3 諦めないこと
結局、雅雄はメガミが用意してくれたサンドイッチを一欠片たりとも食べることができなかった。メガミは雅雄に気を遣ってかその後もいろいろと話し掛けてくれたが、雅雄はずっと上の空で、全く耳に入らない。最終的に体調不良ということで雅雄は早退することになり、メガミはその段取りを全てやってくれた。
帰宅した雅雄はベッドに倒れ込んで眠る。昨晩眠れなかったなりには休んだはずだが、数時間の間雅雄は目を覚ますことなく沈んだように眠った。
夕方頃に雅雄は空腹で目を覚ますが、何もする気が起きない。ベッドの上で半身を起こし、ボォッとしているばかりだ。
いつもならツボミが来ていて、一緒に夕食の準備をしている時間帯である。二人きりにもかかわらず賑やかに会話しながら、楽しくわいわいと準備をしていた。
もう昨日までの光景が戻ることはない。ひとりぼっちの部屋はやけに広くて、静かだ。自分一人で食事の準備をしなければならないけれど、体が重い。ベッドから出ることができない。
(僕は何をやっているんだ……。ツボミと会う前に戻っただけなのに……!)
時間が解決する。すぐに慣れる。きっとそうだと思うけれども、今現在動く気力もないという現実はいかんともしがたい。自分の半身を失ったような、胸から心臓を抜き取られたような、耐えがたい喪失感が雅雄を苛み続ける。
ふいに、机の上のデスクトップ型PCが目に入る。その瞬間に雅雄は立ち上がった。あの世界で手に入れられるものがあるなら。1%でも可能性があるなら。希望的観測が、むくむくと頭をもたげて大きくなっていく。理性がそんなことはありえないとささやいているが、止まらない。
(もしかしたら……取り戻せるかも知れないから……)
雅雄はふらふらと夢遊病患者のようにパソコンの前に行き、電源を入れる。こんなことをしても何にもならない。わかってはいるが、止められなかった。
だって、ツボミに好きになってもらえたのは、雅雄が諦めなかったからなのだから。潔く諦めるなんて、雅雄は死んでもできない。自然と雅雄の目尻に涙が浮かぶ。諦めないことだけが、自分の証明だ。
いつもはツボミのスマホからログインしていたので、自分のパソコンから入るのは久しぶりだ。雅雄の意識は向こうのアバターへと転移した。
目を開くと、見慣れた中世風のレンガの町並みが広がっていた。昨日、メガミのパーティーに保護された雅雄は彼らとともに【ブレイバーズシティ】まで戻っていた。宿屋にも行っていないので、HPは1のままである。
「……」
雅雄はまずフレンド画面を開く。ツボミの名前は消えていた。さらに雅雄はアイテムストレージを操作し、〈ブルー・ヘヴン〉を呼び出す。雅雄の手に、真っ二つに折れたままの〈ブルー・ヘヴン〉は出現した。
雅雄は空を見上げる。作り物の世界の空は、今日も綺麗だった。雅雄の気分がどうであろうと関係なく、残酷なほどに。確認できたのは、どうしようもない現実だけだ。『無職 Lv.1』のソロプレイヤーに、いったい何ができる? 冷静に考えて何もできるはずがないが、雅雄の足は勝手に動き出す。
向かった先は長船君の店だ。店先で長船君は客と談笑していた。客が去るのを待って、雅雄は長船君に話し掛ける。
「長船君……」
「おう、雅雄じゃないか。鎧だったら多分今日にでもできあがるぜ」
そういえば〈ヒヒイロノカネ〉を長船君には預けていた。だが今の雅雄にはどうでもいいことだ。新しい鎧ができていても、どうせ雅雄は使うことができない。
「そういえば今日、早退してたけど体調は大丈夫なのか? ……つ~か、今日は一人なのか?」
長船君はいつもと変わらない調子で続けるが、途中で不穏な雰囲気に気付いたのだろう、声を低める。雅雄は〈ブルー・ヘヴン〉を取り出し、長船君に尋ねた。
「……この剣を直すことって、できるかな?」
「……ッ! おまえ、この剣……! じゃあ……!」
長船君は息を呑み、真っ青になりながら震える手で剣を受け取った。言葉にするのは辛いことだ。しかし、避けて通ることはできない。雅雄は目を伏せて体を震わせながらも、事情を説明し始める。
「ツボミはゲームオーバーになったよ。僕が、不甲斐なかったせいで……」
雅雄から事の顛末を全て聞き終わった後、長船君は雅雄の前で膝を突き、頭を地面にこすりつけるまで下げる。すなわち、土下座の姿勢だ。
「すまん! 俺の責任だ! 俺がもっと早く、鎧を完成させてさえいれば……!」
「ちょ、長船君、やめてよ……!」
雅雄は慌てる。長船君に謝罪をさせたくて来たわけではない。鎧が完成するまで待ってほしいという長船君の求めを断り、攻略を急いだのは雅雄の判断なのだ。そもそも長船君が謝る必要さえない。やがて長船君は頭を上げ、約束してくれた。
「この剣は俺が絶対に直してみせる。だから、おまえは早まるな」
「……うん、今の僕がすぐに何かできるとは思っていないから」
雅雄は折れた〈ブルー・ヘヴン〉を長船君に預け、ログアウトした。長船君の言うとおり、早まっても仕方ないと思ったのだ。
とにかく、落ち着いて冷静に手を考えよう。雅雄は冷蔵庫を漁って手早く夕食を用意しつつ、考えを纏めていく。持っている手札だけで足りるのか。足りないとすれば、何をどうすればいいのか。
1%を1.1%にする作業だ。だが、今の雅雄にできるのはこれだけである。その作業が今の自分の希望となるなら、意味はあるだろう。雅雄は必死に、ひたすら考えた。そして作り上げた焼き飯をかき込む。昼を抜いていたので、かなり食は進んだ。
その後もツボミがいた頃と同じように過ごした。テストはとっくの昔に終わってしまっているけどしばらく勉強し、それから据え置きゲーで遊ぶ。一人で遊ぶゲームは味気なかったが、ひたすら耐えた。




