1 剣をとった少年
息苦しく、じめじめした洞窟の中。明かりは壁で焚かれている篝火だけしかなく、不気味で薄暗い。平間雅雄は岩陰に身を隠して息を潜め、そっと前を伺う。二匹のゴブリンが棍棒を肩に担いで所在なさげに通路をぶらぶらしていた。先に進むためには、戦いを挑まざるをえない。雅雄は腰の鞘に収めている剣に左手を掛ける。
(昨日はこんなところにモンスターなんて出なかったのに……! 二匹かぁ……。微妙だなぁ)
雅雄はソロプレイヤーだ。たとえ相手が雑魚でも、複数なら注意が必要である。着込んでいる〈ダークレザーコート〉は隠蔽効果は高いけれども防御力はほとんどない。盾〈シルバーシールド〉は持っているものの、背後をとられてクリティカルヒットでも喰らえば、雅雄は即死待ったなしだ。
今のところは〈ダークレザーコート〉の隠蔽スキルのおかげで雅雄の姿は敵に発見されていない。だが、いつまでも隠れているわけにはいかない。悩んでいる間に後ろからモンスターが出れば雅雄は詰む。
緊張から、雅雄の背中を一筋の汗が伝った。異世界というだけあって、感覚は現実の体と全く同じだ。プレイヤーの体を完全再現したとヤスさんが豪語するだけのことはある。さすが腐っても神様が作ったゲームだ。
ゴブリンたちはふらふらと雅雄の前を通り過ぎ、背中を見せる。パターン通りだと、通路の突き当たりまで行ってまたこちらに戻ってくるだろう。今がチャンスだ。体の震えは武者震いだと自分に言い聞かせ、雅雄は顔を上げる。
(やるしかないんだ……! 僕は主人公になって、このゲームをクリアする!)
ゴブリンの背中が遠ざかっていく前に。平凡な中学二年生のまま終わるのは嫌だ。最初の決意を思い出し、雅雄は左手で剣を抜いた。
「うわあああっ!」
気合いの雄叫びとともに雅雄は剣を振りかざして岩陰から飛び出す。こうして二体の『ゴブリン Lv.15』と『平間雅雄 Lv.1 無職』の戦いは始まった。
雅雄の剣がゴブリンAの背中を切り裂く。手応え的に、クリティカルヒットだ。赤い血が飛び散り、ゴブリンAは悲鳴を上げた。痛みも傷も、この世界ではリアルに再現される。最初は雅雄もビビりまくっていたけれど、今はもう慣れた。構わず振り向いて反撃しようとするゴブリンAにもう一度剣を振り下ろす。
今度は棍棒で払われたせいでかすり傷程度しか与えられなかった。そこにゴブリンBが棍棒を振りかぶって突っ込んでくる。雅雄は右手の盾を突き出してうまく受けるが、それでも4ポイントのダメージ。雅雄のHPは20しかないので、1/5を削られたことになる。
かなりの痛手だが雅雄は冷静に距離をとり、いったん剣を鞘に収めて洞窟内で拾った〈びっくり花火〉をゴブリンに投げつける。花火は派手な音を立てて爆発し、ゴブリンたちは一瞬ひるんだ。その隙に雅雄は再び抜刀してゴブリンAの方に駆ける。まずは一体倒して数を減らすのだ。
(ゴブリンでこんなに苦労してるのは、僕だけだろうな……)
戦いながら雅雄は自嘲の笑みを浮かべる。ハイリスクハイリターンを狙って序盤から難関ダンジョンに挑戦している、というわけではない。このダンジョンの名前は、はじまりの洞窟。最初からLv.15以上だったほとんどの参加者は、この洞窟をチュートリアル代わりの踏み台として、足早に通過していった。
今頃彼らは雅雄が入ることもできない高難易度のダンジョンに挑戦していることだろう。彼らはあと何発喰らったら死ぬかシビアに計算する必要はなかったし、必死に拾いもののアイテムを活用することもなかった。ただ、楽しく武器を振り回せばそれだけでゴブリンたちを蹂躙できた。
しかし雅雄だけは違う。Lv.1から成長しないことが約束されている。ある意味で、これからも、ずっとオンリーワンだ。
童顔で、男子にしては身長も高くない雅雄はモンスターにさえ舐められているのか、無傷のゴブリンBはもちろん、深手を負っているはずのゴブリンAも逃走しようとせずに向かってきた。雅雄は側面に回り込んでゴブリンAが邪魔でBが攻撃できない位置を占める。そうしてゴブリンBから逃げるようにAの周りをぐるぐる回りながら、思いっきり頭上から剣を三回ほど叩きつけた。ゴブリンAはHPが尽きて倒れる。
「よし、やったぞ……!」
誰もいない洞窟で、小さな歓喜の声が響いた。まだ油断はできない。ここから無傷でピンピンしているゴブリンBを倒さなければならないのだ。
仲間を倒されて怒っているのか、猛然と突撃してくるゴブリンBの攻撃を雅雄は避け、地道に遠間から斬りつけ続ける。避けきれないときには盾でガードするが、雅雄としては馬鹿にならないダメージを喰らう。
回復魔法なんていう便利なものは覚えていないので、HPが半分を切ると雅雄は一度距離をとってからポーションを飲むことになる。当然ゴブリンBは追いかけてくるが、〈びっくり花火〉は使い切っていた。
雅雄はその辺の石を拾って投げつけることで代用する。ゴブリン一体だけならこれで充分だ。ほとんどダメージは与えられないが痛みは現実そのままらしく、足を止める程度ならできる。とはいえこれから先を考えると〈びっくり花火〉は便利なので在庫を確保しておいた方がよさそうだ。
わずかの隙に雅雄は腰から下げている小さなアイテム袋から取り出したポーションを一気飲みした。酷い味で吐きそうだが、我慢して無理矢理飲み下す。以前の雅雄なら絶対にできなかったが、このゲームを始めてから一気飲みにも慣れてきた気がする。
ちなみにアイテム袋は四次元○ケットのような使用感で、大量の装備やアイテムを放り込めるし自在に取り出せる。防具ならステータスウィンドウから展開しないと装備状態にならないが、消耗品なら直接アイテム袋から取り出した方が早い。
容量制限はあるらしいが雅雄には関係ない。使わないものを遊ばせておく余裕なんて雅雄にはないからだ。使わないものは即刻換金して消耗品を買い込む。
ポーション二本目を消費する頃にはダメージでゴブリンBの動きも鈍ってきた。永遠とも思われた戦いは終わる。雅雄はゴブリンBの棍棒を盾でがっきと受け止め、すかさず剣をゴブリンBの頭部に振り下ろした。スイカのようにゴブリンBの頭は割れ、真っ赤な中身がこぼれ落ちる。雅雄は、勝利した。
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