6 二人と雅雄
「はぁ……。酷い目に遭った……」
昼休み、廊下を歩きながら雅雄は一人つぶやく。今朝の一件のことなど、まるでなかったかのように教室は平和だった。今日の午前中は移動教室が多く、休み時間にくだらない話をしている暇がなかったのが幸いしたのだろう。
おかげで、いつもどおり雅雄に話しかけてくるクラスメイトなんて全くいない。「好きな人がいる」なんて宣言してしまったのでもっと何か訊いてくるかと思っていたが、全然そんなことはなかった。
(別にいいんだけどね……)
訊かれたいと思っているわけではない。でも、ここまで誰も構ってくれないと、無視されているようであまりいい気はしない。雅雄にしては勇気を出した告白だったのに。
(ま、僕は所詮モブだから……)
モブでしかない雅雄は、一歩くらい踏み出したところで何も起こせはしない。当然の帰結だと思えた。きっと主人公なら、それだけの力を持っている者なら、一歩の前進で奇跡を掴み取れるのだろう。そして自分の力で運命を切り開く。できない雅雄は、いつも通り周囲の動向に流されるだけだ。
雅雄がそんなことを考えていると、静香がやってきた。雅雄と静香は家が近所で小さい頃から知り合いだった幼馴染み同士であるが、友だちというわけではない。むしろ小さい頃は下僕と主人の関係で、雅雄は今でも静香に声を掛けられるとビクッとしてしまう。
「雅雄、今朝はよくやったわ、百二十点よ」
「全部静香ちゃんの仕業だったの?」
雅雄は尋ねる。ツボミのスカートと短パンを脱がすというのは、静香の想定を超えていたらしい。なら、ツボミとトラブルになるというのは最初から想定に含まれていたのではないか。
「まあね。あの子のラブレター捨てておけば、あの勘違い女が怒鳴り込んでくるのは予測してたわ。恥をかかせてやろうと思ってたけど、雅雄のおかげで想定以上よ。よくやったわね」
静香はよしよし、と雅雄の頭を撫で、雅雄はビクッと身を震わせた。本当に心臓に悪い。正義の番人であるはずの警察官の娘がこの邪悪さだ。なぜと思わずにいられない。以前に訊いたときには「蛇の道は蛇よ」と答えられた。正義だからこそ悪に精通していると言いたかったのだろう。……悪に染まることはないだろうに。
「静香ちゃん、香我美さんと仲悪いの?」
「話したこともないわ。でも、むかつくじゃない? あんな派手な格好して、王子様を気取っちゃって」
「ああ、なんていうか……個性的だったね」
雅雄はツボミの姿を思い出す。一人だけ物語の登場人物のような、凄い格好をしていた。
「あいつ、目立ちたくて仕方がないのよ。後輩の女の子なんかはツボミ様~! なんてキャーキャーいってるけど、馬鹿そのものだわ。『王子』ってあだ名だっただけなのに」
奇抜な格好をして大胆なことをするツボミを、同級生が冗談交じりで『王子』と呼び始め、本人もその気になってしまったということだった。ピエロである。まあ、『姫』と呼ばれるよりは痛くないかもしれない。
「そうなんだ……」
静香はツボミのことをかなり気にくわないと思っているようだった。これはろくなことにならない。ツボミとはあまり関わらないことにしよう。
「でも私、雅雄が女の子の格好するなら応援するわ! 雅雄はとってもかわいいもの! ねえ、昔みたいにやってみない? あのときの雅雄、凄くかわいかったわ……」
静香はうっとりとした笑顔を浮かべる。昔みたいにって、小さい頃に静香が雅雄に無理矢理自分の服を着せていただけではないか。
「え、遠慮しておくよ……」
雅雄は顔を引きつらせながら全力で首を振った。
静香が去った後、入れ替わるように次はメガミが来た。
「やあ、雅雄君! お元気かな? 朝は大変だったね~!」
「う、うん。元気だよ。メ、メガミが助けてくれたから……」
雅雄がうなずくと、メガミはちょっとだけ背伸びして雅雄の頭を撫でてくる。静香と同じことをされたけど、身を震わせたりはしない。むしろ少し心臓の動悸が収まった。
「よしよし、いい子だね! やっぱり雅雄君はかわいいな!」
メガミの「かわいい」という一言を聞いて、雅雄は少し表情を強ばらせる。雅雄は線が細い童顔で、小学生の頃しょっちゅう女の子と間違えられていた上に、静香に女装をさせられていた。「かわいい」なんていわれるとトラウマが刺激される。
雅雄の内心を知ってか知らずか、メガミは話を進めていく。
「あんまり香我美さんのこと責めないでね。彼女、いい子なんけど、ちょっと頭に血が昇りやすいんだよ~!」
いや、木刀を持ち出してくるというのは短気にしてもやり過ぎではないだろうか。雅雄はそう思ったが、正反対のことを口にする。
「そ、そうだね……。誤解だっていうこと、わかってくれたみたいだし……」
「雅雄君ならそう言ってくれると思ってたよ~! そ、そういや雅雄君! あ、あのとき好きな人いるっていってたけど、本当なの?」
それを訊いてくれる人がいたとは。メガミは興味津々な顔をしている。でも、まさか「あなたです」というわけにもいかない。雅雄は作り笑いを浮かべ、適当にごまかした。
「いや、流れ的にそう言わなきゃ許してくれない感じだったから……。今はそういうこと考えてないから、断っただけだよ」
なんだか勘違い男のような頭の悪い台詞を吐いてしまったような気がする。雅雄は軽く自己嫌悪に襲われるが、メガミはいつもと変わらずニコニコして受け入れてくれる。
「そ、そうなんだ! ところで雅雄君は、もう風の谷のダンジョン攻略し終わった?」
メガミが尋ねてきたのは先日発売したばかりの大作RPGについてだった。ソシャゲや携帯ゲーをやる人は多かったが、据置のマイナーな機種まで網羅しているのは雅雄くらいのものである。「人を楽しませようとしている感じがイイ!」なんていって、据置中心に何でもやるメガミについていけるのは、この中学校では雅雄しかいない。
「うん、どうにかね」
メガミと話ができるというのが嬉しくて、ニヤニヤしてしまいそうなのを抑えつつ、雅雄はうなずいた。メガミはかわいく首を傾げる。
「あれ、中ボスに全然勝てないんだけど、どうすればいいのかな?」
雅雄はどもりながらも答える。
「あ、あの中ボスには聖水が効くんだよ。ダンジョンの中にいくつか落ちてたでしょ?」
「なるほど! そういうつながり方をするんだね~!」
メガミはポンと手を打った。直前の村の民家にいるNPCからヒントをもらえるのだが、メガミは見落としてしまっていたのだろう。メガミはゲームでも何でも要領よく進めるが、ゲームだと要領がよすぎてヒントを取りこぼすことがあった。そういうときは同じく攻略サイトをできるだけ見ない組で、要領が悪すぎる雅雄の出番である。
「ありがと~! 今日、それでやってみる! また詰まったら教えてね!」
手を振りながらメガミは去っていった。雅雄もぎこちなく手を振ってメガミを見送った。
しかし雅雄はメガミがこの後何をするのか知っている。やることがないので、雅雄はメガミの様子を観察してみることにした。雅雄はこっそり屋上へと向かうメガミの後をつける。大丈夫、ばれることはない。変なところでメガミは抜けているのだ。