21 二人の約束
さて、さっさと着替えて帰らなければならないのだが、気付けばかなり風が強くなってきていた。気をつけないと服を飛ばされてしまいそうだ。雅雄はラップタオルで下半身だけ覆ってさっさとパンツを履いたが、ツボミはそうはいかない。全身をラップタオルで覆って隙間から手を出して下着を保持して……と結構繊細な作業になる。
水着に着替えたときの勢いはどこへ行ったのか、ツボミはそろそろとしか着替えられない。ゆっくりと慎重に水着を脱いでタオルの下は……という状態になった。続けてツボミは黄緑色の明るい感じなショーツに手を伸ばすが、そこで一陣の突風が吹く。
「ああっ、パンツが飛んじゃう!」
慌ててツボミはパンツを掴む。同時に、ラップタオルのガードが緩んでいた。下の方からラップタオルがめくれ上がってしまう。
「キャアッ!」
「……」
ツボミは黄色い悲鳴を上げ、思わず雅雄は絶句する。一瞬ではあるが、ツボミのほどよく筋肉のついた生足と、さらにその上が見えた。
割れるまではいっていないしなやかな腹筋に、かわいらしいおへそ。そしてその下の、黒い陰り。もちろん、雅雄についているものはついていないし、その奥には違うものがついているのだろう。女子にしてはちょっと濃いのだろうか、深淵の部分までは見えなかった。よくわからないけど、多分綺麗に整えてはいる。
ツボミは慌ててタオルを抑えた。たちまち涙目になり、顔を真っ赤にしてプルプル震える。しばらくして、ツボミは雅雄に問う。
「……見た?」
「な、何も見てないよ?」
そう言うしかないが、雅雄も顔が真っ赤になっている上に目を泳がせているのでバレバレだ。反射で、ツボミの手が動く。
「雅雄の嘘つき! エッチ!」
思いっきりバッグで殴られた。衝撃が頭蓋骨の中で反響し、視界がぐわんぐわんと揺れる。僕になら見られてもいいって言ってたのに……。
「バカ! 上と下は違うんだよ!」
ハプニングもあったものの、雅雄とツボミは無事電車に間に合い、帰宅に成功する。ツボミはしばらくプンプンしていたが、疲れから電車の中で寝てしまい、起きた頃にはすっかり機嫌が直っていた。
地元の駅まで帰ってくるが、まだちょっと風が強いという程度で雨も降ってはいなかった。天気予報を見ると、台風は速度を上げているものの、雅雄たちの住む地域からは大きく逸れつつある。ちょっと遅めの昼食をとるくらいの余裕は充分にあった。というか、この分だとこちらではそこまで天気も崩れないのではないか。
「きょ、今日のお昼は僕がおごるよ。いつも作ってもらってるからね」
ツボミの裸を見てしまったのは事実なので、埋め合わせのために雅雄は申し出る。いくら機嫌が直っていても、許されるわけではあるまい。いつも料理も任せきりだし、たまには外食もいいだろう。
雅雄の意図を察して、ツボミは苦笑する。
「そんな風に気を遣わなくていいのに。ボクはもう気にしてないよ?」
「ハハハ……そういうわけにはいかないさ……」
「じゃあ何を食べさせてもらおうかな~! ボクが自分で作れないものがいいなぁ。イタリアンとか、中華の本格的なやつとか? たまには甘いものもいいかな~! 雅雄は何が食べたい?」
「う~ん、僕はあんまり考えてなかったかな……。魚系でもいいんじゃない? 僕らじゃ捌けないのも結構あるし。刺身だってスーパーで買ったのとは違うだろうし……。多少高くてもいいけど、お手柔らかにお願いするよ」
いろいろと候補を挙げ、あーだこーだと言いながら雅雄とツボミは足取り軽く駅から出る。こうやって迷う時間も楽しいものだ。本当に、何がいいだろうか。
雅雄とツボミはいつも行かないところへ行ってみようということで駅周辺を散策し、古びた喫茶店を見つける。パラパラと雨も降り出していることだし、雰囲気に惹かれた雅雄とツボミは入ってみることにした。
挽き立てのコーヒーの香りが燻る店内で、昔ながらのピラフとナポリタンを食べる。雅雄もツボミもこういう店に入るのは初めてだったが、なかなか乙なものだ。時計を見る必要なんて一切ない。人影のまばらな店内で、雅雄とツボミは二人だけの穏やかな時間をゆったりと過ごした。
食後のコーヒーまでゆっくりと味わってから店を出る。気付けば台風は通り過ぎてしまったようだった。雨は止んで、雲の隙間からうっすらと日の光が差し込んでいる。いつも帰り道に通る坂道で、ツボミはふいに立ち止まる。
「あ、虹……!」
小雨で濡れた町に、虹の橋が架かっている。雨粒のついた建物の一つ一つが、柔らかい日差しできらきらと輝く。どこか別の街角に迷い込んだのではないかと思えるほど、幻想的で美しい。時間を忘れて、雅雄とツボミは目の前の風景に見入った。
「こんな時間がずっと続けばいいのに……」
「うん、そうだね……」
ツボミがポツリと漏らし、雅雄もうなずく。だからこそ、一抹の不安が胸の中で燻っていることにはっきりと気付く。満ち足りた日々が続いているが故に、怖いのだ。こんな日々を失ってしまうことが。
ワールド・オーバーライド・オンラインで死んでしまったら、完全に記憶をなくしてしまう。雅雄とツボミのどちらかだけでもゲームオーバーになれば、何もかもなくしてしまうということだ。
雅雄の心中を察して、ツボミはさらに言った。
「明日には新しいダンジョンに挑戦するんだよね?」
「その予定だね」
今さら引くつもりはない。引いてしまったら、自分たちでなくなってしまう。
「ボクは死なないよ。だから、君も死なないで」
ツボミは言い切る。少しの逡巡の後、雅雄はうなずいた。
「うん……。約束するよ。僕は死なない。君を守る」
「ボクも、君を守るよ」
ツボミは微笑む。釣られて雅雄も笑った。いつかの約束は、消えてなんかいない。雅雄とツボミは、お互いがお互いを守り合って絶対に死なないのだ。また二人で帰ってきて、こんな風に笑い合おう。




