知らない天井
ふと、目が覚めた。なにか長く、嫌な夢を見ていた気がする。体が思い出すのを拒否するかのように少し頭が痛い。うぐ、と呻きながらあたりに目を配る。
「どこだ、ここ」
全体的に白を基調とされた部屋だ。窓の向こうは茶色い木が覗き、ふわりと漂う雲と青々とした空が見える。置物といった置物は特になく枕元に明かりとなにやらボタンなどがある機械、花瓶が置かれている。彼の向かいにはテレビがありドア付近の壁にはハンガーに見たことのない制服……と思われるものが掛けられていた。
どこかで見たことのあるような光景だな、と思っているとガラガラ、とドアがスライドし一人の高校生くらいと思われる、後ろで髪を束ねた少女が鼻歌交じりに入ってきた。
「あっ、」
「えっ」
ついあっ、と声を上げる形となってしまった。彼女がこちらに気づいていない様子だったので声をかけようとしたところ、彼の口の神経が追いつかなかったようだ。無念。
対して彼女は、強い驚愕と僅かに安堵の表情を見せる。しかしながら困惑の色も見せ、目を白黒とさせ混乱している模様。疑問符が泡のように出しながらその体をそのままロボットのようにカクカクと動かすと
「せ、先生!彼が起きたよーーー!」
三十六計逃げるに如かずと言わんばかりに走り去って行った。
「えっ、あ…………えぇ?」
展開の速さに追いつけず、く、と頭を抱える。どうしたものか。あの僅かな間に彼女を呼び止めるコミュニケーション能力を彼は持ち合わせていなかった。
結果、『先生』なる人を呼びに行ったのだから、その人が来るのを待ったほうがいいか、とその場で待機することにしてこの部屋のことについて思い出すことにした。突然の訪問に考えがすっ飛んで行ってしまったが、冷静に考えればそう難しいことではなかった。白を基調としていて清潔感がよくみられる。そんな特徴を持つ部屋は病室くらいのように思えた。
それとして、どうしてこんなところに、とベッドの枕を背に考える。
思い出そうにもここにくるような思い当たりが本当になかった。もっとわかりやすい記憶があったら至極助かるんだが、と至って楽観的に記憶を掘り返す。例えば高い所から落ちたとか。
なんだか自分の死因を探しているように思えてぐぐと唸っていると、どたどたどた、と足音が廊下から響いて来た。
「おー!起きたんだな!」
そして、ショートカットの少年がそのドアを開けた。どこか先の彼女を思わせるかのような突然の登場に目を白黒させる。
「いやーこんなに寒くなってきたのに外で寝るなんてバカだなぁおまえ」
腕を組みうんうんとする少年。どうしてあったばかりの少年に罵倒されなければならないのだろうか。両肩を落としつつも不可解な点に考えを巡らす。
外で、寝る? 全く身に覚えのない話だった。いつのまに俺は自宅警備員の派生ジョブに就いていたのだろうかと首をひねる。
「(それに寒い、か……)
窓をちらりと見ると木についている葉っぱの大半は茶色く、すでに落ちているものも多く見受けられた。確かに寒くなりつつあるようだ、がしかし、どこか違和感を持つのはなんだろうか。
あー、んー、と考えたのち、混乱した頭をどうにかして正常に戻して目先の疑問を問うことにした。
「えーと、キミが『先生』?」
そう聞くとその小首を傾げて
「え?違うぞ?」
なんとも不思議そうに問いに答えた。
「というかおれが『先生』みたいにみえるか?」
は、と気づく。どうしてそんなことに気づかなかったのだろうか。どうみても彼は『少年』であり、恐らく中学校に入ってるか入ってないかくらいの年頃だろう。なんたる、不覚。混乱が収まっていなかったのか。
思わず愕然とした表情になっていると
「なぁ!なぁ!もしかしてそれっておれがおとなっぽく見えたってことか!?」
「うおっ」
目をキラキラと輝かせて詰め寄ってきた。反射的に体を仰け反らせ距離をとってしまう。
「あー、うん。大人っぽい大人っぽい」
キラキラと飛んで来るそれを手で防ぎつつも、なんというか、否定したらいけないという思いでそれに答える。
「だよな、そうだよな」
うんうんと腕を組む少年。するとまた詰め寄り、
「お前、いいやつだな!」
それだけいうと、とっとっと、とドアに向かっていき、振り返って言った。
「おれは尾上仁!これからよろしくな!」
それだけ言うや否や少年は走り去って行った。これから? とハテナマークを頭に浮かべていると開いたままのドアから車椅子にのった、メガネをかけたおさげの少女がこちらを覗いていた。
「…………えーと、キミは?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………っ」
これは、もはや、アレだろう、と無言の返答を宣戦布告とみた。音の無いコングが鳴らされ、にらめっこが開始した。数秒が経とうと両者共に変化はなく、かたや無表情、かたや口を引きつらせたまま動きがない。
そのまま数秒が経ち、とうとう少女が痺れを切らし、ふん、と鼻で笑うようにすると顔を背けその場を去って行った。
「…………」
ただただ虚しい空気が彼にのしかかる。勝負には勝ったが何かに負けてしまったような、そんな言いようがない感情すら滲んでくる。今日はやたらと子供と会うなぁと窓の外に現実逃避する。決して無視されて傷ついたわけじゃない。ないったらない。
「はぁ……わけがわからない」
言葉とともにため息を吐く。最初にあった女の人からは逃げられ、少年からは馬鹿にされ、少女からは無視をされる。
ついなんなんだここは、と意味もない考えを再度始めてしまう。そんな頃合いに、がちゃ、とスライド式の扉が開いた音がした。
そこには一番最初に遭遇した高校生くらいの女性が車椅子をひいて入ってきていた。車椅子の上には、なぜかノートパソコンが開いて置いてあり、そこには点が二つと下に凸している緩やかな曲線が一つで描かれた、美術の授業ならば5段階評価で1は取れそうな人の顔と思わしき画像が映されていた。
思わず、目と目があう。
点、点、点。
沈黙が部屋を支配する。だめだ、凄く、ジワジワとくる。
しかし、ここで引いてしまっては負けだ。そんな源泉のわからぬ負けん気が湧き出てくる。
もはやこれはただの未知との邂逅ではない───真剣勝負だ。少年は思わずごくり、喉を鳴らす。
逃避される虚しさ、馬鹿にされる理不尽さ、そして無視をされる悲しさが彼を支えている。自ら引くわけにはいかない。ここで引いてしまったら、これの経験が無駄になってしまうようで堪らないのだ───!
最早、それは意地だった。体感にして十数秒。その努力を認めるかのように、とうとうその曲線が三日月のようにグニャリ、と歪んだ。
『やぁやぁやぁ初めまして! この! 私が! 先生だ! 』
それは、横一線だった口を半円にさせてHAHAHA!と笑った。
少年は抑える必要もなくなった表情筋で美術評価1を見る視線を上にスライドし、少女に送る。違うだろう。これはナニカが違う、と。
しかし、無情にも憐憫の色をもった顔は横に振られる。
ふぅ、と息を吐く。先の戯れを忘れて少し落ち着こう。そもそもなにを機械相手に本気になっているんだ。勤めてクールに。そう、たしか、ひっひっふーだったはずだひっひっふー。万人を落ち着かせる世界最強最高の呼吸法…………
『ふむ、なぜ彼はいまラマーズ法を?』
「あぁーもう混乱してるよ……だからやっぱりやめとこうっていったのに」
『いやいや! ここの長は私なのだから顔合わせは早い方がいいだろう?』
「それは、そうだけど……」
『そもそもこの私を呼んだのは君であろうに』
「あれはっ、私もびっくりしてて───」
どうして彼女はそこのパソコンと違和感なく話しているのだろうか。あぁそうか、通信か。あれはSk◯pe? LI◯Eか? それにしては通話画面が見当たらないし、声が無機質すぎて人の声に聞こえない。もしや、意表をついてAIとか。流石にそれはないというか混乱しすぎというか凄すぎるというか。え、けど、えっ。パソコンが、長?先生?とうとうロボットが反乱した? だからその前提がおかしいってさっきからあれほど。そもそも長ってなんだっけ。ここってなんの施設? 病院じゃない?
混乱で困惑して頭痛で頭が痛くなってきた。もうなにを考えなにに疑問をもっているのかもわからなくなって日本語すら不安定だ。
パソコンに描かれた顔の口が大きく開く。
『考えるな! 感じろ! そして心して聞くのだ! そう! この、私が! 説明してしんぜよう!』
「やっぱりめんどくさいことになりそうなので返しますねー」
『バカなあああああぁぁぁぁぁぁ───…………………』
すー、と車椅子は部屋の外に流れていきどかっ、と壁に追突する音とともにぴしゃり、とドアが閉まる。
彼女はつかつかと歩いてくるとベッドの脇にある椅子に座り込み申し訳なさそうな表情で彼を見た。
「あー、えーと。さっきはごめんなさい。つい逃げちゃいました」
「いや、それはいいんだけど」
それもりもいまだに扉越しから微かに聞こえる声の持ち主のファーストインパクトが大き過ぎて酷く気になるんだが、という視線を送るとたはは、と苦笑いしていう。
「貴方が起きたからつい呼びにいっちゃったんですけど、混乱するだけでしたね」
「それは、まぁ」
「ふふふー、素直ですね」
そう微笑むとはぁー、と一つため息を落とし、姿勢を正して再び彼へと目を向ける。
「えーと、これからの話をしますので、落ち着いて聞いて下さい」
そう真剣な色を帯びた顔でいう。それに触発されてか、思わず顔が強張る。
丁寧に説明を受けられるのだ、聞いておいて損は絶対にない。しかしながら、彼女の目から伝わる真剣味に背筋を伸ばさざるを得ない雰囲気だ。
そんなに緊張してもいいことはないだろう、と思いふぅ、一つ深呼吸してわかったと頷く。
その意を受け取った彼女はよし、と気合を入れるかのように頬を両手で軽く叩いてもう一度真っ直ぐな視線を彼へと送った。
「じゃあまず、貴方のいるココについて詳しく説明します」
「…………?」
それではまるでココについて説明する必要があるみたいだ、とひっかかりを覚える。病院なら病院、それでいいと思うんだが。彼は頭に疑問符が浮かばせた。
そんな彼の様子を見て考えに察しをつけたのか、真剣味を深ませた表情で頷いた。
「えぇ、話が早くて助かります」
「────」
どことなく、原因のわからない不安が彼を襲い背筋が震え、思わずか細い声を出してしまう。
その言葉の羅列を理解する前にあ、と彼女が手を叩いた。
「っ、とごめんなさい! もっと大事なことを忘れてました。まず、私の自己紹介から始めますね!」
しまった、という顔から反転してそういうと彼女は意気揚々とした様子で着ている服──どこか軍服を思い出すが、制服なのだろうか。白色を基調とした制服で左胸に赤い十字の刺繍が施されている。そういえば少年らも着ていた気がするし、部屋にかけてあるのも同じだ──を整えると口を開けた。
「私は明樹椎名。日本では高校一年生でした。気軽に椎名、って呼んでくださいな」
そう言いつつ手を伸ばしてくる。数瞬してその意図がわかり、不器用に笑顔をつくりながらも彼はおずおずと手を伸ばし、その手を握った。
「あー、俺は氷上匠海。18歳だ。適当に呼んでくれ」
満足そうに彼女は笑った。