表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

第6話

 店の外に出ると、入店時と比べて、街はずいぶん静かになっていた。ピークを過ぎたのだろう。夜明け前の冷たい風が吹いている。俺はママから教わった住所のほうへ歩き始めた。そのときだった。

「探したぜ」

 ハッとして横を見ると、夕方のスーツ姿の男が傍にいた。俺が驚いた顔をしたのだろう、男は満足げにニヤリとした。

「入っていくところを見かけて、店から出てくるのを待ってたんだよ。おかまバーで豪遊たぁ、呑気なもんだな」

 腕を背中でひねるようにつかまれた。なすすべもなく、店の裏手へと連れて行かれる。通りから死角になっている場所で、俺はみぞおちを思い切り殴られた。

 膝から崩れ落ちる。夕方食べたカレーの味が、喉元まで逆流した。今度は背中を蹴られた。顔から下を狙うのは、やっぱり堅気じゃない証拠だなと、俺は声にならない声でつぶやいた。

「手間かけさせやがって」

 デニムの尻ポケットから、iPhoneを抜き取られた。必死に抵抗しようとするが、俺はただもがいているだけだった。

 ここまで来て、この結果か。みらいの居場所はもうわかっている。ここから歩いて10分だ。でもiPhoneなしでは、俺はみらいには会えない。会う資格はない。二丁目の路地裏で転がっているだけの無力な人間にだって、修理屋としてのプロ意識はある。俺は男の足にしがみついた。

「離せよ」

 もう片方の足で頭を蹴られる。とがった革靴は、ちょっとした凶器だと知った。それでも必死でしがみついた。


 不意にゴン!という鈍い音がした。俺が殴られたのかと思ったが、違った。

 デカい中華鍋を担いだ咲良ちゃんが立っていた。

「何するんだよ、カマ野郎!」

 咲良ちゃんは後頭部をもう二発殴ったあと、さらに男の首の後ろに手刀を喰らわせた。変な声を出して、男は崩れ落ちてしまった。

「元自衛官、ナメるんじゃないよ」

 たくましい腕で助け起こされる。ママやほかのキャストもやって来た。咲良ちゃんは「はい、大事なもの」とiPhoneを渡してくれた。

「あんたのことがなんだか気になって、見送ろうと思って出たのよ。そしたら男に絡まれてるじゃない!? 心臓が止まるかと思ったわよ」

「咲良が血相変えて、『死んじゃう死んじゃう!』って大騒ぎしながら、中華鍋つかんで飛び出して行ったのよ」

「だって怖いじゃない~~」

 咲良ちゃんはおしぼりを持ってきて、俺の顔についた汚れをぬぐってくれた。俺は夢の中にいるような心地で、「いいんですか」とつぶやいた。

「ここ、店の敷地内だもの。営業妨害よ」

 ママは悠然と煙草をくゆらした。俺は咲良ちゃんに向き直った。

「咲良ちゃん、ありがとう」

「男ひとり守れないなんて、女がすたるでしょ」

 何故か咲良ちゃんは、最初のツンデレな態度に戻っていた。そっけなく「絶対、また来るのよ」と言った。

「来ます」

 俺は咲良ちゃんに右手を差し出した。咲良ちゃんは意外そうな顔をしたが、しっかり握り返してくれた。俺は力いっぱい握手した。そういう気分だった。


4時半を過ぎて、もう夜は去っていた。太陽はすでに昇り始めていて、酔っぱらってうずくまる人たちや、抱き合ってキスを交わす人たち、街の隅から隅まで照らす。朝の光を頬に感じながら、俺はママから教えられた住所へと向かう。新宿6丁目、新宿の東の外れだ。つまり、俺の働く店と驚くほど近かった。


 探していた店は、何の変哲もない普通のビルの地下1階にあった。階段を下りると、店の入口の横に竹が飾ってあり、涼しげな風情を演出していた。引き戸の横に、白で「藹」と染め抜かれた紺色の布が、看板代わりにかけてある。俺はガラガラと引き戸を開いた。

「ごめんなさい、今日はもう終わりなんですよ」

 カウンターの中でグラスを拭いていた声の主は、俺の姿を認めて、意外そうに小首をかしげた。

「あら、本当に届けに来てくれたの」

「ずいぶん探した」

「でもたどり着いたのね」

 みらいはベージュっぽいシンプルな着物を着ていた。髪の毛を肩の上で切りそろえていて、動くとうなじが見え隠れした。

「あのさ。店名、読めねえよ。検索にも引っかからない」

「仲良くしてることを、『和気藹藹』っていうでしょ。その『藹』よ」

「漢字、苦手なんだよ」

「あんたは昔から理系だったもんね」

 カウンター席で瓶ビールを飲み干した最後の客が、俺たちのやり取りを見て「えっ、みらいちゃん、もしかして彼氏?」と尋ねた。

 みらいは微笑んだ。

「弟なんです」


 俺には3歳上の兄貴がひとりいる。

 みらいは俺が中3のときに家出した、俺の兄貴だ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ