兵のひとりが俺に言う。
「え? 俺は、別にふつうの」
「全裸の男がふつうか?」
俺は股間を隠した。
彼の言葉に、俺がいま全裸であることに気づかされたのだ。
いくらそれが自然にそった姿であり、自分が自分でいられる格好かもしれないと思い始めたとしても、アリンさんならともかく、アナくらいの年齢の女の子に対して、全裸の男がぶらついているのはまずい。
そう、できる問題から解決していこう。
隠そう、股間!
「裸のそいつ、ナックルが持ち上げて、空から落ちてくる剣を防ぐ盾にしてましたよ」
「そうっす!」
ナックルが言う。
「は?」
「俺は防御力高いので」
「なんだそりゃ? 隊長、こいつはなんなんです?」
「彼は……」
隊長が迷う。
「彼は、スキルこそ持っていないが、君たちの世界を救ってくれる人間さ!」
声がして、ドアが開いた。
広間に入っていくと右手にあるドア。
俺が、隊長とコインの話をしたときの部屋だ。
家具は、ソファとテーブルだけの部屋。
そこから、男が出てきた。
「バイン君は、あなたがたにとって、大事な人ですよう? まったく困ったものだ!」
「誰だ貴様」
遠征兵のひとりが剣に手をかける。
「……ボス、です」
俺が言うと、隊長がききかえした。
「え?」
「隊長。あれが、ボス、です」
俺が言うと、ボスは隊長に軽く頭を下げた。
「はじめまして遠征兵の隊長さん」
「どこから……?」
「転送、っていう話題が出てませんでしたかねえ? それですよそれ。いや、なかなかこの兵舎、凝ったつくりになっていますなあ! また転送を使ってしまった! 出費がかさむかさむ!」
「……あなたが、囚人を開放し、混乱を引き起こしている張本人ですか?」
隊長はボスの様子をじっと見ている。
「そういう人間は、段階をふんで出てくるものだ。という考えがあるとしたら、思い込みですなあ。物事というのは、なめらかな曲線で変化しない。いつだって、階段のように突然、段、段、段、と変化していくのです。はっはっは!」
そのとき、バリバリ! という音と、光が。
見れば、いつの間にか、ボスの斜めうしろから、ヤリを突いた遠征兵がいた。
ただ、ヤリの先はボスの周囲に広がる光の層のようなものにはばまれた。
多少刺さっているものの、ボスには届いていない。
ボスは体をひねって、脇腹のあたりまできているヤリの先を見た。
「おー、五層くらいいってるねえ! やるねえやるねえ! さすが遠征兵!」
楽しげなボスの反応に、遠征兵はすぐヤリを引いて距離をとる。
「スキル? いや、魔道具か」
遠征兵が言う。
「魔道具でござーい。そして、もしものことがあっても、こちらで飛びます飛びます」
ボスは、胸ポケットから、ペンのようなものを出した。
「おわかりでない? 転送の、あ、魔道具でー、ございまするー!」
ボスの声がむなしくひびいた。
遠征兵は武器を構える。
「無口だねえー」
「……あなたがここに来た目的は?」
隊長は言った。
「いや、さすが隊長さん、話ができる! これが人間というものです! そこを言うと、そのへんの兵隊さんたちは、わたくしを殺すことしか考えてない。ああいけませんいけません。殺すことしか考えられなくなったら、人間も獣も同じ! 人間は、お話ができてこそ人間!」
「わざわざそんなことを言うために?」
「いやいや、重要なお話です。取引しませんか?」
「取引?」
「こちらも、少年がすぐ手に入ると思っていましたが、なかなか手に入らない。王都の守りのさっさと素早いこと! うろたえる人、傷つく人、逃げる人。そういう人も全然見られない。ああつまらない。このままでは、先行投資ばかりかさんでしまって、大損害です。つきましては、少年を引きわたしていただくよう、お願いにあがったしだいでございます」
ボスは、にやあ、と笑う。
「意味がわかりません。お断りします」
隊長はすぐ言った。
「いやあ、そんなにすぐにお断りされてしまうと、こちらもがっかりですなあ! ……そこをなんとか」
ボスは腰を曲げて、上目づかいで言う。
「なにをおっしゃっているのか意味わかりません。取引にもなっていない。少年をわたすことなどできません。そして、無事に帰れると思わないでもらいたい」
隊長も腰の剣に手をそえた。
「ま、こちらが提供するものを言ってませんからな!」
ボスはにっこり笑った。
「どんなものでしょう」
話をしている間も、遠征兵たちはボスのスキを狙っているようだった。
さっきのヤリだけで、五層と言っていた。光る壁の、半分くらい刺さったように見えた。
だったら、いっせい攻撃をかければ、一気にしとめられる。そう考えてるんじゃないだろうか。
「あっ」
そのとき、さっき突き刺したヤリの先がくずれはじめた。
みるみるうちに、先端の刃物部分がなくなり、棒になってしまった。
「そうですなあ……。手近な町に、剣の雨を降らせて楽しもうと思っているのですが、それをやめるかわりに、少年を提供してもらえませんかな? あちこちの村や、城でもかまいませんな。剣の雨を振らせていくのも、なかなか楽しそうです。そうは思いませんか?」
ボスは大きく両腕を広げ、はっはっは! と笑っている。
「どういう意味でしょう」
「言葉通りの意味です! 言葉通りの意味ですから、言葉通りの意味にとらなければならない!」
「そういった魔道具でも使うと?」
「いいえ! スキルですよ、当然! ご存知でしょう? 剣の前! いまも空に剣がある!」
「……わたしがあなたに協力すると?」
隊長の目が鋭くなる。
「まさか! あなたはそんな協力をしたりしないでしょう!」
「では……?」
隊長が、はっとしたようにアナを見る。
「アナちゃん。彼のスキルを教えてもらえるかい?」
「ええ。……あら? 空に剣をたくわえて、降らせることができるスキルだわ。まったく同じスキルなんてないのに、おかしいわ」
隊長の顔がますますくもる。
「……では、わたしのスキルは?」
「……あら? 変ね。隊長さんのスキルが、目が合った相手とスキルを交換してもいいスキル、に変わっているわ」
「神になる少年もいいですが、この、剣の雨というスキル。なかなか魅力的ですなあ」
ボスが笑っていた。




