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サイドシート  作者: ソラヒト
15/23

06 パ・ド・トロワ(4)


    *      *      *


 佐野先輩は、それまでプレイしていたマイルズ・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』が終わると、再び『ムーン・ビームス』のCDに手を伸ばされました。


「“フラメンコ・スケッチ(Flamenco Sketches)”でゆったりといい気分になったところで、いつ聴いても素敵なアルバムに戻るけど、いい?」

「はい、もちろんです。私にとっても、既に大好きなアルバムですし」

「タマキちゃん」

「はい」

「それは正しい判断だわ。だって、本当に素敵だもんね……ジャケット・デザインを除いて」


 私は笑ってしまいました。


「いつ聴いても素敵なんだから、当然お休み前に聴いても素敵なのよ」


 確かに、佐野先輩がおっしゃったとおりでした。


「実はね、これ、あいつがプレゼントしてくれたの。誕生日プレゼントだって」

「先輩、7月が誕生月なんですか?」

「ううん、違う。私、2月生まれ」

「そうなんですか! 奇遇です」

「そっか、タマキちゃんも2月なんだよね」

「あれ? 私、お教えしてましたっけ?」

「あいつに教えてもらったの。タマキちゃん、2月の24日が誕生日だって」

「土井先輩にも教えたことはないと思うんですけど……」

「あいつのことだから、研究室で名簿でも盗み見したんでしょ。だからタマキちゃんの連絡先が手帳のアドレス欄にあったし、誕生日だって知ってるのよ。あいつ、言ってたもん。今月もきついけど、来年の2月は金欠確定だって。ふたり分はきついんだって」


 私はさらに驚いてしまいました。

 土井先輩が私についての情報を必要だと思ってくださったことに。

 それに、私にプレゼントを用意しようと考えてくださっていることに。


「タマキちゃんの誕生日、覚えやすいよね。2×2=4(ににんがし)だもん。一度聞いたら忘れないよ」


 私は21日なんだ。

 佐野先輩はおっしゃいました。私と同じ、魚座です。


「私の場合は、2÷2=1、というのでどうかな?」


 もしかして、佐野先輩と私は似ている人になるのでしょうか。

 星占い的に。


「やっぱりあいつにとって、タマキちゃんは特別な後輩なのよ」


 もし本当にそう思ってくださっているのなら、すごく嬉しいのに。

 でも、私が自分でそれを確かめるのは、きっと無理だと思ってしまいました。


「あ、私もプレゼントあげるからね。何かはまだ秘密だけど」

「そんな。いいですよ、私になんて」

「タマキちゃん」

「はい」

「だったら、プレゼント交換しようよ」


 佐野先輩はにこやかにおっしゃいました。


「それならお互いさまだし、きっと楽しいよね」

「そうですね。そういうことでしたら」

「決まり」


    *      *      *


「でさ、もうひとつタマキにお願いしてもいいかな?」


 土井先輩はおっしゃいました。


「私にできることでしたら」

「うん。『サキソホン・コロッサス』に加えて、『ムーン・ビームス』もテープに録ってきてよ。持っていきたいから」

「分かりました」

「よろしく」

「先輩」

「なんだい、後輩」

「どうもありがとうございます」


 私は『ムーン・ビームス』を大事に持ったまま、土井先輩へ頭を下げていました。


「いいって。お辞儀までしてくれるなんて、おおげさだよ」

「いいえ。お辞儀では足りないくらいだと思ってます。ありがとうございます」


 土井先輩はまた苦笑いを浮かべていらっしゃいました。

 それにしても、土井先輩からプレゼントをいただけるなんて!

 私は思いがけず、とても幸せな気分になりました。


「先輩の誕生日には、私もプレゼントを用意しますね」

「あれ? ボクの誕生日、教えたっけ?」

「調べはとうについてますよ」

「もしかして、あいつから」

「さあ、どうでしょう。私だって、研究室で名簿を見るぐらいはできますし」

「そのことは内緒にしてください。お願いします」

「そうですね、秘密にしてあげます。今度」

「今度?」

「今度……そのうち、私のお願いをひとつ聞いてください」

「タマキの、指示に従えばいいの?」

「はい。そのときはきちんと、今回約束したことだからって、念押ししますから」

「仕方ないなあ。了解」


 私はいたずらっ子になった気分でした。

 土井先輩と秘密を共有できるのが、ちょっと嬉しかったのです。


「よし、タマキにプレゼントを渡せたことだし、ボクはそろそろ帰りますです」

「なんですか、そのしゃべり方」

「深い意味はないのです」

「では……10分ほど待っていただけませんか?」

「別にいいけど、どうかした?」

「先輩と一緒に帰っても、いいですか?」

「そういうことか。もちろんかまわないけど」

「けど、なんですか?」

「これがさっき言ってた約束……じゃないよな」

「はい。当然、こんなに簡単なことではすまないですよ、先輩」

「だよな」


 土井先輩は小さな声で、とほほ、とつぶやかれていました。


「しかし……タマキみたいに魅力的な女の子のそばに、こんなおっさんがいてもいいのだろうか?」

「先輩」

「なんでしょう、後輩」

「どうせなら、もっと心を込めておっしゃってください」

「おや。まだ足りないとおっしゃいますか」

「全然です」

「分かりました。では10分後にもう一度言えるように、まずは心を込めてお待ちしております」


 私はくすっと笑ってしまいました。

 佐野先輩に喝破されたとおり、私は土井先輩が好きなんだ。

 たぶん私は今、とてもいい表情をしているはず。

 研究室に向かいながら、私はあらためてそう思いました。


    *      *      *


「じゃあタマキ、明後日あさってはよろしくお願いします」


 土井先輩はそうおっしゃると、電車を降りていかれました。

 そして、私を乗せた電車が動きだすと、軽く右手を挙げて見送ってくださいました。

 電車のスピードが上がった、次の瞬間。

 先輩から遠ざかる電車のドア越しに、私はずっと土井先輩を見ていました。

 だから、とてもショックを受けました。

 もう私からは見えないはずだと思われたのでしょう。

 土井先輩はひどくうなだれて、気が抜けた様子になってしまわれた。

 ……そう、見えました。

 私と一緒のときは、そんな様子はこれっぽっちもなかったのに。

 土井先輩は私にすごく気を遣ってくださっている。

 それはとてもありがたいことに違いないです。

 でも、別の言い方をすれば、私は土井先輩に気を遣っていただくばかりで、土井先輩の役には立っていない。

 こういう時こそ土井先輩の役に立ちたいのに……。

 そう気がつくと、私はハンカチで少しだけ目を押さえなければなりませんでした。

 土井先輩にとって、私はただの後輩。

 サイドシートに座れたとしても、それ以上の距離は縮まらない、ただの後輩。

 たぶん土井先輩は無意識だとしても、心には見えない壁がある。

 壁の向こうに行かなければ、そのままの土井先輩に触れることはできない。

 壁にはひとつだけドアがある。鍵がかかっている。

 私はその鍵を持っていない。

 持っているのはおそらく、佐野先輩だけ。

 だったら……。

 私は土井先輩にひとつお願いを聞いていただけるはず。

 鍵が欲しいです。

 そのドアを開く鍵が。


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