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サイドシート  作者: ソラヒト
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06 パ・ド・トロワ(1)

 免許を取得できたボクにとって、当面の課題はキミとのドライヴであり、そのための行程を練ることだった。

 ボクは教習所で教わったとおりに、ドライヴに行くときの準備を進めていた。

 道路地図を買い、目的地へのルートを考え、寄る場所を考え、時間を計算し、予算も計算し、うまく行かないと分かればあらためて組み直し……。

 初めてのことばかりだけれども、実際行ってみたらキミはどんな表情を見せてくれるだろう。

 そんなことを考えてはひとりでにやついていた。

 要は、遠足の前日の子供とたいした差はなかったと思う。

 アルバイト中でも、手がすけば脳内シミュレーションにいそしんでいた。

 学校のことはほったらかしで、予算のためにアルバイトを頑張り、考えているのはいつもドライヴのことばかり。

 学生としてあるまじき姿の見本になっていた。

 電話がかかってきても自分で応じることはしなかった。

 例によって留守電任せだ。

 何かに集中しているときは邪魔されたくないからだ。

 一心不乱という言葉を使ってもなんの違和感もないほどだった。

 それでも、留守番電話のメッセージは一日に一度だけ、寝る前に必ず確認していた。

 そういう約束だった。

 キミとボクとの。


 タマキ以外の人からは単発のメッセージだけしかなかった。

 一方、タマキの声は何度となく聞くことになった。

 特に、試験期間中にやっつけなくてはならないレポートの課題については、口を酸っぱくして繰り返してくれた。

 おかげで、レポートの課題があるということは忘れずにすんだ。

 ただ、研究室前の掲示板を見たのが、タマキがくれた1回目のメッセージの日から2週間あとになっただけのことだった。

 しかし、レポートの締め切りよりも前にドライヴが予定されている以上、まずはドライヴのことに専念すべきだ。

 ボクはそう結論づけた。

 ひとつ心配なのは、キミがナヴィゲートをしてくれるかどうかだった。

 女の子は地図に弱いという俗説もあることだし。

 それでも、キミは旅が苦にならないタイプだったから、道路地図くらいはお手のもの、という前提で、ボクは行程を考えていた。

 自分で道路地図を確認しながら運転をすることは、安全のためにも心の余裕のためにもしたくはなかった。


 おおよそ見通しが立つと、ボクはキミの留守電にメッセージを残した。

 ドライヴの行程が形になったこと、レンタカーのこと、キミが暴れないようにタマキにお願いしたこと。

 キミとタマキからの留守電メッセージは先に聞いてあった。

 緊張した声のタマキのうしろで、キミが大笑いしている様子がうかがえた。

 確かに、すごく面白いメッセージだった。

 タマキがうろたえているなんて。

 ボクが見たことない表情を、キミがタマキから引き出せるとは。

 このメッセージは使える、と思い、消さずにおくことにした。

 次にタマキがここに来たときには再生してあげるとしよう。

 今頃はキミの部屋でアルコールを片手に、ふたりともボクのことをネタにして、きっとわいわいやっているに違いない。

 さぞ楽しかろう。少しうらやましかった。


 タマキの声で入っていた面白いメッセージは、キミのスケジュールに変更があったことを示していた。

 キミはあの日、午後から劇団の方へ行く予定だと言ってたはずだから。

 ボクはそう気がついた。

 予定がどうなったのか、確認しなければ……。


    *      *      *


 メッセージの翌日の夜に、キミはボクの部屋に来た。

 一見していつものキミとは雰囲気が違った。

 キミから話を聞いた。

 ボクには想像すらできなかった言葉、期待も予想も一瞬ではるか彼方へ吹っ飛んでしまう言葉を、ボクはキミから直接聞くことになった。


 その日、キミはサイドシートにいない。

 キミの言葉……キミになんと言われたか、正確には覚えていない。

 とにかくショックだった。

 ニュアンスと大意だけ頭に残った。

 人はあまりにもすごい衝撃を受けると、自分自身を守るためにその時の記憶を封印してしまうらしい。

 おそらく、断崖絶壁から落ちてみたら、こんな気分になるかもしれない。


「そう、なんだ」


「キミと行けないのは、ものすごく残念だけど」


「キミにとって、演劇がどのくらい大切なのか、他の誰でもなく、ボクがいちばん理解しているつもりだよ」


「キミを応援したいって、いつも思ってる」


 ボクがキミに返せた言葉は、この程度のものだった。

 「残念」という単語だけでは足りなかった。

 「落胆」という単語を使っても、とても言い尽くせるものではなかった。

 「呆然」と言う単語なら、表情をうまく出せなかったボクの気持ちに寄り添っていた。

 キミとの将来を遠くに見据えて少しだけ盛り上がっていたボクは、水を差されたような気分になったのも確かだ。

 しかし、落ち込んでいるだけではなんにもならない。

 焦ることはない。

 キミとボクにはこれからもたくさんの時間がある。

 宇宙へ旅立つロケットだって、整備不良が見つかれば体勢を立て直すために前向きな撤退をする。

 必ず無事に打ち上げを成功させるために。

 キミとボクはきちんと向き合って話をして、直接言葉を交わし、お互い納得することができた。

 だから、キミがいないことはものすごくさびしいけれども、これは戦略的撤退であり、何かが終わったわけではない。

 予定がうしろにずれるだけのことだ。

 キミとのドライブは必ず実現する。

 揺らぐことのない決定事項だった。

 ただ、それがいつになるのか、今の時点での見通しはまったく立たなかった。

 無期延期。

 自分の人生でこんな単語を使うことになるなんて。

 何か未知の力が働いているのではなかろうか。


── 世界は不思議で満ちている、っていうのかしら。


 ボクはキミと出会って間もない頃に聞いた言葉を思い出していた。


── 永遠の謎よね。


 仕方のないことだと思った。

 偶然が重なっただけ。

 誰も悪くない。

 何故こうなってしまったのかは、永遠の謎ということになるかもしれない。


「でも、勝手な言いぐさかもしれないけど、中止にするのはやめてほしいの。せっかく組んだ予定だし、タマキちゃんは時間を作ってくれたんだし、あなたには腕を磨くいいチャンスだよ」


 キミは予定どおりにドライヴすることを強く主張した。

 キミがタマキを誘っていたことは、キミから聞くまで知らなかった。

 確かにタマキに申し訳ないし、腕を磨けと言われたらそうするべきかと思う。


「なら、キミと一緒に行けるときまで、腕を磨いておくっていうことで了解するよ」


 万一の時のためにタマキがいてくれるのは、キミの言うとおり心強い。

 ボクはそこまで考えていなかった。

 キミを乗せて、キミがボクの隣にいることが大前提で……。

 もう、どうにもならない。

 腕を磨くことに頭を切り換えなくては。


    *      *      *


 となると、当日はタマキがサイドシートにいるはずだ。

 追ってタマキに確認したところ、親御さんの運転の際にナヴィゲートした経験が何度もある、とのことだった。

 どうやら道路地図はタマキに任せていれば安心できそうだ。

 タマキが隣にいてくれる。

 ひとりぼっちではない。

 タマキがいてくれることはとても心強い。

 タマキがタマキなりに、キミやボクに気を遣ってくれていることはとてもよく分かっている。

 わざわざ来てくれるのだから、タマキには笑顔になってもらいたい。

 心からそう思うし、キミだってそう考えているはずだ。


 ボクはキミに話さなかったけど、このかん『シティロード』や『ぴあ』を毎号チェックしていた。

 キミの話のとおりそれだけ大きな公演があるなら、必ずこれらの雑誌に情報が出るだろうと思ったからだ。

 けれどそれらしきものは依然として見あたらなかった。

 どうしてこれらの雑誌に出てこないのか。


 1.キミが、嘘を、ついた。

 2.キミがだまされている。

 3.キミの劇団が情報統制をしている。

 4.ボクが雑誌を見落としている。

 5.日本での公演ではない。


 ボクに思いついたのはこの5つだった。

 誓って言えるけれども、「4」はあり得ない。

 毎号数回は繰り返しチェックしたのだ。公演案内のページだけは。

 「1」もあり得ない。キミは嘘をつくのがヘタすぎる。

 そのくせ舞台に上がればしっかりできるのだから、ボクには不思議だった。

 演技と嘘は違うということなのだろうけど。

 「3」もないと思う。そうするメリットは何もないと思う。

 すると、「2」と「5」が残る。

 ボクは「2」もないと思う。

 キミはああ見えて実はすごく慎重なたちだから。

 それに劇団は実績がある。

 ボクはこれまでに二度ほどキミの勇姿を見にいった。

 ならば、答えは「5」だ。

 ボクが思いついた選択肢に正解があるかどうかは分からないけれど、可能性としては充分に考えられることだ。

 だけど、そうだとしても、なんでキミは言ってくれないのだろう。

 ボクは「海外公演」だと言われてもちっとも驚くことはないと思う。

 「キミがサイドシートにいない」、これを上回る衝撃は今のボクには考えられない。

 覆せる可能性はまったくない既定路線。

 文字どおりボクの頭の中はすべて吹っ飛んでしまった。

 ボクを引っかけるなら今がチャンスだ。

 からっぽの頭はいつもよりぼんやりして、話しかけられたこと全部に適当な「イエス」を返すだろうから。


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