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サイドシート  作者: ソラヒト
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03 テレフォン(1)

 私は土井先輩へ電話をかけました。

 研究室からいちばん近い緑電話でした。とにかく早く伝えた方がいい、そう思っていたからです。

 土井先輩へかけるときは、私はコール音を数えるのが癖になっていました。3回でつながるとき、それはほぼ間違いなく留守番電話なのです。

 例によってコール3回でつながると、無機質な声が聞こえてきました。留守番電話でした。そもそも、留守電の作動までにコール3回というのは、受話器を取るつもりがないことのあらわれかもしれません。

 私はため息をつきました。この頃はもうため息までがひとつのセットのようになっていました。

 でも、仕方がないのです。

 今回の電話だって、私が勝手にかけているだけでした。

 頼まれたわけではありません。


「先輩……本当にもう、意地悪な先輩ですね。要件を伝えます。研究室の掲示板に、各自のレポートの課題が貼り出されましたからね。いいですね、ちゃんと見に来てくださいね。伝えましたからね!」


 土井先輩ったら。

 戻ってきたテレフォン・カードをしまいながら、私は思わず口に出してしまいました。


「もうとっくに7月になっているんですよ……」


 私はまたため息をついていました。

 いけません。

 ため息ひとつごとに幸せが逃げてしまうといいます。私の幸せが尽きてしまうとしたら、間違いなく土井先輩のせいです。前期試験の最終日とレポートの締め切りはかぶっているというのに、ちゃんと考えているのでしょうか。

 あるいは、免許が取れた嬉しさに、ひとりどこかで車を乗り回しているのでしょうか。

 ……もしかして、うっかりな土井先輩のことですから、夏休み前に提出する必要があるレポートのことを土壇場まで忘れたきり、課題を見損なうなんてこともありそうです。

 私は手帳を開くと、自分のレポート課題の隣に土井先輩の課題も書き留めておきました。佐野先輩から土井先輩のことを少しでも頼まれている手前、万一に備える必要があるのです。

 佐野先輩が「面倒をみてほしい」とおっしゃったわけではありません。佐野先輩は私に、土井先輩へ「ときどき突っ込みを入れてあげて」、「やつあたりも兼ねて怒ってあげてほしい」とおっしゃったのです。

 土井先輩は私にとってはゼミの先輩で、仲よくしていただいているわけですし、私が敬愛している佐野先輩から直々にお願いされたのですから、私はすんなり引き受けていたのでした。

 今回のことにしても、やつあたりではなく、ストレートに怒ってあげる気満々になりました。


 土井先輩が私に電話番号を教えてくださったのは嬉しいことでしたが、相変わらず何処にいることやら、でした。

 研究室からいちばん近い緑電話を使ってからは、もう2週間。

 部屋にいるだろうことを前提に、その後も何度か留守電にメッセージを残してみました。でも、反応はありません。

 前期試験までもほぼ2週間、レポートの締め切りも残すところ実質2週間程度のものです。

 なのに、学内でも、帰りの電車でも、どこでも、土井先輩を見かけることはまったくありませんでした。

 体調がよくないという話は聞いていませんから、やっぱり部屋にこもっているのかな、と思ったこともありました。

 けれども、土井先輩のことです。

 行動が読めませんから、これまで見かけなかったとしても、案外その辺をてくてく歩いてるかもしれないのです。

 かと言って、私が土井先輩のスケジュールを管理することはできませんし、いくら佐野先輩に頼まれていても、いちいち把握するというのもおかしな話です。私は土井先輩の彼女ではありませんし、ましてやマネージャーでもないのです。

 いざとなれば、佐野先輩にお訊きすればいいのかもしれないのですが、佐野先輩は今ものすごく多忙にしていらっしゃることを、私は知っていました。なので、私は遠慮することにしていたのです。

単に私ひとりがやきもきしているだけなのかもしれないですし……。

 佐野先輩は、前期試験が終わるとすぐに、約1か月ほど劇団の海外公演に行くことになっているのです。

 佐野先輩からの頼まれごとは、むしろ佐野先輩が留守にされるこの期間のことがメインでした。

 海外公演のことは、私は既に5月の時点で佐野先輩からうかがっていました。

 初めて土井先輩に電話をかけたとき、土井先輩は入浴中ということを盾にして私からの電話に出てはくれず、かわりに佐野先輩が出てくださったのです。

 うかがったのはその時です。

 まだ詳細については決まってないとのことでした。


    *      *      *


 先日ほとんどのスケジュールが決まったということを、今度は佐野先輩からの電話で知ることになりました。

 日曜日のことでした。


── そんな感じで、これから出発までの間、週に三日から五日ぐらいは、一日中ではないにしても、海外公演関係で時間を取られちゃうの。

「そんなに稽古をされるんですか?」

── ううん、全部が稽古じゃなくて、大道具、小道具の準備から、その発送の準備とか、事務的な準備とか……もうとにかく準備、準備、準備また準備なの。

「ああ、たいへんそうですね」

── うん。なんだかもうね、たいへんなのが当然のようになってるから、たまにのんびりできると不安になりそうなのよ。

「私にはよく分かりませんけど、職業病、みたいに感じます」

── ああ、そうかもね。

「つらくはならないんですか?」

── 確かに、自分のことじゃなかったら、つらそうに見えちゃうかな。でもね、私は自分で選んで、好きでやってるわけだから、つらいなんて思わない。

「かっこいい言葉ですね」

── やだ、冷やかさないで、タマキちゃん。

「冷やかしなんかじゃないですよ。見習いたいです」

── 私でお手本になるのかな?

「もちろんです。もうひとりの先輩にもぜひ見習ってほしいです。日頃から言ってるんです。あんなに立派な彼女さんがすぐそばにいてくださるというのに、なんでそんなにだらしないんですか、って」

── さすがタマキちゃんね。私よりもあいつのこと、よく知ってるみたい。

「……それはないですよ」


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