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サイドシート  作者: ソラヒト
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03 テレフォン(2)


── 私、海外公演のことすごく楽しみで……だって、最初で最後かもしれないし、劇団にとってもこれ以上ないくらいの晴れの舞台なのに、私に大切な役をくれて。

「そうなんですか! すごいじゃないですか」

── うん、自分でもそう思う。だからこそ、他のみんなに迷惑をかけないように、自分がしっかりしなきゃいけないと思うし、期待にきっちり応えたいと思うの。

「そうですよね。分かります」

── とは言え。

「とは言え?」

── 私も超人じゃないから、ときどきは息抜きが必要だし、もちろん休みたいって思うこともある。

「それはそうですね」

── あと、タマキちゃんも知ってのとおり、あいつ、やっと免許が取れたじゃない? タマキちゃんと一緒に。

「あ、はい」

── あいつにね、教習所に通い始める前から、免許が取れたら一緒にドライヴに行こうって誘われてるんだ。

「素敵じゃないですか」


 私は素直にそう思いました。

 ふたりの先輩にとって、それはとっても素敵な思い出になるのは間違いない……。


── あいつ、たぶんそのことを目標に、とても頑張ったと思うんだ。

「確かに頑張ってました。技能で2回ぐらいどこかで落ちてましたけど、そのことは内緒にしておいてあげますからって励まして……今、話しちゃいましたけど」


 佐野先輩は笑っていらっしゃいました。


── だから、留守にしちゃう前に、ドライヴに行きたいって思ってるの。そうじゃないと、いつまで待たせちゃうか分からないから……。

「ホントに忙しいですね」

── うん……でも、ドライヴだって私にとってすごく大切。あいつから熱心に誘ってくれたんだもん。初めてなのよ、あんなに熱心に誘ってくれたこと。

「そう、なんですか」


 私はやっぱり、佐野先輩のことをうらやましいと思っていました。


── ただ、ひとつ懸案事項があって……。

「懸案事項、ですか?」

── そうなの。

「何か重大な問題でもあるんですか?」


 気になる発言に思えたので、私はすぐに訊き返していました。


── 私ね、免許もってないんだ。

「はい」

── それで、あいつは初めてのドライヴでしょ。

「はい」

── そのくせ病み上がり。

「そうですね」

── バイトだって普通にできるようになったようだし、大丈夫だとは思うんだけど、もしなんか無茶されて、万一のことがあったらって……。

「ああ……なるほど」


 無理もありません。

 土井先輩が入院されたときのことも私は佐野先輩からうかがっていましたし、その気持ちは他人事ひとごととは思えませんでした。


── だから、タマキちゃんさえよければ、一緒に行かない?

「え?」

── ドライヴに、三人で。


 あ、まずい。そろそろ時間だ。

 佐野先輩はそうおっしゃると、夜にまた電話をかけてくださるとのことで、ここはひとまず切ることになりました。

 すぐに急いで出かけるとのことでした。

 もちろん、劇団の用事でした。


    *      *      *


 窓の外が暗くなってから、数時間が経っているようでした。

 私は土井先輩から貸していただいた、ソニー・ロリンズの『サキソホン・コロッサス』をリピート再生して聴いていました。もうすっかりお気に入りの1枚になっていました。

 初めて聴いたのは土井先輩の部屋でのことでした。

 ジャズの鑑賞会をしてくださったのです。

 そのとき、土井先輩はこのアルバムの1曲目、“セント・トーマス(St. Thomas)”を、LPで聞かせてくださいました。この日聞かせていただいた中で、私が最も印象深く感じた1枚でした。

 帰りがけに土井先輩は、レコード・プレーヤーを持ってない私に、このアルバムのCDを貸してくださいました。

 私からは何もお願いしていなかったのに、土井先輩はご自分から私に勧めてくださったのです。

 私は不思議でした。

 そして土井先輩は、「タマキがかわいい後輩だから、かな」とおっしゃってくださいました。

 ベッドに腰を下ろしていた私は、膝を抱えながら、ふとその時のことを思い出していました。

 何度目かの“モリタート(Moritat)”が始まったとき、電話のコール音が聞こえてきました。


── あ、タマキちゃん、昼間はごめんね。


 佐野先輩でした。


「いいえ、気にしないでください」

── ありがとう。それで……。

「はい」

── ドライヴに行こうよって話をしてたんだよね。

「はい、そうです」


 佐野先輩の話をまとめると、こうなります。

 佐野先輩はまだ自動車免許を取得されていないので、運転ができない。

 もしもなんらかの原因で土井先輩の調子が悪くなった場合、それでは困ってしまう。

 私がいれば、土井先輩と一緒に免許は取得済みだし、むしろ土井先輩より運転が上手に決まっている(笑)。

 いざとなったら私が運転を代わることができるし、先輩方のことをとてもよく知っている。

 だから私が一緒にいるとすごく安心であるし、何よりもまず私がいると佐野先輩は楽しくなる。


── どうかな、タマキちゃん? 忌憚のない意見をちょうだいね。

「私がご一緒しても、本当にかまわないんですか?」

── それはもちろん。そうじゃなかったら誘わないよ。

「でも、土井先輩は……」

── あいつはね、免許が取れたもんだから調子に乗ってるの。オレにできないことは何もないんだぞってぐらいに。浮かれてるから、もしものときのことをちっとも考えられないのよ。私とふたりで行きたいって気持ちは嬉しいけど、それだと私が安心できないの。

「そう、なんですか」

── うん。それにね、タマキちゃんと一緒なら絶対楽しいし……もしかしたら、タマキちゃんに迷惑かけることになっちゃうかもしれないんだけど。

「いえ、そんなことはないと思いますよ。土井先輩は技能でちょっぴりつまずきましたけど、私が知っている限りではとても丁寧で慎重な運転をされていました」

── タマキちゃん。

「はい」

── それはね、私の意見によれば……。


 佐野先輩は面白い言い方をされました。


── あいつは単にヘタレだっていうことなのよ。


 私はついくすくすと笑ってしまいました。


「もし、先輩方が許してくださるのなら」


 私は言いました。


「私もご一緒してかまいませんか?」


 私の気分を彩るように、この日何度目かの“セント・トーマス”が聞こえていました。


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