09 “バット・ノット・フォー・ミー(But Not For Me)”(4)
パーキング・エリアの人出が多くなってきた。場所がいいということに加え、時間的に朝食をとる人もたくさんいるのだろう。観光バスが次々と入ってくるのも見えた。
「先輩」
「ん?」
「おなかすいてませんか?」
「そういえば朝、食べてなかった。コーヒー飲んだだけだった」
売店で何か食べるものを買ってくるとするか。
そう思って足を一歩前に出そうとしたとき、タマキが言った。
「サンドウィッチ、食べませんか?」
タマキは後部座席のショルダーから、「七つ道具」のうちみっつのものを出した。コーヒーが入った保温水筒、お手ふき、サンドウィッチ。
「タマキ、サンドウィッチ作ってきてくれたのか」
「はい。コーヒーもどうぞ」
「タマキはなんて素晴らしい後輩なんだ! 遠慮なくいただくよ」
「どうぞ。残しても仕方ないですし」
「残すなんてとんでもない」
タマゴ、ツナ、ハム、3種類の手作りサンド。
「タマキ、とてもおいしいよ。コーヒーもいい感じだし」
「そう、ですか。ありがとうございます。喜んでいただけたら私も嬉しいです」
「ずいぶん早起きしたんじゃないのか? それで寝不足なのでは」
「心配いりませんよ。たぶん私の方が、先輩より元気だと思います」
「そうかな。いつもより元気がないみたいだけど」
「もしそう見えるのでしたら、サンドウィッチのせいじゃないです」
「だったらなんの?」
タマキは答えてくれなかった。
「タマキは食べないの?」
「先輩のために作ってきたので」
「そんな嬉しいこと言うと、全部食べちゃうぞ」
「食べていただけるなら、本望です」
「タマキは朝ちゃんと食べてきたのか?」
「はい。これを作りながら、ちょっとつまみ食い的に」
「タマキはもう間違いなくいい奥さんになれるよ」
「え?」
「よく気がつくし、成績もいいし、ゼミで人気だし、ナヴィもできるし、料理はうまいし、コーヒーのいれ方だってうまい。いろいろ言っちゃったけど、言うことなしだよ」
タマキのイメージに追加することが一挙に増えてしまった。
「誉めてくださってありがとうございます。でも」
「でも?」
「またおかしな日本語です、先輩」
タマキは困ったかのように控えめな微笑みを浮かべていた。
「エプロン姿もきっと似合ってるよ」
「エプロンはしてませんでした」
「え? もしかして、ヌード?」
「先輩、セクハラです。もうアウトです。そんなわけないです」
「ごめんごめん」
「部屋着……スウェットでしたよ」
「タマキはスウェット派なの?」
「そうですね、ゆったりめのスウェットをよく着ています」
「そうか。タマキの日常もなかなか興味深いな」
「……嘘」
「嘘じゃないよ。興味ありだよ」
「だったら」
「ん?」
「私の部屋に来ていただけますか? 先輩なら私、歓迎します」
「それって、招待してくれてる?」
「はい、そうなりますね」
「なるほど。では早速、というわけにはいかないよな」
「どうしてですか?」
タマキのそのひとことはフライング気味に聞こえてきた。
「だって、恋人でもないおっさんを妙齢の女性が部屋に招くなんて」
「妙齢だなんて、古くさいですよ先輩」
「ここんとこボクの部屋に来てもらってばかりだし、いつかそういう機会が自然にできたらいいかもな」
「では来ていただけるんですか?」
「まあ、あいつと一緒なら、ボクがいてもおかしくないよな。ひとりだと、ちょっと」
「おひとりだと、ダメなんですか?」
「ダメだろそれは」
「でも、彼女さんはもうすぐ海外に行ってしまわれますよね、しばらくの間」
「海外? なんのこと?」
「もしかして先輩、うかがってないんですか?」
「大きな公演があるとは聞いてるけど……なんでタマキが知っててボクは知らないんだ?」
雑誌に出ていないことで予想はしていたから、海外公演のことは別に驚かなかった。むしろ、どうして話してくれなかったのかが気になった。
「ひとつき以上日本に帰って来られないともうかがっていますけど」
「そうなのか」
言われてみれば、心当たりがいくつかある。
レポート2本を大急ぎで仕上げてたり、キャリー・ケースはどういうものがいいか訊かれたり。小さい瓶の醤油を買ってたり……。
詳しいことはキミに直接訊かないといけないな。
ボクは思った。
タマキのおかげで満ち足りたボクは排水に行ってから、さわやかな心持ちでハンドルを握るべく運転席に乗り込み、キーをまわした。
タマキの横顔を見てからパーキング・エリアをあとにして、本線へ戻った。
いちばん左の車線のまま、再び大型トラックのうしろについた。
「タマキ」
「あ、はい」
「眠かったら眠ってて大丈夫だぞ。まだしばらく高速だし、ボクの運転だと落ち着かないかもしれないけど」
「いえ、眠いわけではないんです。その、聴き入ってしまって」
「そっか。けっこういい曲揃いだと思うんだけど、気に入ってくれた?」
わずかな間を置くと、タマキはひとりごとのようにつぶやいた。
「先輩って、すごいんですね」
「何が?」
曲はレスター・ヤングのテナー・サックスで“オール・オブ・ミー(All Of Me)”になっていた。
“何故私のすべてを奪ってくれないの?”。
「90分テープを簡単に満たしてしまうほどご存じですから」
「簡単に、ではないよ。今回もまた泣く泣く落とした曲がたくさんあるから」
「まだまだたくさんあるんですね」
「こうなるとやはり第2回ジャズ鑑賞会をやるべきかもな」
第1回が好評のうちに終わったので、ボクは少しだけプレッシャーを感じた。好きなものを選んで聴くだけとはいえ、どうせなら喜んでもらいたい。
この姿勢は今日のドライヴだって同じだ。
タマキに笑顔になってもらいたい。
今のところは実現できてないけど、遅くともタマキを送っていくまでにはなんとか。ボクが用意してきたカセットは、今日のおみやげとしてタマキにあげるつもりだから、それだけは喜んでもらえるのではないかと思っていた。




