プロローグ(前) そのとき彼女は主人公だった
雲一つない満月の夜だった。小学三年生の平間雅雄はネコ一匹通らない道を、おっかなびっくり一人で歩いている。
時刻は草木も眠る丑三つ時。目的があってこんな時間に出歩いているわけではない。ただ何となく、外に出てみたくなっただけだ。
ちょっとした冒険で雅雄の心は躍っていた。いつもの道なのに、モンスターが飛び出してきそうなダンジョンに見える。雅雄は勇者。着ているパジャマは旅人の服で、途中で拾った棒切れは銅の剣である。今遊んでいるRPGの画面が頭に浮かんだ。
怖いのは怖いけれども、雅雄の足取りは昼間の何倍も軽やかである。このままどこにでも行けそうな気がした。
そうして雅雄は歩き続け、いつも遊んでいる公園に辿り着いた。ここに来て雅雄は少し落ち着く。昼間の嫌な記憶が甦ったのだ。
(今日も酷い目に遭ったなぁ……)
犯行現場はこの公園。犯人は近所に住んでいる同級生の静香だった。
静香は雅雄が悲鳴をあげるのがかわいい、なんてわけのわからないことを言い出して、雅雄の背中に捕まえてきた虫を放り込んだのである。雅雄が号泣すると静香はますます喜び、家から持ってきた自分の服を着せた。泣いている雅雄がかわいかったらしい。意味がわからない。
「……帰ろうかな」
びゅう、と冷たい夜風が雅雄の頬を撫でた。背筋が寒くなる。身が震えた。雅雄は急に夜の闇が恐ろしくなる。雅雄は滑り台の下に体育座りで潜り込み、目を閉じる。外に出るのが怖い。朝までこうして待っていよう。
雅雄は小さくうずくまって朝を待ち続ける。しかし、やってきたのは風だった。
ゴウ、と凄まじい旋風が公園を通り抜けた。一体何事だ。雅雄はおそるおそる目を開けて滑り台の影に隠れつつ、外を見てみる。広がっていた光景は、雅雄の想像を絶するものだった。
「どうしてそこまでアタシの邪魔をするの!? こんな世界、壊れてしまった方がいいのよ! こんな、誰の願いも叶わないような世界! 私は絶望から産まれた魔女……! 必ず世界を破壊して見せる!」
「私はそうは思わない! この世界には、大事なものがたくさんあるよ! 私はこの世界を絶対に守る! だって私は、魔法少女だから!」
まさに魔法少女と形容する他ないフリフリの真っ白なコスチュームに身を包んだ少女が、黒のコスチュームに身を包んだ少女と、空中で対峙していた。二人とも箒に乗って、当たり前のように空中に浮かんでいる。明らかに人間業ではない。
白のコスチュームに身を包んだ魔法少女の正体を、雅雄は知っていた。クラスメイトの神林メガミだ。いつも明るい人気者で、学級委員長を務める優等生。美少女だと評判で、子役タレントになってみないかとオファーされたこともあるらしい。雅雄も、静香にいじめられているときによく助けてもらっている。
(メガミは、魔法少女だったんだ……!)
信じられない場面であるはずなのに、不思議と雅雄は納得した。メガミならわかる。雅雄たちといても、オーラが違うのだ。きっとこの人は将来すごい人になる。メガミにはそんな説得力があった。
メガミと対峙している黒の魔女も、雅雄には知っていた。転校生の島崎信子。いつも図書室で本ばかり読んでいる地味な子である。同じように昼休み、図書館に籠もっている雅雄は信子とまあまあ仲が良かった。他の人とは全然喋らないのに雅雄相手には「みんな死ねばいい」とか「生きてる意味なんかない」とか、ブラックな言動を繰り返す問題児でもある。
信子は魔法少女ではなく魔女。ともかく、メガミ同様に超人的な存在だ。雅雄には意外に思えたが、そういえば静香は言っていた。「信子は絶対何かを隠してる。意地悪じゃなくて、真面目に忠告するわ。雅雄、あの子に近づくのはやめなさい」。勘のいい人なら、何かあると感じていたのだろう。
世界を滅ぼそうとしている信子を、メガミが止めようとしているという構図のようだ。
メガミの肩で、小さなヒヨコが飛び跳ねる。
「メガミ様、今こそ私に本来の力を!」
「ピヨちゃん、お願い!」
メガミがかわいらしく装飾されたステッキを振ると、メガミの前に飛び出したヒヨコはみるみるうちに大きくなり、フェニックスとでも呼ぶべき炎の鳥となる。
対する信子も杖を振った。空中で魔法陣が光り、巨大なドラゴンが姿を現す。メガミはフェニックスと化したピヨちゃんとともにステッキを構えて信子とドラゴンに突撃した。ピヨちゃんとドラゴンが巴戦を展開し、メガミと信子も激しく魔法を撃ち合う。
「どうして信子ちゃんは世界を壊そうとするの!?」
「あなたにはわからないでしょう! 何もかもが完璧な、あなたには!」
メガミはカラフルなステッキから雷を撃ち出し、信子はごつごつした古風な杖から火球を放つ。二人は箒に乗ったまま超高速でドッグファイトしながら、感情をぶつけ合う。
「完璧なあなたに、誰もが希望を奪われたわ……! みんな、絶対あなたに勝てないんだもの……! 勉強でも、運動でも、見た目でも……! あなたには都合がいいでしょう、この世界は! 彼だって、あなたに心を惹かれてる……!」
「クッ……!」
信子の撃ち出す火球の数がどんどん増えていく。目に見えてメガミは劣勢になる。
「アタシはどうやったって一番になれない! 二番にだって、三番にだってなれない! 彼も、きっとあなたのものになる! ならば、こんな世界はなくなってしまった方がいいじゃない!」
「そんなの、八つ当たりじゃん……!」
メガミは反論するが、信子は聞く耳を持たない。
「八つ当たりで何が悪いの? 全ての魔女は埋めることのできない欠落、すなわち絶望から生まれた……! 私が世界を破壊するのは必然よ!」
信子が持つ杖の先から、ほとんど火炎放射器のように炎が迸る。メガミは前面に魔法陣を広げて凌ぐが、炎の勢いはどんどん強くなっていく。大ピンチだ。
信子の主張は雅雄も理解できた。この世界では決して自分が上にあがることなんてできないから、ぶっ壊してやる。雅雄だって同じように思ったことがないわけではない。周囲に振り回されて翻弄されるだけの脇役、モブとして一生を過ごすより、主人公になりたい。
「あなたみたいなのがいるから、この世界はおかしいんだ……! アタシは認められないんだ……!」
嫉妬と憎しみで、信子の炎はいっそう大きくなる。炎はメガミを包み込み、激しく燃焼する。メガミは魔法陣で守られていて、無事な姿が炎の隙間から一応は確認できる。しかし、長くは保たないだろう。信子はメガミを包む炎に加え、次々と火球を連射。魔法陣は火球を弾き続けるが、だんだん薄くなっていく。
「メガミ様!」
ピヨちゃんはメガミを助けに行こうとするが、ドラゴンに邪魔されて動けない。メガミは絶体絶命だ。




