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サイドシート  作者: ソラヒト
13/23

06 パ・ド・トロワ(2)


 私はドライヴに行けないことをきちんと面と向かって話して、あいつに了解してもらった。

 劇団の方針に従って、「大事なことは必ず口頭で、直接伝えること」を遵守したのだ。

 あいつはものすごく動揺していた。

 あいつのあんな表情を見ることになるなんて……。

 ホント、ごめん。

 私の頭に「二度あることは、云々」という言葉が巡っていた。

 昔の人には偉人が多い。


 私は、公演は海外でおこなうということも、この機会に話しておこうと思っていた。

 けれども、あいつの様子をの当たりにして、更に追い打ちをかけるようなことは言えなかった。

 単純に、今度の公演は海外でやるものだというだけなら、普通に言えそうだった。

 でも、それだけではない。

 公演はアジアの3つの国で計10回程度(この点は受け入れ先の都合でまだはっきりしていなかった)おこなわれる予定で、行って帰ってくるまで1か月以上は必ずかかる。

 こんなに長い間離れてしまうのは、あいつと出会ってから初めてのことだ。

 1か月以上のブランク。

 顔を見ることも、言葉を交わすことも、体温を感じることも、お互いにできない。

 あいつを信じられないのではない。

 それなのに、どうしても不安が拭いきれない。

 しかも、私が留守の間にあいつの誕生日が来る。

 8月はあいつの誕生月。月末が誕生日。

 あいつ自身は8月生まれであることをうまく納得できないような口振りだった。


── 31日は夏とも秋とも言いがたい、宙ぶらりんな日だよ。

── 夏には遅すぎて、秋には早すぎる。

── おまけに、高校の時までは夏休み最後の日で、いい思い出なんかないよ。

── 宿題に苦しんだりね。自業自得と言われたらそれまでだけど。


 あいつはそう言っていた。

 わだかまりがあるのだと感じた。

 私にとっていちばん大切な人が生まれてきてくれた大事な日を、他ならぬあいつ自身がそんなふうに思ってしまうなんて……。

 私はあいつの誕生日に素敵な思い出をあげたいと思った。

 あいつが今まで素直にお祝いできなかった分まで、たくさんお祝いしたいと思ってた。

 最高の誕生日だったと、あいつに言ってもらえるように。

 海外公演の話が具体的になるまでは、本気でそう思っていた。

 今だってその思いはある。

 なのに私は、あいつと一緒にいることを選択しなかった。

 8月いっぱいから9月の上旬まで、私は日本にさえいない。

 お祝いもプレゼントも、当然あとでするつもりでいるけれど、誕生日当日にできないのはさみしい。

 自分で選んだことなのに……。


    *      *      *


 無理だとは分かっていたものの、もし8月中に戻れるとしたらどんな場合なのか……稽古の合間の休み時間に、例え話のふりをして、お世話になっているYさんに訊いてみた。

 

 ── そうだな。


 LARKに火をつけようとしていた手を止めて、Yさんは答えてくれた。


 ── 最後に行く台湾での公演が今すぐ中止にならない限り、まず不可能だろう。


    *      *      *


 公演中止なんて、あってはならないことだ。

 仮にそれで8月中に帰れたとしても、私はきっと嬉しくはならない。

 もちろん、公演に参加しなければあいつの誕生日を祝うことはできる。

 でも、すべて承知の上で、私は演劇を優先して海外公演に参加することを決めた。

 そうしないと絶対に後悔すると分かっていたから。

 誰に相談することもなく、自分の意志だけで。

 あいつの誕生日は来年もあるけれど、私にとっての海外公演はこの一度きりで、もう二度とないかもしれない。


 だから、仕方ないんだよ。

 あいつは了解してくれたのだから、大丈夫だよ。

 私は自分に言い聞かせていた。

 だとしても、いったい何が大丈夫なのだろう?

 時間は止まってくれない。

 どんなときも。

 ちょっとでも油断していると時に流されてしまいそうな気がする。

 私にしたって、昨日の私と今の私は厳密にはまったく同じではない。

 明日の私なら、なおさらだ。

 あいつだってそうだ。

 あいつの気持ちがいつまで私の気持ちを繫ぎとめていてくれるのか。

 あいつの気持ちをいつまで私の気持ちが繫ぎとめていられるのか。

 私はあいつの優しさにつけ込んで、好き勝手に暴れているだけなのではないか。

 それで自責の念は消えず、うしろめたさを感じているのではないか。


 ……こんなことを考えてしまうようじゃダメだ。

 あいつにばれたら、間違いなく怒られてしまう。

 私はあいつに怒られたくて演劇を優先したのではない。

 むしろ、あいつに怒られないように、後悔なんてしないように、真剣に海外公演という選択肢を採ったのだ。

 海外公演を目いっぱい頑張ることが、あいつとの約束を守り続けることになる。


 幸いなことにタマキちゃんがいてくれる。

 タマキちゃんがいてくれて、本当によかった。

 タマキちゃんには私がいないときのあいつのことをそれとなく頼んである。

 私がドライヴに行けなくなったことで、タマキちゃんはあいつとふたりきりの時間をもてる。

 タマキちゃんにとって不本意な形かもしれないけど、悪くはないことだと思う。

 それに、私は何度だって言える。

 私にはタマキちゃんもあいつも、かけがえのない大切な人。

 これ以上ないほど大好きで、最高に面白いふたり。

 そんなふたりが一緒に楽しい時間を過ごしてくれるのなら、とても嬉しいことだ。

 そこに私がいなくても。


 ちゃんと、切り替えなくちゃ。

 公演の前にやるべきことはまだ残っている。

 前期試験。

 それに、レポートをもう1本。

 荷造りだってある。

 ぼんやりしている暇はない。

 私には、私にしかできないことがいくつもある。

 そのうちの半分くらいは、あとまわしで置いていくことになるけれど。

 残りの分は、とにかくベストを尽くしたい。

 そうでなければ、海外公演を選んだせいで永遠に後悔しそうだ。

 去年の私だったら、くよくよして、ふらふらして、重圧に押しつぶされていたかもしれない。

 けれど、今の私は違う。

 全部受け止めた上で、前に行ける。

 去年の12月のつらさ、今年の1月の苦しさを思い出せば、もう大抵のことには負けない。

 私はあいつのおかげで強くなれた。

 だから、もう一度あいつと話せる時間を、出発前に必ず作る。

 それが日本を発つ前に私がしなくてはならない最後のことだ。

 こんなことは考えたくないけど、飛行機が墜落する可能性だってある。

 けじめをつけておくべきだと思う。

 そして、私が重い荷物を持って出かけるときには快く送り出してほしい。

 頑張ってくるから、私の帰りを待っていてほしい。

 真っ先に会いにいくから。

 だから……。


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