8 偽物の大根役者
次の休み時間、関わらないと決めたばかりなのに雅雄はツボミを目撃した。ただし、今度は観客なんて一人もいない場所である。舞台上ではなく、舞台袖でさえない。ツボミがいたのは、人気のない旧校舎の一角だった。
旧校舎はマイナーな文化部の部室に使われていて、日中はほとんど人の出入りがない。そのため雅雄は、旧校舎のトイレを愛用していた。連れションは雅雄の趣味ではない。どうにも人がいるところだと落ち着かないのだ。小学校のときいたずらでトイレに閉じ込められたトラウマがあるからかもしれない。
いつものように雅雄は旧校舎二階のトイレで用を済ませようとするが、故障中の張り紙が入口に出ていた。
「面倒だなぁ……」
やむなく雅雄は三階に上がる。三階の教室は物置になっていて、部室としてさえ使われていない。掃除が行き届いていないため埃っぽい廊下を歩き、雅雄は奥のトイレに入る。
「うわあ……」
思わず雅雄は顔をしかめる。男子トイレは全く掃除がされていないらしく、えげつない汚さだった。便器は黄ばんでいるし、床のタイルも真っ黒だ。トイレっぽい臭いが全くしないのが逆に不安である。もう長い間、使われていないのではないか。
それでも、人がいない快適さには変えられない。トイレは学校で雅雄が一人になれる唯一の場所なのだ。一応確認するが、人の気配は一切ない。雅雄は普段通りにゆっくりと用を足してから出ようとする。
だが雅雄が便器から離れたところでガタン! と耳障りな物音が響く。雅雄はその場で立ち止まり、おろおろと周囲を見回す。何か物が倒れた様子はない。とすれば、音の発生源は隣だ。
(女子トイレに、誰か入ったのか……?)
それしか考えられない。まさかこんな辺境のトイレを訪れる者がいるとは。雅雄と同じように人目を避けたい人なのだろう。
だったら雅雄がいるのも気取られたくない。女子トイレから人が出てくる前に立ち去ろう。雅雄はサッと手を洗い、そそくさと男子トイレを出る。
ところが、これが間違いだった。雅雄は女子トイレの人物とばったり鉢合わせる。雅雄の早とちりだった。彼女はトイレに入ったのではなく、トイレから出ようとしていたのである。
「えっ……」
「あっ……」
雅雄に続き、ツボミも声を上げる。スカートと短パンを脱がせてしまった件があるので気まずい。メガミ立ち会いのもと、お互いに一応の謝罪は済ませているが、そんなものは気休めにもなっていなかった。
雅雄は思わず目を伏せる。事故が起きたときにしっかりと目撃していた彼女の健康的な太ももが目に入った。太いというのではなくて、ほどよく筋肉がついて引き締まっている。小柄なメガミや静香とは全然違う。なんていうか、これはこれでいい。目が吸い寄せられてしまう。
(いや、僕は何を凝視してるんだ……)
雅雄は軽く首を振って煩悩を振り払うが、ツボミは全く雅雄の視線に気付いていなかった。
「き、奇遇だね! どうしたの? こんなところで?」
目を泳がせながらもツボミは尋ねてくる。正直、雅雄はこの場から走って逃げ出したいと思っている。それはきっとツボミも同じだろう。しかしツボミには恥も外聞もあるので、そんなことはできない。とりあえず何事もなかったかのように雅雄と会話しなければならない。
「ちょ、ちょっとこっちに用があって……」
「そ、そうなんだ。ボ、ボクも先生に備品の在庫チェックを頼まれててね。こんなところ、いつもは来ないんだけど……」
雅雄は口から出任せを答え、ツボミは訊かれてもいないのにペラペラとこちらにいた言い訳を始める。無駄に早口で聞き取りづらいが、何を言ってるかなんて聞いていなくても問題ない。ああ、自分と同じなんだな、と雅雄は思った。
(多分、香我美さんはいつもここのトイレを使っているんだ……)
そしてたまたま三階まで上がった雅雄と鉢合わせしてしまった。理由なんてわかりきっている。人目を避けるためだ。女子はトイレにたむろするので、一人だと悪い意味で目立ってしまう。ツボミはそのことが我慢ならないのだと思われる。
個室を使えばウ○コマン呼ばわりされる小学生男子じゃあるまいし、堂々としていればいいのに。しかしツボミにとって普通のトイレを使うのは、小学生男子が個室を使おうとするのと同じくらいにリスキーな行為なのだろう。
(なんて言うか……。この人は偽物なんだなぁ)
本物の主人公なら、つまらないことを気にして旧校舎を訪れたりしない。一人でも堂々としているだろう。外見は派手で、義侠心もある。でも、ツボミは背伸びをしているだけなのだ。上っ面を繕っているだけなのだ。
本物の力を持っているメガミとは、全然違う。ツボミはただ幼いだけの子どもでしかない。魔法少女の力を別にしても、メガミは自然体で何でもできる。メガミと比べれば、ツボミはただのピエロだ。