箱庭の世界
なんだかんだあって、短針は7の数字に近づきつつあった。ヒーハー君と名乗ったあれも言えば即座に水を出してくれ、口の不快感が少し和らいだ。
ネーミングに一言二言物申したいところだが命名者が『センセイ』と言われて納得してしまった自分が憎い。どうせあの変な物体が面白半分で適当に名付けたのだろう。段々とアレの人(?)物像が見えてきた。しかし、もっと何かなかったのだろうか。◯ッパーくんとかペッ◯ー君とか。
そんな、くだらないことを考える程度には落ち着いてきた。
「ふぅ…………」
一息つく。
「あぁくそ……俺が何をしたっていうんだ……」
もしも神様がいるのだったら恨んでしまいたい。しかしそれをしたところで何も進まないことを彼は知っている。
この世界に来てから疑問ばっかだなぁ、とベッドに転がりながら頭を巡らせる。
異世界への転移
謎の生命物体
記憶喪失
前の二つは落ち着いてきた今ならばまだマシだというレベルの案件だが、三番目は普通に深刻な問題だ。
正直、自分がいま冷静では無いだろうという自覚が彼にはある。
出会った三人が年下だったから、年上がここでどうかしてしまったらいけないと思ったから冷静にいるべきだと考えられているだけで、正直なところ情緒不安定な状態だと彼は自己分析していた。
それでも、止まっている暇はない。そうナニカに強迫されているかのように思考を進める。
記憶喪失についての目下の議題は二つある。『何を覚えているのか』と『いつ記憶喪失になったか』だ。
ほんの数時間前に椎名と話していた際に、記憶がなかったことによる違和感はなかった。しかし、それはおかしいと彼は考える。
彼女の自己紹介はこうだ。
【私の名前は明樹椎名です。日本では高校一年生でした。気軽に椎名、って呼んでください】
自分の名前。身分。呼んでほしい名前。
記憶は無くとも己の性格くらいは少し考えれば把握できる。それからして、ここの問答でひっかかりを持ってもおかしく無いのだ。小さくも大きい、そんな見逃せない違和感がある。
記憶はないにしろ、もし学校かなにかでこのような自己紹介の機会があれば間違いなく順番の一番最初と最後を嫌い、真ん中あたりの無難なところで適当な人がした自己紹介をテンプレートにして席を立つだろうという自負があるからだ。
そして今回の自己紹介で、そのテンプレートにする要素といえば二つあった。
まずは身分。
己の性格から考えて、彼女が『高校一年生』という情報を提示すれば自分はその情報を引き合いに出すだろうと推定する。しかし彼は年齢を返した。
そして呼名。
相手が何々と呼んでほしい、と要求しじゃあ俺は、と自分の要求を提示した。これは答え自体に問題はないが、答える際に元の世界でどう呼ばれていたかを頭の片隅ででも考えるのはそう難しくない話だ。故に、なんの滞りもなくこの返答を出すとは思えなかった。
果たして、このタイミングで匠海に記憶はあったのだろうか。
18歳といえば高校三年生から大学一年生にあたる。もしもこの時の彼が自分の身分を無意識に避けたのなら、記憶に引っかかりを持つことはないかもしれないが、──それが正しかった場合、自分が自宅警備員に付いていたとしてもオカシクないように思えてしまうからやはり却下である。呼名に関しても少し嫌な考えがよぎったから却下である。
記憶がなくなる前の自分の片鱗に触れてしまった気がしてちがう、きっとちがうはずだ、と自分に言い聞かせながら思考をかいつまむ。
人としての常識は覚えている。もっといえば地球の日本に住む人としてのものだ。地球は丸くて地動。姓が前で名が後ろ。日本語は読めるし(不安的なときもあったがそれは混乱していたため例外として)話せる。
つまるところ、氷上匠海はある程度の教養を持っている。理性がある身としてそこに安心する。
そしてそうであるからこそ、やはりこの記憶の喪失に違和感を持つのが
遅すぎたことにひっかかりを覚える。
ここで目が覚めたときからはそれらしい異常はなかった。ならばここに来る前に何かがあったと考えられる。そも、これだけ自我を持っており頭を動かしていれば、ここで目が覚めた時点で「ここはどこ、私は誰」といった風に記憶がないことに気づいていてもおかしくない。
いっそ、何者かによって記憶の喪失に目が行かないように思考誘導されていたと言われても納得がいくほ、ど、に───。
「────、」
存外、いけるかもしれない。一笑に付すようなテキトウな考えだと思ったが『目には目を、歯に歯を』という言葉がある。ならばそれに倣って非常識には非常識だ。そういう非常識がいると仮定すれば、記憶がなかったにも関わらず記憶があるように振舞っていたこの矛盾じみた違和感にも一応は納得がいく。
「箱の、悪魔」
彼女が言った『箱庭』から取った仮称を少し反芻させて、馴染ませる。勝手な固定観念は状況を悪くするが、この箱庭に連れてきた存在と関連付けてもいいかもしれない。そうすればこれから先の大きな行動指針となる。
けれど、と顎に手を添える。これを椎名たちにいうべきか否かだ。もちろん、こんなもの記憶がない自分一人に背負えるものでもないのはわかっている。しかし、これ以上彼女らに心配をかけたくないという気持ちもある。
ならば、と妙案を思いついた。年下の彼女ではなく自分で見定めて、年上の頼れる人に打ち明けるのがいいのではないか。
言っておくと、別に椎名を信用していないわけではない。なんとなく彼女は色んなものを背負っているような気がしたのだ。自分の元にわざわざ彼女が来たのもそれが原因だろう。これ以上、まだ高校一年生の彼女に負荷をかけさせたくない。
よし、ととりあえずの結論その一としておいて、長くかかった思考を放棄する。
んん、と体を伸ばし時計をみた。思っていたよりも考え込んでいたようで、気づけば長い針は9の数字に接近していた。
椎名が20時前にまた来ると言っていた気がするな、と微かに思い出す。この時間帯と、腹の虫の主張から夕飯ではないかと推測する。どんな食べ物が出て来るだろうかと虫の鳴き声を無視しながら想像する。
この小さな箱の中からでたことがない匠海にとって外の世界は未知数だ。ナニがでてきてもおかしくない。
そう、例えば虫だとか。彼は別に虫が嫌いなわけではないが、やはり食うとなれば抵抗がある。あのなにを考えているのかわからない急に飛んだり跳ねたりする生命体。見ているだけでも忌避感のあるものはあるというのに食すとなれば、キツイものがある。
「…………もし美味しそうに見えたら抵抗はなくなるのか」
うげぇ、と思いながらも最初はとりあえず焼いてみる。人類にとって最初の工夫といっても過言ではないのではなかろうか。
パチパチと炎が木を割る音がなり、それに炙られる串刺しにされたイモムシを脳裏に浮かべる……やはり美味しそうには思えない。
いまのような木の葉が落ちる季節であればサンマの塩焼きが一番ではなかろうか。絶妙な塩加減のサンマに醤油の垂らされた大根おろしを添えて口に運ぶ。あぁ、これだけでも贅沢すぎるのではないかという錯覚さえ起きてしまうではないか。
そこにあるのは虫と魚という違いだけであるのに、この差はなんなのだろうか。
「───はっ!」
少し考えて、気づいてしまった。そう、調味料だ。食べ物というものなんらかのスパイスが必要なのだ。何を勝手に虫を火炙りにするだけで終わっている、と自らを叱責する。
虫を食料とすることから自然と木の枝で刺してそれを炙るかのようなサバイバルを前提としてしまっていたが、それに拘る必要はない。だがしかし、やはりそれだけでは問題がある。
見た目だ。
魚はすでに食料と見ることをDNAに強いられているが、虫は未だその範疇ではない。そのため、どうしても忌避感が生まれてしまうのだ。
───だったらその姿を見えなくしてしまえばいいじゃない。
包むといえばなんだろうか。オムライス、餃子、シューマイ、ロールキャベツ、春巻き、おにぎり。これらの他にも和洋中通して様々な物がある。しかし、そのどれもが原型を見えないほどに包み込んでしまっている。そこまで隠してしまっては見た目と中身のギャップがあり過ぎておろろろろしてしまうのではないかという不安がある。万が一途中で噛み切って中から汁がでてきたり断面が見えてしまえば軽くSAN値チェック案件だ。それを防ぐことを考えれば、やはり一口サイズでお手軽に食べれるものが望ましい。
「なら───」
想像する、その黄金を。決して元のコンセプトを崩すことなく、湧き出る金色に自ら身を隠さんと飛び込むその肢体を───!
「おっまたせー!ご飯の準備が───」
「イモムシの、チーズフォンデュ───あっ」
「えっ……」
匠海がとんでもないことを考えついてしまったと思っているととんでもないタイミングで椎名が部屋に入ってきた。彼女の意気揚々とした表情が固まり、ズサ、と足を一歩退かせる。そう、まるでみてはいけないものを見てしまったときに、そっと扉を閉めるかのような動きで───じゃなくて本当に扉を閉めるために後退していく。思わずベッドから身を乗り出す。椎名にはその姿がどう映ったのか、怯えた表情でとうとう扉に手をかけた。
「ま、まってく───」
「と、当店では取り扱っておりません!」
「まって!?」
酷い誤解だ、と弁明するまでもなくピシャリ、と拒絶の戸が閉ざされた。
今日のとこはここまで・・・少ししたらプロットがなくなるので月一更新できたらいい方レベルになると思われますので、そこのところご容赦ください(_ _)