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【ー15年前ー】
第一都市シルフの郊外に向かって走る人影が一つあった。美しい短い白銀の髪は陽の光を反射するように煌めいている。
「はぁ、はぁ……」
息も絶え絶えに走っているその姿からは想像が出来ないほど軽やかに、そして、辛くも何処か嬉しそうなその表情が、印象的な美しい顔立ちの青年は、自分の限界を越えようとするかのように疾走していく。この青年、アシュレイ・ウェルズは郊外にある木造の家へ辿り着くと勢いよく扉を開け、その勢いのまま中へと入って行った。
「ローナ!おお、我が愛しのローナ!産まれたと報せを聞いて飛んで帰って来たぞ!」
扉を開けるなりアシュレイは大きな声でローナに呼びかけながらドスドスと寝室のある二階へと上がっていく。
「貴方。大きな声を出すとエルロイドが起きてしまいますわ」
アシュレイと酷似した白銀の、しかし腰まで伸びた艶のある髪が特徴的な女性が柔らかな声でアシュレイを嗜める。しかし口調とは裏腹に、その表情は柔らかく、帰ってきた夫の姿を見て喜ぶ乙女のようであった。
「それはすまなかった。しかし、一刻も早く顔が見たくて遠征が終わり次第飛んで戻ってきたんだぞ」
アシュレイはバツの悪そうな顔でそう告げる。
この第一都市には領主に仕える騎士団が駐屯しており、第一騎士団、第二騎士団、第三騎士団、第四騎士団がある。
第一騎士団は騎士団の精鋭達が集まり、主に都市中心にある城の警備や戦時に重要な役割を担う対人戦闘に特化した戦闘集団として名を馳せている。
第二騎士団は城門周辺や都市の警備を主とする集団、第三騎士団は都市周辺から、都市の所属する領土の治安維持を主とした任務にとしている。
第四騎士団はいうなれば騎士見習い達が集まる集団で、騎士に就任したばかりの新人が、騎士精神や、騎士としての役割を実技、座学を通して学ぶ半人前の集団である。
一般には騎士団に就任後に第四騎士団に所属し、騎士として一人前と認められれば、第三騎士団に昇格する。さらにそこで手柄を上げると第二騎士団に、と順に昇格していく。
アシュレイは第三騎士団に所属しており、遠方の領土へと遠征から戻ってきたところで、妊婦であった妻ローナの出産の報を受けて、急ぎ帰路に着いたところであった。
「さぁローナ、可愛い我が子の顔をみせてくれ」
アシュレイはそういうと赤子を抱いたローナへと近づいて行った。
ローナに抱きかかえられた赤子は、先ほどのアシュレイが立てた騒音に気づかなかったようにすやすやと寝息を立てていた。
ローナとアシュレイは静かに寝息を立てる我が子を見つめながらこれから訪れるであろう幸せな日々を思い微笑んだ。
ーーーーーーーー
エルロイドがこの世に生を受けてから、10年の年月が経過していた。エルロイドは、ローナとアシュレイ2人から溢れんばかりの愛情をうけ、大切に育てられ、すくすくと成長して行った。2人の輝くような白銀の髪を受け継ぎ、その容姿はローナの生き写しのような整った中性的であり、年相応の子供特有の幼さを感じさせる。しかし、その眼だけはアシュレイに似て、澄んだ碧い色をしており、瞳には、年相応の好奇心を写している。
「父様、父様!今日は狩りに連れて行ってくれるのですよね!」
エルロイドはワクワクした様子でアシュレイへと問いかける。アシュレイはその問いに嬉しそうにエルロイドの髪を力強く撫でながら息子の問いに答える。
「あぁ、ここからすこし離れた森にいる獣や野鳥の取り方を教えてやろう」
「わぁあ。やったぁ!早く、早く参りましょう父様!」
アシュレイは喜ぶ我が子をみて、微笑んで答えると、それを聞いたエルロイドは更に笑顔を大きくしてアシュレイへ狩りの催促を行った。
「エル。狩りとは常に冷静に行動しなければ上手くはいかん。準備をしっかりして、慌てずに、且つ迅速に行動することが大切なんだぞ」
アシュレイはエルロイドの落ち着きのない様子を微笑ましい気持ちでみて、だが、狩りをすることに大切な心得を説く。
「弓とナイフの点検は済ませたか?矢筒のベルトの調節と鏃の点検を済ませたら母さんのお弁当を持って出発しよう」
「はい。父様!」
郊外の家からおよそ1時間ほど外れた森の中。木々が鬱蒼と生い茂るこの森は枝葉の隙間を縫って差し込む陽光が辺りを照らしている。そのため、薄暗くはあるが、何処か神聖な雰囲気を醸し出している。
青々とした匂いにが鼻を刺激する、粛々とした森は静まり返ることなく、木々の葉が揺れる小々波の音や所々で鳥獣の鳴声が思い出したように聞こえてくる。
ーーこの森の中に2人の親子の姿が見えた。
「エル。聞こえたか?少し離れた所から鹿の鳴き声が聞こえていたのが」
「はい、父様。ヒーン、ヒーンという風に鳴いていました」
「よし、よく聞こえたな。狩りでは動物の形跡を見つけて何処に居るか想像することが大切だ。
先に聞こえた鳴き声もそうだが鳥が羽ばたく音や動物の足音、草木を食んでいた形跡や、糞や臭い。このような小さな手掛かりから獲物を見つけていくんだよ」
アシュレイは、懸命に耳をすませ聴き分けた音を、伝えてくる息子に微笑みながら頷き、狩りに必要な方法を伝える。狩とは、感覚と直感を基盤としながら、動物の生態系を論理的な思考のうえ行う必要がある。そのため、矢張り10歳の子供、ましてや初めての狩りであるエルロイドには難しく、頷きながら一生懸命理解しようとしている我が子を確認し言葉を続けた。
「では実際に狩りをするから見ておきなさい。ここはもう少しで風上になるから移動する。しっかりとついてきなさい」
「はい。父様」
アシュレイは弓に蔓を張り、矢筒から矢を取り出し移動を開始した。
エルロイドがしっかりと付いて来ていることを横目で確認しながらゆっくりと音のした方を中心にして迂回するように十分に時間を掛けて移動する。
歩を進めておよそ30分。
「ここで止まれ」
数m先の木々を指差しながらエルロイドに静止の声を掛ける。
「あそこ何がいるか見えるか?」
囁くほど小さな声で問いかける。
「鹿です。父様」
エルロイドもアシュレイに倣い小さな声で答える。
「正解だ。今からあの鹿を射止める。ここでしっかりと見ておきなさい」
アシュレイはエルロイドに声を掛けて木々の隙間を縫うように移動していく。その眼は獲物を捕らえ、観察していく。
(そう大きくはないな。経験が少ないと考えていいだろう。
もう少し近くか)
矢を番えて獲物との間に邪魔になる枝や蔓が無いことを確認し、その時を待つ。
獲物となった雄鹿は辺りを警戒しながらも自らが啄ばむ葉を探している。
ーまだだ、まだ早い
若々しい新葉を見つけ、嬉しそうに嘶く。
ーまだだ。
息を整えて弓を引く。
新葉の方へと雄鹿が近づいていく。
ー後少し……。
雄鹿が新葉を口に啄ばむ瞬間……
ー……今だ!
矢を摘んでいた指を離し矢を放つ。矢は綺麗な放物線を描いて鹿の右後の脹脛へと吸い込まれる様に的中した。
「ヒーン!イーン!!」
鹿は嘶きながら逃げようとするが、矢が刺さる痛みによるものなのか、その場でよろめき倒れそうな身体を必死に立て直す。
更に続けて矢を番えて放つ。鋭い音を立てて飛ぶ矢は雄鹿の頸に突き刺さり雄鹿は力なく倒れた。
「エルロイド、来るんだ!」
アシュレイはエルロイドを呼びながら雄鹿へと小走りで近づいていく。雄鹿は今にも死にそうな声で苦しそうに鳴いている。
「さぁ、エル。そのナイフで楽にしてあげなさい」
「……! はい。父様」
エルロイドは躊躇いながらも鹿の首元にナイフを当てて一気に引き抜いた。更に与えられた痛みから逃れようと雄鹿が暴れようとするが、アシュレイはそれを抑えながら再度ナイフを引くようにエルロイドを促す。
子供の非力な力では上手く刃を引くことが出来ず、三度目にして漸く仕止める事ができた。
エルロイドは血で染めた手を見やり、込み上げてくる吐き気を懸命に抑えながら強がる様にアシュレイへと向き合った。
「終わりました父様。でも手が血で汚れて気持ち悪いです」
「ははっ。まだまだ上手くは出来んさ。これから上手くなればいい」
アシュレイはエルロイドを労うと、その場で器用に雄鹿をロープで縛ると、軽い身のこなしで木を駆け上がり、太い枝に登ると、その枝に吊るして血抜きをする。
「本来は森を抜けてから血抜きをするようにしなさい。血の臭いは魔物を引き寄せる」
「ではどうして、今日はここでするのですか?」
「それは、お前を連れたまま血の臭いを振りまいて移動したくないからだよ。一人前の狩人になると、抱えたままでもそれなりの速度で森を抜けられるが、慣れないうちはそういう訳にもいかない。
しかし、ここには子鬼族程度の魔物しか出ることはないから、そこまで気をつけなければならないということもないしね」
アシュレイはそう答えるとエルロイドの手に着いた血を水囊を取り出し洗い流した。
血抜きも終わり、二人はゆっくりと森を抜ける道を辿る。
「エル、そこは滑りやすいから気をつけていくんだよ」
「うん!大丈夫、心配しすぎだよ父様!」
エルロイドはそう軽快に答えると走り抜けようとする。
「!?」
崖のすぐそばを走り抜けようとしたエルロイドは、ぬめり気のある地面に足を取られて滑ってしまい、そのまますぐ脇にあった崖の下へと落ちてしまった。
「……っ!」
咄嗟の出来事で声はでなかった。唐突な浮遊感がエルロイドを襲う。
「エルロイドーーーーっ!!!」
エルロイドは、遠くでアシュレイの声を聞きながら真っ直ぐと落ちていく。
幸か不幸か、エルロイドは崖下にある川に派手な音を立てながら転落した。
川はその姿を呑み込んで、エルロイドを遠くへと運んでいった。