13 先輩たちの舞台
翌日、隣の市の市民会館まで出た雅雄は、ガチガチに緊張していた。クーラーが効いているのに、だらだらと汗が止まらない。常温で放置され、溶けきったアイスのようである。頭が真っ白になってしまいそうだ。
人で溢れかえった入口のフロアで、思わず雅雄は演劇部部長・綺羅々に尋ねる。
「ほ、本当にこんなところでやるんですか? お客さんがいっぱいいますよ……?」
我ながら、バカな質問をしていると思う。さすがのツボミも平静ではいられないらしく、今日はフォローしてくれずに黙り込んだままだ。しかし綺羅々はニコニコと笑顔さえ見せている。
「んん~? 当たり前じゃん。いつもこんなもんだよ」
綺羅々はいつもの笑顔のまま首肯する。近隣の高校や大学と共同での一般講演ということで、雅雄は部員の父兄がまばらに観に来るくらいの規模だろうと想像していた。ところが、どういうことだ。明らかに一般の来客と思われる人々が多数いる。
圧倒的にレベルの高いプロ野球やメジャーリーグではなく、甲子園を好む人たちがいるのと同じらしい。演劇の世界でも学生特有の熱気や未成熟さを短い時間で爆発させる学生演劇に魅力を感じ、ファンになっている人たちも多いということだ。
使用する会場も脇の小ホールなんかではなくて、メインの大ホールだった。1階を覗くと、広い観客席はほとんど埋まっている。学生の演劇に、ここまで人が集まるなんて初めて知った。雅雄だったらこんな大人数の前に立つだけで卒倒して失神する自信がある。
楽屋に荷物を運ぶのを手伝うときさえ、雅雄は緊張した。周囲は綺麗な衣装に身を包んだ人たちばかりで、私服姿の雅雄が酷く浮いて見える。楽屋では先輩たちもピリピリしていて、雅雄は話し掛けることもできなかった。
劇が始まるのに楽屋に留まるわけにはいかない。雅雄とツボミは楽屋からいそいそと退去し、ホールの二階席に向かう。一階は満員御礼だったが、さすがに二階はちらほら空いていて、雅雄とツボミは席を確保できた。
うちの演劇部の公演は、一番最初である。出番が終わり次第、雅雄たちも引き上げて片付けを手伝うことになっていた。先輩たちは「ぜひ全ての公演を観てほしい」と言っていたが、雅雄もツボミも自分のことで精一杯である。多少、残念ではあるが今日は先輩たちの公演だけ観て引き上げるつもりだ。
席に座り、やっと一息ついた。雅雄はポツリと漏らす。
「なんだか、疲れちゃったね……」
「だね……」
ツボミも同様に息をつき、席に身を沈める。早起きして人混みの中を走り回ったせいで、わりと体力的に限界だ。先輩たちには悪いが、雅雄もツボミも劇の途中で寝てしまうかもしれない。
緞帳が上がる。ホールの照明が落ちて、舞台上だけが照らされた。なんとなく眠気が誘発され、雅雄は自分の太ももを自分でつねって耐える。いきなり寝るのはいくらなんでもまずい。寝るなら、せめてもう少し経ってからにしよう。
しかし、雅雄が夢の世界に旅立ってしまうことはなかった。雅雄の目は、舞台上の一人の少女に奪われる。
出てきたのは、綺羅々だ。全く売れないまま三十路を迎えてしまったアイドルという役どころ。それっぽく見えるように濃い化粧をして、ダメージジーンズにワンピースを合わせている。2000年代の女性歌手のようだ。雅雄にはよくわからないが、手にしている古びたバッグも多分一昔前のブランドなのだろう。服もバッグも、いい感じにくたびれている。
格好もそうだけれど、仕草でおばさん感をうまく出していた。腰をトントンと叩いてふぅ、と疲れたため息をついていたりする。どちらかというと快活な美少女である綺羅々がやると、ほとんどコントだ。観客席からは静かに笑いが漏れた。
コミカルに舞台上を歩き回った後、突然綺羅々は台詞を叫び出す。
「私、星川ロミ! 世界一のアイドルを夢見る永遠の十六歳! みんな~、愛してるよ~!」
突然元気よくキレッキレの動きでポーズを決める綺羅々を観て、観客は爆笑する。舞台上ではそこに男子部員が扮する小学生がスキップで登場した。小学校の制服姿でランドセルを背負っているが、背は高いし毛むくじゃらだしで全く小学生には見えない。会場に今一度、笑いの渦が起きる。
男子部員は、真面目な小学校低学年という感じで綺羅々を注意する。
「おばさん、道の真ん中ではしゃいでいたら危ないですよ」
もういけない。男子部員のクソ真面目な声を聞いて、会場はさらに大きく爆笑した。雅雄もツボミも、眠気なんてもう吹っ飛んでいる。
「私は将来の夢のためにがんばってるの! そこのぼくには将来の夢がないのかな?」
「ぼくの将来の夢は公務員になって安定した生活をすることです。自分の夢を理由にして、他人に迷惑を掛けてはいけませんよ」
おばさん役なのに綺羅々は子どもっぽく頬を膨らませて地団駄を踏み、小学生役の男子部員は大人が子どもに言うかのように諭した。会場は笑いっぱなしである。
「できそうなことの中から選んだものを夢と呼ぶなんて、私にはできない!」
「できもしないことをやり続けるのは、大人がやることじゃないですよね。現実を見ましょうよ」
終始コメディー調でストーリーは進んでいきながらも、「夢」というテーマが着実に掘り下げられていく。全く飽きることなく、観客の誰もが舞台に没入させられる。おばさんと小学生は、短い時間の中で奇妙な友情? を育んでいった。
高校演劇の時間は短い。やがて車に轢かれそうになった小学生の身代わりに綺羅々がはねられてしまうというシーンで、劇はラストを迎える。
「どうしてぼくの身代わりに……! 夢があるんじゃなかったんですか、おばさん!」
「私、知ってるよ……! この世には、夢よりも大事なものがあるってこと……! だから、いいの。私はアイドルにはなれなかったけど、星になるの……! だからあなたも、本当の夢を叶えてね……!」
「はい! ぼくは絶対、……になります!」
そうしておばさんが死んだところで、舞台の幕が下りる。急転直下の展開で、泣き出す観客さえいた。興奮冷めやらぬまま、先輩たちの舞台は終わった。




