1 いよいよ開演
「そろそろ出番かぁ……。緊張するね……」
きらびやかな衣装に身を包んで王冠をかぶり、剣を携えたツボミは自分の胸に手を当てる。もちろん、剣や王冠に本物の重みはない。紙やらプラスチックやらで作られた模造品だ。衣装屋から借りてきたものである。結構いい値段がしたと綺羅々は言っていた。
ここはワールド・オーバーライド・オンラインの世界ではなく学校だ。体育館で待っているのはオープンスクールに訪れた小学生たちである。雅雄とツボミは、用意された楽屋で自分たちの出番を今か今かと待っている状態だ。雅雄はお姫様のドレスを着て、ツボミは勇敢な王子様の格好をしている。
「だね……」
雅雄も、非常に緊張している。果たして、この状況でいつも通りやれるのだろうか。背中から汗が止まらない。かぶっているウイッグが首筋に貼り付いて気持ち悪いし、真っ白なドレスは汗で濡れて透けてしまわないか気になる。
「お兄様、安心なさい。もしお兄様がトチったりしたら、代わってあげるから」
どこからか声が響き、ミヤビがぴょこんと机の上に飛び降りる。人間サイズではない。身長10センチくらいだろうか。
ミヤビはワールド・オーバーライド・オンラインの中と同じように真っ赤なドレスを身に纏っていた。ちょっとしたフィギュアのような感じである。雅雄の中に戻ったことで、こうして現世で外に出られるようになったのだった。
本人に聞いた話では、メガミにとってのピヨちゃんと同じらしい。ワールド・オーバーライド・オンラインで雅雄の魂が成長した結果、現世でも多少は魔力を行使できるようになった。その結果、ミヤビは雅雄の魔力でミニサイズの体を作り、外に出られるようになったということである。
ワールド・オーバーライド・オンラインの中で雅雄は相変わらず『Lv.1 無職』でMP0なので、いまいちピンと来ないが、MPは関係ない。アバターを動かしているのは魂が発する力──魔力なのだ。アバターで人間離れした動きができるのも、剣でモンスターを両断できるのも、魔力を使っているから。別に魔法以外にも使える。雅雄の魂はミヤビに小さな体を与える程度なら楽勝というくらいまで強くなっていた。
ちなみにツボミは自分も魔力を使えるか気になったらしく、「ひょっとしてこっちでもアバターを呼び出せたりする?」と訊いていた。それに対するミヤビの答えは、「できなくもないと思う」。……こっちで暴れたりする気はないと思うが、なんとなく不安になるのはツボミを信用しなさすぎだろうか?
ミヤビが現世で出てくるのには驚いた。しかし、それも最初だけで、慣れればどうということはない。他の人に見つからないように、気をつけなければならない、というだけである。
「ハハハ……。もし僕が固まっちゃったりしたらお願いするよ……」
ミヤビの申し出に雅雄は乾いた笑いを漏らす。あまり洒落にはなっていない。充分にありえる未来だ。
「お兄様ったら、仕方ないわね! いざとなったら私がなんとかするから、大船に乗ったつもりで舞台に出なさい!」
机の上で、ミヤビは雅雄を見上げてない胸を張った。できるだけミヤビの世話にならないようにがんばろう。
ミヤビは雅雄の胸に飛び込み、吸い込まれるように雅雄の中へと戻った。この状態でも、一応雅雄と話はできる。やがて、雅雄たちの出番は来た。
「……ここまで運動部を紹介してきましたが、本校では文化部でも他の学校にない珍しい部活に入り、高等部の皆さんと活動することができます。それでは演劇部の皆さん、お願いします」
司会の生徒会役員の声に従い、いったん舞台の幕が下ろされた。先輩たちは手早く書割などを設置し、雅雄は手はず通りに模造紙で作られた檻の中に入る。同時に幕が上がり始め、雅雄の目に観客たちの姿が飛び込んでくる。
観客といっても、集まっているのはオープンスクールにやってきた小学生たちだ。生意気そうなのが体育座りで床に数列、並んでいた。
制服で来る義務はないので全員私服で、無駄に楽しそうにしている。あくまで単なるオープンスクールであり、入試の前哨戦などでは全くないので、緊張感はない。小学生たちはさっそく仲良くなっているようで、隣り合った者同士、ポツポツとお喋りしていた。
「……」
ごくりと唾を飲み下し、慌てて雅雄は背を向けた。どうにも賑やかな雰囲気である。劇が退屈だと盛大にお喋りが始まりそうだ。
小学生たちは、大人しくしていてくれるだろうか。劇を観ずに喋っていてくれるならまだマシで、野次を飛ばされたり走り回られたりするかもしれない。そんな学級崩壊のような状態になったら、どうすればいいのだろう。
急速に雅雄は不安に包まれるが、背後から声が響いた。
「私は勇者ソランの子孫にしてシルヴェストル王国の王子! 立ち塞がる幾千、幾万の困難をばったばったと斬り伏せ、たった今、魔王さえも倒しました! そして囚われの姫! ついにあなたを助けに参りましたぞ!」
雅雄はゆっくりと振り返る。ツボミは練習していたとおり、コミカルな仕草を見せる。私語に興じていた小学生たちは一気に静かになる。ツボミの格好や動きを見て、少し忍び笑いを漏らした者もいた。
ツボミは穏やかな顔で、雅雄の方を見ていた。ああ、そうか。練習の通りにやればいい。それだけなのだ。先輩たちは、観客となる小学生がこの劇を楽しめるようにちゃんと仕上げてくれている。
「あらあら、あなたが今度のお世話係ですか? 賑やかなお方ですね」
雅雄は笑顔を浮かべて振り返り、覚えているとおりの台詞を言う。もう、緊張なんてない。雅雄の目に映っているのは、王子様の格好をしたツボミだけだ。雅雄は、体の内側から出てくる言葉に身を任せた。




