7 死者の谷へ
「冒険者なんかやめて、私と一緒にこの村で暮らそう! 私、雅雄のことが好きなんよ……! 雅雄、私と結婚して!」
「えっ……?」
シノの言葉で、雅雄は無茶苦茶に驚く。まさかそんな話を受けるとは思っていなかった。というか、プレイヤーとNPCが結婚するなんてことが可能なのか? シノは雅雄の疑問を察して言う。
「……東方には、冒険者と結婚した村娘がいるって話を聞いたことがあるんよ。その冒険者は勇者様になって天に昇ってしまわれたけど、その子どもはまだ村に残ってるはずなんよ……」
「……」
前回のゲームの優勝者は、NPCと結婚していたということだろうか。雅雄には帰るべき現世での肉体があるので、こちらに永住することはできない。
いや、本当にそうだろうか? ログアウトしなければ次回ログイン時にペナルティがあるだけで、強制ログアウトが行われるなんていう話は聞いたことがない。雅雄の魂は現実の肉体と変わらないアバターに宿っている。現実の肉体が死んでも、アバターが生きてさえいれば、この世界で生きていくことが可能なのではないだろうか。
ならば実は、現実世界にこだわる必要なんて全くないということになる。ツボミのことなんて忘れて、この世界に留まり、シノと一緒に暮らし、たまに死なない程度の冒険をする。少なくとも、自分の命を賭けて戦う必要はどこにもなくなってしまう。学校に行く必要もなければ、真面目に勉強する必要もない。とても魅力的な提案に思えた。
「……ごめん。僕は自分がどうなっても、ツボミを蘇らせたいんだ」
恐怖に負けてはいけない。楽な方に流されてもいけない。声に出すことで、雅雄は自分の迷いと甘えを振り切る。
シノはこちらの世界で、ツボミに次ぐパートナーといっても過言ではない存在だ。大事じゃないわけがないし、かわいくないわけがない。シノとずっと一緒にいられたら。ゲームを始めたばかりの雅雄は、ずっと期待していた。それでも雅雄はツボミを選ぶ。そういう自分でありたいから。
「雅雄のバカ! ……大好き」
涙ぐみながらシノは雅雄を抱きしめる。小さなシノの体は温かくて、シノの涙は熱くて。それでも雅雄が目指すのは、恐怖に満ちた冷たいダンジョンだ。
シノから〈身代わりのお守り〉をもらった後、いよいよ雅雄は死者の谷を目指す。道中にもモンスターは出るはずなので油断はできない。かなり久々な一人旅で、雅雄は警戒しながら街道を進むが、一切敵は現れなかった。逆に不気味である。
やがて雅雄は死者の谷に到着した。その名の通り、左右にごつごつした高い崖が屹立した深い谷である。どこもかしこも岩場で通れないが、川沿いから侵入することができそうだ。雅雄は川沿いの細い道に回る。
「……遅かったでござるな」
「え……? どうして君がここに……?」
岩陰から姿を現したユメ子を見て、雅雄は足を止める。まさかユメ子が、ここまでのモンスターを狩り尽くしていたとでもいうのか?
「もちろん雅雄殿を待っていたのでござる! ニンニン!」
ユメ子は楽しそうにノリノリで印を切るが、雅雄は首を傾げるしかない。
「僕を待ってどうするっていうのさ……?」
PKでもする気なのだろうか。それならカモだろうが、わざわざダンジョンの前で待つ必要はない。村から出たところを襲えばいいだけだ。
雅雄がユメ子の意図を計りかねていると、ユメ子は何やら紙の束を雅雄に渡してくる。
「? 何これ?」
「このダンジョンの地図でござる! ニンニン!」
雅雄が内容を確認する前に、ユメ子は言った。雅雄は紙束に目を落とし、しげしげと眺める。なるほど、確かに地図だ。どこをどう進めば奥まで行けるか、どこでどんなアイテムを入手できるか、詳細に書いてある。隅の方には、ボスの攻略情報まで細かく載っていた。いったいこんな貴重なものをどこで手に入れたのだ。
「それからこれも、受け取るでござる。これは雅雄殿の分でござる」
ユメ子はゴールデン・スカイ・タワー頂上にあった〈金の鍵〉を雅雄に渡す。撤退の際に、雅雄の分も取っておいてくれたのだった。助かるといえば助かるが、やってもらいすぎな感はぬぐえない。
「……どうして僕に、地図を?」
地図の入手元を訊いても教えてはくれないだろう。せめて雅雄に何をさせたいのかは聞いておかなくては。
「……拙者は弱い者の味方なのでござる。そして、拙者の目的を達成するためには、このダンジョンの攻略が必須なのでござる! それではご健闘を!」
ユメ子は忍者のスピードでいずこかへ走り去ってしまう。ユメ子の目的とは何なのだろう。全くわけがわからない。まさかでたらめな地図ではめようとしているわけでもあるまいし。いかに雅雄に不利益なことをしてもユメ子にはメリットがない。逆に雅雄を助けても同じだ。
「でもまあ、これがあれば……!」
死者の谷攻略に一歩近づいたのは事実だ。1%の可能性が、5%くらいには上がった。ユメ子が何をたくらんでいるかなど知ったことか。雅雄がやるべきことは一つである。雅雄は地図をしばらく読み込んだ後、覚悟を決めて死者の谷に足を踏み入れた。




