『奴隷の末路』
グン、と加速する。常識を逸した速度でマリグナントに接敵し、頭部を避けるようにしてビルの壁を駆け上がる。漫画アニメのような動きに少しの高揚を感じながら壁を強く蹴り、ヤツの背中に乗った。滑るようにして勢いを無くすと、正面からは見れなかった背中の光景が広がっていた。
地面にできる脊髄は道幅より少し狭い程度。骨自体は不健康な生活をしていたのか、所々ボロボロのように見える。気をつけて進む必要がありそうだ。しかし、より気をつけなければならないのが無数の歯車だ。直径にしておよそ3メートル。それが背骨を削り動いている。挟まれれば軽い怪我ではすまないだろう。射出されるなどという謎の情報があるため、警戒をして損はない。最も、それは椎名と修斗が行ってくれるようだが。
歯車は心なしか、頭蓋に近い首元に偏って配置されているように見える。そこを重点的に守っているということだろう。唾を飲み込む。それを突破して、核を破壊する必要があるのだ。大丈夫だ、と言い聞かせると、左からはフォローしてあげるという声援が、右からはやってみせろと挑発的な視線が飛んでくる。
口端を釣り上げる。少し、頼もしすぎるだろう。
「───行きます!」
これ以上の意思疎通は必要ない。全力でバケモノの背中を蹴り、頭蓋へと迫る。案の定、危険を察知した歯車が飛び出してくる。
「シッ!」
「やぁ!」
椎名が歯車を斬り飛ばし、修斗が歯を削り落とす。錆びていて脆いそれは、人外の如く力の前で容易に砕け散る。
「───っ!」
脇目も振らず、匠海は走る。信頼しているから、なんて高等な理由ではない。ただ周りを見る余裕がないだけ。心臓が干され、体内の水分が蒸発するような感覚だ。役割を、役割を。自らの果たすべき役割を全うし、結果を残せ。手に足に命令する。
「来るぞ!」
外界からの声に意識が広がる。右方から歯車が迫っていた。
「はぁ!」
半ば反射的に剣を振るう。ギギギギギ、と不快な音を立てるとすぐに均衡が崩れ、歯車が壊れた。破壊した。破壊できた。ヤツの攻撃を破壊できたのだ。たしかに錆色の破片が飛ぶのをこの目で見た。それはつまり、己がこいつに反抗できるという証左である。
「───、」
ずっと不安だった。例え味方が頼もしくとも、大トリを任されているのは自分。碌な経験もない俺がそんな役割を担わされるなんて考えてもいなかった。精々近くで見るか、よくて誰かの補助をできたりするかだと思っていた。しかし結果、こんな大役を任されている。
俺にそんなことできるわけがないだろう。
何度その言葉を飲み込んだだろうか。けれど、やるしかなかった。やりたかった。ここで進まなければどこで進めというのだ。
先までよりも強い踏み込みが、地面の骨を砕く。
「おおおおおお───ッ!」
吠え、自らを鼓舞する。らしくない、と思いながら足を刻む。一歩、一歩を、たしかに踏みしめ『心臓』へと駆ける。
ギギギギギィ───!
悲鳴と共に、歯車が飛んでくる。どういう原理だそれは、と内心絶叫しながら地面を滑り勢いを止めると、盾を前に構えた。
瞬間、予想を遥かに超えた衝撃が匠海を襲う。
「っぅ───ぁぁぁぁああああああ!」
火花が飛び散る。腕を持っていかれそうになりながらも耐え、なんとか後ろへと流す。
極度の緊張から解かれ、フゥ、と息を吐く───が、疲弊した匠海を待つことなく、轢き殺さんといくつもの歯車が射出される。ゾ、と間近に迫る死が匠海の顔を歪ませた。
「こら! 足を止めない!」
黒い髪が踊り、眼前に飛んできていたソレが二つに別れ崩壊していく。
「ボケっとしてんじゃねぇ!」
「ぐえっ」
夜の色に溶けた羽が匠海の首根っこを掴み、消える。浮遊感を生じたかと思えば景色が変わり、先までいた座標に後ろから飛んできた歯車が衝突し、爆散した。ひぅ、と背中に伝わるものを感じる。少し気を抜いたらこれだ。
急な加速度で勢いあまり、たどたどしくもそれを失わせることなく自分のペースに調節していく。
「目標まであと少し! ラストスパートをかけるよ!」
「あぁ!」
「おうよ」
椎名の掛け声に合わせて、先行する二人に追従して加速する。踏みしめた力で地面が崩れていく。これで、物理的にも退がることはできなくなったということだ。
追い詰めているのか、追い詰められているのか。もはやどちらかわからない。前者であることを念じながら、盾を前に。駆ける勢いで歯車を防ぎ壊していく。
───そして、その時が来た。
過激になってきた攻撃をくぐり抜け、頭蓋へと繋がる首に足が届いた。椎名と修斗がいくつもの歯車を相手しているうちに、役割を果たさなければならない。
『よし! そこから20メートルの地点に心臓の反応を捉えた!』
「───了解!」
最後の締めだ。指定座標にたどり着き、一息に剣を突き刺す。しかし、思いのほか硬く、手応えがない。なら、と剣から手を離し、柄の頭を盾で殴りつける。鍔まで刺さったがいまだ感触は伝わってこない。ええい、と剣を抜き、同じようにして三箇所ほど切れ目を付ける。そして最初の位置にもう一度突き刺し、柄頭の側面に足を置く。ふんっ、と息を吐きながら踏み込み、テコを利用して骨を剥いだ。
頭蓋の中には、直径1メートルほどのボロい鎖で縛られた歯車があった。歯車自体は錆びつつあるが、いまだ金属特有の光沢を見せている。その鎖に抵抗するつもりはないのかギチギチとも言わず、腹を上にして石灰に埋まっていた。
これで、終わり。
盾を置き、剣先を下に両手で十字架を握る。目一杯に勢いをつけ───、
『なっ、嘘だろう!? 待て匠海くん! 剣を───!』
突き立てた。
バキンッ、と鎖が壊れる音とナニカに嵌った感覚を得ると共に、
キィィィィィィィィン!
耳をつんざく不快音が一帯に鳴り響く。堪らず耳を塞ぐと、強い振動が起こり立てなくなる。いつのまにか剣が手から離れてしまっていた。状況が読めないがヤバイ、という認識を持って目に入った盾を拾い握りしめる。するとまた、頭が壊れてしまいそうな音と振動が襲いかかり、足が崩れる。
「ぐっ!」
『───!!』
PCが何かを言っているが、とても聞き取れる状態にない。どうにかして状況を知ろうと周囲に目を配る。そこには、何もなかった。
「───は」
否。言い換えよう。これは決して別の場所に連れてこられた訳でも、ビルが全て消し飛んだ訳でもない。彼が空以外、何も見えない高さにいるのだ。下を覗けばビル群が見当たるのだろうか。しかし、強い振動のせいでとてもそんなことはできそうにない。
何が、何が起こった。俺は何をした。
疑念が頭を殴りつける。
カタカタカタカタカタカタカタカタ
そんな彼を嗤うかのように、不快音に混じれて乾いた音が鳴る。少しして、あるものを見つけた匠海は「あぁ、なるほど」と理解した。石灰の地面に転がった剣は、何かに巻き込まれたかのように螺子切れていた。手から離れたのはあの瞬間だ。つまり───、
『匠海くん! ヤツラは二体いた! ガイコツとそれを支配する鎖! キミが倒したのは鎖で、骨のマリーはまだ生きている!くそ、こんな事例いままでなかったぞ!』
彼の奴隷が鎖から解放されたのだ。
『いますぐその場所から───』
その音を途中から聞くとこができなかった。
「ぐっ!」
白い何かが腹部に衝突し、体が浮く。ヤツの頭の上から脱出し、どこかデジャヴを感じる浮遊感に体が包まれる。声をかける暇もなかったんだな、と彼女に感謝しながら、視界でなびく黒い尻尾に安堵を覚えた。
最も───奥から迫るソレに気付くまでの、ほんの僅かな間だ。
「え───」
彼女を思い切り遠くへと蹴り飛ばす。少し申し訳なく思いながら、許してほしいと心の中で謝る。まぁ、無理だろうな、と諦める。帰ったら一言二言程度では済まされないだろう。
彼女の思いに反してしまうことを懸念しながら───巨大な手のひらに体を握りしめられた。
「あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ばきばきばき。簡単に骨が砕けた。凶器となったそれが内から肉を裂く。次いで、強い圧力に傷のなかった臓物がぱんと破裂し、口から血が溢れ出た。体が壊れていく。
痛い、痛い、イタイ。痛覚はいまだ生きている。いっそなかったら楽だろうに、と頑丈になってしまった肉体で石灰へと手をかける。そんな抵抗でどうにかできる訳がなかった。
「クソッ、全然削れねぇ! 先生! もっといいのを!」
『それが一番いいやつだ! 何故こんなに硬い、コイツは!?』
「ダメ、ダメ、ダメだよ……! 死なないで……!」
どうにも警鐘がうるさい。体が冷たくなりつつあるのがわかる。死ぬのだろうか。どうにも実感がない。なんと形容すればいいのだろうか。そう、強いて言うなら他人事のようだ。
『なっ!? 一度離れて!』
「はぁ!? コイツどこまで───」
浮遊感だろうか。空気が裂ける。あぁ、そうか。俺は投げられたのか。
何十メートルとある腕で投擲された彼はいくつものビルを貫通し、勢いをなくした先のビルの窓を突き破り、中で力なく転がった。
「チィ! ほんっとこっちに見向きもしねぇ!」
「────」
『あぁもう椎名くん! しっかりしてくれ、彼はまだ死んでない!』
とうとう痛みもなくなってしまった。声も出ないし、力など入るはずもない。本当にないない尽くしだなぁ俺は、と嗤う体力すら残っていない。あぁ、死んだなこれは。漠然とした事実が突きつけられる。どうにかして生きる方法はないものなのか。飛び散るガラス片すらも遅く見える世界で考える。
みんなの到着を待つ?
きっとその前に息絶えるだろう。
気合いでなんとかする?
なっていたらこんなことになっていない。
───『幻装』を解放する?
それしかないのだろうか。
こひゅ、と息にもならない呼吸をする。PCはなんと言っていただろうか。そう、確か、この世界に勇気を示せ、だったか。なんだっていいとも言っていた。
勇気、勇気かぁ。
───そういえばただの一度も、俺は勇気なんて代物を持っていなかったな。
その最期はなんとも呆気なかった。呆然とする椎名を先生に任せ、座標移動によっていち早く辿り着いた修斗の目の前。彼方より射出された十数もの歯車がビルごと匠海を破壊した。
全てが崩れ落ちるなかで一つだけ気になっていた。いや、実のところいくつもある。椎名たちに申し訳ないな、だとかこんなところで、だとか。掃いて捨てるほどの後悔はある。けど、それ以上に気になったのだ。
───どこで、間違えたのだろうか。
失敗した以上どこかで致命的な要因があるはずなのだ。それがわからない。どこだかわからない。わからないという感情は死ぬよりも嫌だった。なにを得るということもなく、自らの生に幕を閉ざしてしまうのが凄まじく嫌だった。
そんな悔恨を抱えながら、視界がだんだんと黒に染められていく。なんの奇跡もなく、神が微笑むこともなく、劇的な進化を遂げることもなく、飛んで火に入った虫ケラのように無様で呆気なく、氷上匠海の命は消滅した。
───どこで間違えた、だって?
故に、これより先に『偶然』などという代物は存在しない。全てが全て、彼が愚かにも進み続けた末路にあった『必然』である。
───最初から全てだよ、◼︎◼︎◼︎◼︎くん。
呆れた目覚め声が、どこかで響いた。
誰もが見損なった故の結末