2-15
羽音。無数の羽音だけがこの空間を支配する。突如として現れた巨大な蠅の化け物は、物言わぬままこの空間の中央に浮いたままだった。
空気が......重い......
呼吸が荒くなり、じめじめとした息苦しさが俺たちを襲う。頭が痛み、気怠さが突如として身体に伸し掛かる。
この冷たい空間には煩いくらいに羽音だけが響いている。
張り付いた喉を、乾いた唇を舐め、絞り出すように唱える。
「鑑定」
【蝿の王/???】
【LEVEL】unknown【RANK -】
【HP】unknown
【MP】unknown
【攻撃】unknown
【防御】unknown
【俊敏】unknown
【運】 unknown
【特技】
-- unknown
【特殊技能】
-- unknown
「ベルゼ.....ブブ......」
呟いた声が煩く響いているはずの空間にやけに鮮明に聞こえた。俺の声を聞いたカイルとアシュリーが息を呑む声が聞こえてくる。
「そんな……」
「コレが、蠅の......王......」
《蠅の王》大いなる七主の一柱として君臨するこの怪物は、まさに伝説と云えるだけの張り詰めた存在感を放っている。ぴたりと微動だにすることなく宙に浮くその姿は、絶望を振りまいて俺たちを追い詰めて行く。
不意に空気が変わる......これは......魔力を集めている......?
「!!? 不味い......!!」
膨大な魔力が渦を巻いて空間が大きく歪んでいく。駄目だ......身体が......動かない!!
静かに、細かく震える羽根が薄ぼんやりと蒼白く光りを灯す。その圧倒的な姿を目前にしながら、俺はその光景を目に焼き付けることしかできなかった。
動け......動け!!!このままじゃ拙い!!
震える腕を意志の力で無理矢理動かす。ポーチから小ぶりのナイフを取り出して自らの脚に突き刺す。
「痛ッ......!!」
鋭い痛みが襲うが......これで動ける!
痛みで恐怖心を消し去り、鉛のような身体に鞭をうち、剣を構えて怪物へと向かっていく。
「うおぉぉぉおおお!!!!」
俺の声に目が覚めたように、カイルとアシュリーも漸く動きを見せた。
「我は今ここに願う。大いなる火よ……拡散し、我に立ち塞がる障壁を燃やし尽くせ! 火風!!」
「我は今ここに願う。大いなる風よ、纏て我が意を示せ……纏風!!」
カイルが打ち出した炎が蝿の王へと襲いかかり、アシュリーの風によって勢いを増して、完全にその身を呑み込んでいく。
猛々しく燃え盛る炎に向かって跳びこみ一閃するも、硬い感触に刃が阻まれ、押し返される。腕の痺れが何も斬れなかったことを教えてくれる。
「ちっ!駄目か」
悪態をつき、着地するともう一度斬撃を試みるため柄を握り直して腰を落とす。
炎が勢いを無くし、風が収束する。
「嘘だろ!無傷かよ!!」
カイルが悪態をつき、蒼い顔を更に絶望に染める。
「くそっ!もう一度だ!!」
何も言わぬ蠅の王を斬り落とすため、力を込めて地を蹴り出す。
「なっ!!」
不気味に蒼白く光る魔力が収束し、羽根に髑髏によく似た模様を創り出す。
ーーあれは……拙いな……ーー
そう思うがもう遅い。踏み出した脚は止まることなく地獄への歩みへとこの身を進めていく。
「駄目よ!エル!!!」
唐突に直ぐ側でアシュリーの叫ぶ声が聞こえると同時に衝撃が俺を襲った。
『死の宣告......』
更なる衝撃が俺を襲い、そのまま後方へと吹き飛ばされる。
「うっ……」
呻き声を上げて目を微かに開ける。重い……何かが俺に覆い被さるように起き上がるのを邪魔する。
「アシュリー!!!!!」
カイルの叫び声が耳を劈く。
衝撃がで鈍くなった頭が一気に醒める。まさか……そんな……
気合いで状態を起こすと、俺に覆い被さっていたものが、いや、人が力なく動く。
「そん……な……」
暖った身体は氷のように冷たくなり、まるで壊れた人形のように力なくぐったりとしたアシュリーが、俺の腕の中に収まる。
ーーードクンーーー
視界がぼやけて、なにも考えられなくる。
ーーードクンーーー
やけに自分の鼓動だけが大きくなり、煩かった羽音すらも聞こえなくなる。
ーーードクンーーー
眼が、右眼が熱い。灼熱の傷みが俺を襲うが、その痛みすら愛おしく感じてしまう。
ーーードクンーーー
アシュリーの、強く、優しい顔が思い浮かぶ。
ーーードクンーーー
『ねぇ、エル』俺からの贈りものを嬉しそうにしながら微笑む。
ーーードクンーーー
『大事にするね』
ーーードクン!!!!!ーーーー
一際大きく鼓動が弾み……
「ガァァアアァァアアァァァア!!!!!!!!!!!!!」
俺は何も考えられないまま、その灼熱の闇に身を任せた。




