09 “バット・ノット・フォー・ミー(But Not For Me)”(3)
* * *
どうもタマキの様子がおかしい。
ボクがすぐ分かったくらいだから、本当に体調が悪いのかもしれない。
タマキは気を遣ってくれる質だから……無理してなければいいのだけど。
タマキの様子に気をつけて、何げなくパーキング・エリアやサーヴィス・エリアに寄った方がいい。
場合によっては途中で引き返してもいい。
ボクはハンドルを握ったままタマキのことを考えていた。
それでもぼんやりしないですんだのは、タマキのナヴィゲートのおかげだった。
「次の交差点を、左です」
「了解」
「左折したら、右側の車線に行ってください」
「それも了解」
タマキのナヴィゲートは完璧だった。
おかげでボクの運転だというのに道を間違えることはなかった。
すいすいと練馬インターから関越自動車道に入れた。
ボクが録ってきた90分テープはオート・リヴァースされて、B面の2曲目、バド・パウエルのピアノで“4月の思い出(I'll Remember April)”が始まったばかりだったから、1時間かからずにインターまで来たことになる。
「先輩、この曲」
「うん。バド・パウエルの“4月の思い出”」
「なんだか、懐かしいです」
ボクの4月の思い出と言えば、やはり去年、タマキが挨拶に来てくれたときのことだろう。
桜の花びらが舞う中を、ボクの方へ全力で走ってきたタマキ。
あのときタマキが来てくれなかったら、今みたいにタマキとボクが一緒にいることはなかったはずだ。
高速道路は日曜日とはいえまだ朝なので、それほど混んでいるというわけではない。
高速に乗ってしまえば運転はむしろ楽だから、タマキの様子を見てどこかでひと息入れよう。
いちばん左の車線に入っていきながら、ボクはそう思った。
大型トラックのうしろにつくとスピードは80km/hをキープした。
慣れるまではこれでいい。パーキングに入りやすいし。
「ご苦労さん、タマキ。しばらくは高速だから、休んでて」
「あ、はい。ありがとうございます」
「パーキングでひと休みしよっか?」
「ああ……そう、ですね」
三芳パーキング・エリアまではそんなに時間はかからないはずだ。
車は普通に流れているし、まずはいい感じできているな。
ボクはそう思った。
「この曲、メロディーがきれいですね」
「ん?」
チェット・ベイカーが歌う“エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー(Everything Happens To Me)”だった。
ボクはタマキにそう伝えた。
「あ、もしかして、鑑賞会でおっしゃってた『ベイカー』って」
「そう、チェット・ベイカー。時を越えてネタを分かってもらえるなんて、言ったかいがあったよ。でも、よく覚えてたな」
「先輩が何やら不思議なことを言われたものですから、印象的でした」
「タマキはいい後輩だなあ」
「エヴリシング……すべてのことが、私に、起こるんですか?」
「ああ、直訳だとそんな感じ」
「タイトルだけだと、どんな内容なのか分からないです」
ボクは心の中でつぶやいた。“よくないことならなんでも、ボクに起こるんだ”。
「そうだな、ボクのテーマ曲みたいなもんだ」
「先輩のテーマ曲なんですか?」
「まあ自分ではそう思っているんだけど」
「なんだか気になります。余計にどんな歌詞なのか知りたくなりました」
チェットがトランペットでソロをはじめた頃、三芳まであと3kmのところまで来ていた。
前を走っていた大型トラックは中央のレーンに移り、スピードを上げて行ってしまった。
ボクは歌詞の件にはあえてふれず、曲を書いたマット・デニスのことを話した。
「このメロディーが気に入ったなら、“コートにすみれを(Violets For Your Furs)”って曲も、きっと気にいるよ」
“キミのコートにボクが買ったすみれを……”
「素敵なタイトルですね。同じ人が作ったんですか?」
「作詞も作曲も同じコンビ。よりロマンチックな歌詞だから、タマキ向きかもな」
「なら、先輩」
「分かった。今度、用意するよ」
「お願いします」
タマキは軽く頭を下げた。
けれども、まだいつものタマキではない。ボクはそう感じた。
ほどなく、三芳に着いた。
休日だから一般車両が多いのは予想どおりだったけれど、思いのほか大型トラックが多かった。
ボクが知らないだけで、トラックはいつもこんな感じなのかもしれない。
サイド・ブレーキを引いて、エンジンを切った。
ボクは車の外に出た。
「タマキ、調子はどう? 大丈夫か?」
車外に出てきたタマキに声をかけた。
「あ、はい。大丈夫、です」
「まだ元気がなさそうだけど、ずっとマップを見ててもらったから気持ち悪いとか」
「いえ、そんなことないです。私、車で酔ったことないですし」
「そうなの? 鉄人だな。ボクなんかガキの頃から酔いまくりだったというのに」
「先輩は、きっとデリケートなんですよ。私は作りがおおざっぱだから」
「らしくないぞ、タマキ」
「えっ?」
「ボクが思うタマキのイメージは、もっと前向きではつらつとしているんだ」
「そんなふうに思っていてくれたんですね」
照れくさいからタマキに伝えようとは思っていないけど、ボクがよく知っているタマキは「気遣いができて明るく元気で表情がよく変わる律儀で面白くて愛想がいい上に用意のいい勤勉なヤツ」。
そして、ボクの後輩だ。
「いつもボクに突っ込みを入れてくれるときのキレがまだないぞ。せっかくのデートなのに」
「デートなんですか、今日は?」
「若い女の子と、若いかもしれないおっさんが、同じ車でふたりきりなんだ。デートじゃなければ」
「なければ?」
「拉致? それとも駆け落ち? どっちも不穏だな。他になんか思いつかないかな」
ボクは腕を組んでちょっと考えてみた。
そして、考える必要はないということに気がついた。
「いや、他に思いつく必要はないんだ。だって、デートなんだから」
「先輩」
「なんだい、後輩」
「先輩は、今日は彼女さんがいないのに、大丈夫なんですか?」
「そうだな、きっとあいつがいたら、走行中に大騒ぎになってたかもな。こっちは運転でけっこう必死だから、暴れられたらお手上げだろう。今日のところはいなくてよかったのかも」
「……」
「あいつには腕を磨いてこいって言われたよ。タマキの寿命を縮めるな、とか」
「……嘘」
「嘘じゃないよ。本当にそう言われたんだから」
「そうではなくて」
「余裕で運転しているように見えた? だとしたら、タマキのおかげだよ。タマキが落ち着いてナヴィをしてくれたから、ボクはのぼせることなく冷静に運転できてるんだから」
タマキは黙ってしまった。
いつものタマキなら、ひとつと言わずみっつぐらい突っ込んできそうなものなのに。




