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何事もなく3階を抜けて俺達は2階へと辿り着いた。
いつの間にか耳障りな咆哮も聞こえなくなっていた。不安要素が無くなることは良いことだ。これが良い方に転べば言うことは無い。素直に喜ぶとするか。
「よし、あと少しだな。このまま一気に抜けるぞ!」
俺は思考を切り替えて塔へと意識を向ける。安全に対する不確定要素が多い今、早めに脱出した方がいいだろう。
歩を進めていくなかで単体の小鬼族をたまに見かけるが、避けれる戦闘は全て避けて少し回り道をした。
どうしても戦闘を避けられない時はタイミングを窺い、アシュリーの弓矢による先制攻撃で隙をつき、俺とカイルで止めを刺して戦闘の時間を短縮する。幾度か繰り返すと戦闘に慣れてきて、一回の戦闘に掛ける時間は平均1分を割る。
此処まで早く済ませることが出来たのは、4階の大部屋で見かけたような小鬼族の集団に出くわさなかったという事と、
塔を進む程に植物が鬱蒼として、俺たちが身を隠しやすくなり、襲撃が容易になったということが理由だ。
それに加えて倒した小鬼族の魔石を諦めた。魔石による収入は大きいが、正体不明の啼き声の主に出くわしたらどうなるか分からないからな。啼き声が聞こえなくなったからといって余裕をかましてはいられない。
今の俺たちは経験が浅い。危険は回避して然るべきだ。
アシュリーが小鬼族の額に矢を射抜き、地に伏せた小鬼族喉にカイルがナイフを突き立てる。
「ふぅ。これで何体目だ?そろそろ飽きてきたぞ」
「さぁ?もうあんまり数えていないわ」
カイルが愚痴を溢し、それにアシュリーが応えた。
「そういうな。そろそろ1階への階段が見えてくるはずだ」
繰り返し戦闘をして、そろそろ集中が切れてきたか。あと少し……さぁ、もうひと頑張りだ。俺達は気合を入れ直して先へ進んだ。
暫く進むと目の前に最層階への階段が見えてきた。
「よし、もうすぐ此処から脱出できるな。あと少しだ、頑張れ!」
俺は2人をそう励まして、1階への階段を降りる。
1階は此処までと打って変わった光景が広がっていた。いや、此処に入ってきた時と全く変わっていない光景が俺たちを迎える。
鬱蒼としていた植物は今まで生えてすら居なかったのように何処かへ消え去り、この塔に入ってきた時と変わらない風景が俺達を迎える。
「やっと此処まで降りてこれたわね。」
アシュリーがほっと息を吐き、安堵してた表情を見せる。 今までと違い変化のない場所に来れた為に、安心感を覚えたのだろう。
「さっさと戻ろうぜ。此処は気味が悪いぜ」
逆にカイルは急に変わった風景に警戒しており、早く進もうと急かしてくる。どちらにしても俺達はとりあえずこの塔を脱出するだけだ。
だからといって無用心に進むのは、馬鹿のすることだろう。つまり、最後まで警戒しておくに越したことはない。
俺はそう考え、カイルとアシュリーに警戒するように促してそろそろと進んでいく。辺りは不気味なほど静まり返っていた。
今まで見かけた小鬼族も、この階層に降りてからは一体も見かけていない。だからといって罠がある事もない。
警戒し過ぎたか?俺の脳裏にそういう考えが浮かぶが、敢えて無視をする。
そこから30分ほど進んだところでいよいよ塔の出口がある最後の部屋へと辿り着く。
「漸く出口ね」
「もう小鬼族は懲り懲りだぜ」
目の前に見えてくるだろう外への扉へ辿り着くという安堵感から、軽口を交わす。
「全くだ」
カイルの小言に俺たちは笑い表情を崩した。
部屋の中程まで歩いた頃、小さな音が聞こえ何気に天井に視線を向ける。
「っ!」
天井が僅かに罅割れた。
気づいたのは俺だけか!2人は急に罅割れた天井に気付かずにそのまま歩いていく。
更に大きな音を立てて罅が大きくなった。その罅は丁度歩いている2人の真上にあった。
「ん?エル、どうした?」
カイルは急に立ち止まった俺を振り返り声を掛けてくる。
くそっ!呑気な奴め!
「今直ぐこっちに跳べ!!」
俺は大声で2人に指示を飛ばす。
「ーーっ!!」
2人が俺の方に跳んだ瞬間、天井は轟音を立てて崩れ落ちた。
正に危機一髪。2人は崩れ落ちてきた天井に巻き込まれる事なく、こちら側に跳び退き瓦礫を回避する事ができた。土埃が辺りを俟って視線を塞ぐ。
「カイル!アシュリー!無事か!?」
「あっぶねー!俺はなんとか大丈夫だ!」
「私も大丈夫よ!何が起こったの!?」
2人の返事に俺は安堵で胸を撫で下ろす。最後の最後に天井に潰されるって、ついてないにも程があるだろ!
俟っていた土埃が薄れ、視界が回復していく。シルエットで見える瓦礫は山のように積み重なっており、2mを超えるほどに大きい。
これは……幾ら何でも大きすぎるだろ。
嫌な予感が脳裏を掠める。
瓦礫が音を立てて崩れて大きな山がもう一つ姿を見せる。然しそれは無機質な瓦礫でなく、硬い体毛に包まれた何かの背中であった。
その山がゆらりと立ち上がる。立ち上がったそれは3mに届きそうな程大きかった。全身は硬く黒い毛で覆われていた。そのシルエットから、人型の何かだという事は分かったが、余りにも馬鹿でかくて分からなかった。
しかし立ち上がったその姿を見る事が出来て、俺は其奴が何かが分かった。
身体は毛の生えた人の形をしていた。腰には丈夫そうな布を巻きつけている。其奴は獣の顔を持っていた。
頭には捻れた角が左右1本ずつ突き出しており、その存在を知らしめている。
口は涎に塗れ、荒い息を浅く何度も繰り返している。塔の上から聞こえてきた咆哮も恐らく此奴だろう。
「気をつけろ!こいつは強敵だ!」
俺は2人に武器を構えるように指示を飛ばす。
俺たちの目の前にいる、此奴は恐らく“牛頭種”だろう。
くそっ。なんでこんな奴がこんな所にいるんだ。
「此奴は牛頭種だ!!気をつけろ!さっきまでの小鬼族とは強さの格が違う!」
牛頭種という言葉を聞き、息を呑む音が聞こえてくる。
「牛頭種だって!」
「なんでそんなモンスターがここに居るのよ!牛頭種ってBランクのモンスターじゃない!」
2人は驚愕に目を見開いた。
『グオオォォォォオオオ!!!!!』
馬鹿デカイ咆哮が耳を劈く。
全身に汗が噴き出し、心臓は鼓動を早める。
ヤバイ、此奴はヤバ過ぎる。
まだ落ちてきた衝撃が抜けきっていないのか、俺達を気にする様子はないが、何時迄もそのままという事はないだろう。そこまで楽観的にはなれないな。
俺は牛頭種の咆哮に竦みそうになる足を叱咤して、剣を抜く。
ここで此奴を仕留めなければ俺たちが死ぬだけだ。恐怖に戦意を喪失しそうになるが、自らを奮い立たせる。
俺はこれ以上の恐怖を知っている!
あの夜の、あの影を思い出す。あれに比べれば此奴は可愛いもんだ。
俺は牛頭種の様子を観察する。落ちてきた衝撃から立ち直るように頭を振るっている。
「アシュリー、カイル、魔法は使えそうか!」
俺は素早く2人に確認する。
「ええ、此処に降りてくるまで魔法を使わなかったから、少しは使えそうよ!」
「俺もアシュリーと同じだな!任せてくれ!」
俺の声に2人はハッとして、表情を切り替える。
よし!
魔法が使えるのと使えないのとでは、戦略の幅が大きく変わる。
少しは希望が生まれたな。
「まずは俺が先行する!彼奴を出来るだけ引き付けておくから、魔力を引き出して後方から支援してくれ!
カイルは火球を撃ったら牛頭種を中心にして扇状に移動して後方へ移動、隙を見て攻撃してくれ!
いいか!絶対に攻撃には当たるな!ナイフで受けずに、回避しろ!まともに当たると命はないぞ!」
此処までの体格差が有ると全ての攻撃が致命傷になり得るだろう。
それに此奴はBランクモンスター。俺達とは、総ての規格が違いすぎる。
衝撃から立ち直った牛頭種がその眼に俺達を捉える。
『グオオォォォォ!!オオオォォォオオオ!!!』
ーーーその咆哮を合図に俺は前へと駆け出したーーー
魔物のランクについて説明します。
魔物は独自の生態系を築いており、その個体によって強さや能力が変わります。
地界では、その危険度からF,E,D,C,B,A,AA,AAA,Sの九段階に分類されています。
例えば小鬼族など、一般的な成人した大人でも十分に倒せる魔物はFランクに分類され、今回登場した牛頭種のように身体能力に優れており、パーティーを組んだ熟練の冒険者でも命の危険がある個体は、高ランクであるBランクに位置しています。
ランクは討伐の難しさ、個体の身体能力、個体特有の能力(飛行能力や麻痺毒、魔法の使用能力など)によって決められます。