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サイドシート  作者: ソラヒト
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05 “イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ(If You Could See Me Now)”(3)


 エヴァンズのソロをバックに、私は気分よくグラスと氷を取りに、まず冷蔵庫に向かおうとした。


「お風呂上がりにいきなりじゃ、ふたりともコロってなっちゃいそうだから、ひとまずお水から、ね」


 私は留守電の点滅に気がついた。

 お風呂の間に着信があったのだ。


「ごめんタマキちゃん、メッセージ聞いちゃうね」


 劇団の事務所からだった。


── もうしばらくしたら、また電話します。


 なんだか、とってもタイミングがよくない気がした。

 気を取り直して、私はテーブルの上に買い出しの成果を並べはじめた。

 すぐにタマキちゃんが手伝ってくれた。

 タマキちゃん、いい子すぎ。

 グラスをふたつと「七面鳥」、ロック・アイス、チェイサーのミネラル・ウォーター、クリーム・チーズ&クラッカー、まずはこれくらいからだ。

 ミネラル・ウォーターを飲んでから、あらためてタマキちゃんと私はグラスを合わせた。


「あ、けっこう飲みやすいんですね、これ」

「そうね、バーボンとしては飲みやすいヤツだと思うよ」


 タマキちゃんは、実はずいぶんいける方だと私は感じていた。

 飲みっぷりがさまになっている。

 あいつではこうはいかない。

 タマキちゃんと同じペースで飲んだとしたら、もうダウンしているはずだ。


「あの」

「何?」

「本当は、今日なら行けたんじゃないですか?」

「ん?」

「ドライヴ、です」


 タマキちゃんは誤解していた。


「私は今こうして先輩と一緒にいられてとても嬉しいんですけど……せっかく時間ができたわけですし、試験の直前にぎりぎりじゃなくても……レンタカーだって、どうにか」

「タマキちゃん」

「はい」

「私ね、急に時間が空いたからって、そそくさと出かけるようなこと、したくないんだ」

「ああ……すみません」


 タマキちゃんの声は小さくしぼんでしまった。


「ううん、気にしないで。ただ、私、あいつとのドライヴは、きちんとね、十二分に時間をとって行きたいの。そうしないと、やっぱりあとから」

「後悔、ですか」

「うん」


 私はにこやかに答えた。

 エヴァンズは“イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ”を弾いていた。

 “今の私をあなたが見たなら……”。

 何故かあいつの顔が私の脳裏に浮かんでいた。


「それに、今日はもともと、劇団の方ですごく大事な予定が入っていたから、あいつには一日会えないよって、言ってあるんだ。急に時間ができたからって連絡しても、あいつたぶん応答してくれない気がする」


 こういう場合けっこう面倒だよね、あいつって。

 私は続けていた。


「すみません」

「もう。気にしないで。はい、追加追加」


 私はタマキちゃんのグラスに「七面鳥」と氷をひとつ足した。

 ありがとうございます、とタマキちゃんは言った。


「すごく大事な予定だったのに、急に中止になっちゃったんですか?」

「正確には中止じゃなくて、延期なの。代表に、スポンサーから急用が入ったとか、午前の電話で事務所の人から聞いた。それなら仕方ないって、私でも分かる。公演に関わる重大なことだから」

「はい」

「もともとの予定はね、海外公演前の最後の全体ミーティング。私に欠席は考えられない。だからこそ、まる一日会えないよって、言ってあったの」

「そう、なんですね」

「そう。延期になって、ミーティングがいつになるのかは、またあとで事務所から連絡が来ることになってるんだ。さっきのメッセージ、たぶんこのことだと思う」


    *      *      *


 元からこの日の午後は、稽古とミーティングでつぶれる予定だった。

 だから私は、午後のふたつの講義はなかったことにしようと思っていた。

 午前はふたコマ目だけ講義だったから、朝のんびりしてたら、劇団の事務所から電話が来た。


── 急なことだからとりあえず電話してみたのよ。あなたをつかまえられてよかった。

── 今日は代表の都合で予定は変更、明日からは予定どおり。

── ミーティングの件は追って連絡します。


 それで急遽午後は空いた、ことにした。

 ふと気づいて、タマキちゃんに会えるのでは、と思った。

 あいつとタマキちゃんが一緒にとっているという必修科目、午後のひとコマ目、今日はサボっているに違いないあいつに比べて、きちんとまじめに出席しているに違いないタマキちゃん。

 私は研究棟のラウンジ・ブレンドを飲んで時間をつぶした。あいつがけっこう好きなコーヒーだった。

 それから講義が終わる頃を見計らって、私は中庭のはずれへと向かった。

 少しぐらい時間より早く終わるかなと思って、終了時刻よりも30分前にはタマキちゃんが来るのを待っていた。

 でも、講義はきちんと定時まであったようだ。

 タマキちゃんを見つけたのは、終了時間が5分ほど過ぎた頃だったから。


    *      *      *


「あ、先輩、グラスがからですよ。今度は私から」


 タマキちゃんは氷とボトルをとった。


「指2本分くらいでいいんですよね」

「うん。ありがとう」


 私はクリーム・チーズを一片つまんだ。

 急に電話のコール音が鳴った。

 もしかして。


 私はよっつめのコール音が鳴ってすぐに受話器を取った。


「はい……はい……えっ!?」


 私は思わず固まってしまった。

 そんな……。


「分かりました。はい、もちろん行きます。はい。連絡ありがとうございました」


 私は力なく、受話器を置いた。


「劇団のかただったんですか?」

「うん、そう……」

「先輩?」


 私はうつむいていた。

 しばらく呆然としていたと思う。


「大丈夫ですか、先輩……先輩?」


 タマキちゃんが軽く肩を揺すってくれて、私は我に返った。

 私はたぶん、かなり困惑した表情だったと思う。


「タマキちゃん」

「はい」

「私、行けなくなっちゃった」

「え!?」


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