プロローグ(後) 主人公になれなかった少年
そのとき、奇跡は起こった。雅雄の隠れている滑り台の下に光が集まり、細長い光の柱となる。光が収まった後、地面には一振りの剣が突き刺さっていた。
「これは……!」
雅雄のための剣、なのだろうか。信子の言葉が雅雄の頭を掠める。「全ての魔女は埋めることのできない欠落、すなわち絶望から生まれた」。雅雄は少女ではないが、資格はあるということだろう。雅雄だって、学校でのポジションは信子と同じだ。目立たないし、一番にもなれない。力を望んでいないといえば嘘になる。
「この剣があれば……!」
きっと、勇者になれる。もうモブとは言わせない。メガミという主人公が戦う舞台に、助っ人として参戦できる。雅雄は剣に手を伸ばそうとする。
しかし雅雄は固まった。突然、目の前の滑り台の手摺りが消えたのだ。メガミの魔法陣が弾いた火球が掠めたのである。
「あっ、ああああっ!」
ようやく事態を理解した雅雄は尻餅をついて後退る。滑り台の手摺りは、オレンジ色に発光しながら融解していた。雅雄の前髪も、少し焦げている。あと三十センチ前にいたら、流れ弾をまともにくらって雅雄は死んでいた。
ちょっと前に進んで剣を抜く。雅雄はただそれだけのことができなかった。主人公と、その敵が戦っている舞台に上がっているというのに。
見上げれば、雅雄のことなど誰も気にせず戦闘を続けている。周囲で一般市民が出てくる様子もない。何らかの魔法で一般人が気にしないようにしてあるのだろう。
「私は、完璧なんかじゃない……!」
雅雄が動けないでいる間に、メガミは独力で逆転する。メガミの強い感情に反応しているのか魔法陣は輝きを取り戻し、信子の炎を散らしてしまう。メガミのコスチュームはダメージであちこち破れていたが、本人は無事だ。メガミは毅然とした表情で信子と向かい合い、言った。
「私は完璧なんかじゃないよ。だって私は、好きな人に思いを伝えることさえできない臆病者だから……!」
「何言ってるのよ! 彼は絶対、アタシじゃなくてあなたが好きなのに……! あなたはできないんじゃなくて、してないだけよ!」
怒りをぶつけるように信子は直径数メートルの巨大な火球を作り、メガミに向けて放った。メガミはステッキを振って魔法陣を作り、火球を防ぐ。
「ううん、違う。私には、怖くてできなかったの。だってあの人は、本当の私を知らないから。あの人は優しいけど、本当の私を受け入れてくれるとは限らない……」
メガミはまっすぐ信子の瞳を見据え、続けた。
「だから私は、信子ちゃんのことがうらやましい。あの人に本当の自分を受け入れてもらっているから……!」
どうやらメガミと信子は同じ人が好きだが、もう一歩を踏み出せないでいるらしい。全く知らなかった。雅雄を置いてけぼりで話は進んでいく。
「アタシでも受け入れられたのに、あなたが受け入れられないわけないでしょう!」
「そう言い切れるのは、あなたが受け入れられてるからなんだよ!」
舌戦を演じながら二人は雷と炎を撃ち合う。二人とも消耗しているようだ。決着は近い。
「人間、誰でも欠落くらいはあるよ……。でも、それは決して絶望じゃない。だって、完璧な人間なんて存在しないから。欠けている分だけ、人は強くなれる……!」
メガミの周りにいくつもの魔法陣が浮かぶ。フェニックスとなっているピヨちゃんも、ドラゴンを撃破してメガミの後ろについた。メガミは箒から降りてその場に浮遊し、箒も魔方陣に取り込まれる。
「行くよ、ピヨちゃん……! 私の全部を、信子ちゃんにぶつける!」
「承知しました、メガミ様……!」
ピヨちゃんはフェニックスからさらに巨大な火の玉へと姿を変え、メガミの胸に吸い込まれる。無数に展開されていた魔法陣もメガミの背後で一つに重なり、やはりメガミの体に吸収された。
メガミのコスチュームには燃えるような赤の意匠が入り、背中からは真っ白な翼が広がる。かわいらしいステッキは長く伸びて、両手で扱うサイズとなる。
「神が落とした炎が、私の身を熱く燃やす! 変身完了、タイプ・プロメテウス!」
メガミはステッキを信子に向ける。
「それがあなたの神に一番近い形態なのね……! 関係ないわ、アタシは魔女だもの! 絶望で、世界を塗りつぶしてやる!」
信子は威勢よく吠えるが、顔は引きつっていた。
「そんなことは絶対にさせない……! 信子ちゃんだって、きっと魔法少女になれるよ……!」
メガミはゆっくりとステッキを振る。慌てて信子も魔法を使おうとしたが、もう遅い。メガミのステッキから放たれた炎と雷撃は空を覆い、信子を吹き飛ばす。抵抗の余地さえない、一方的な一撃だった。
雅雄も、あまりに強烈な閃光と爆音で気絶する。薄れゆく意識の中で、雅雄は全てを終わらせたメガミが何処かへ飛び去っていくのを見送った。
次の日、メガミはいつもと変わらない姿で登校しており、信子は急に転校したことが教師から伝えられた。メガミに昨日のことは何だったのだと訊く勇気は雅雄にはない。結局、雅雄は舞台に上がることができないまま終わった。




