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第5話

 新宿二丁目に足を踏み入れるのは初めてだった。夜更けなのにというべきか、夜更けだからというべきか、街はかなり明るい。そう大きくないメインストリートに、飲み屋やパブ、アダルトグッズ店の賑々しい看板がひしめいている。夜でも半袖で平気な季節だからか、軒先で酒を飲んだり談笑している人も多い。気のせいかもしれないが、通り過ぎる男たちと、チラチラと目が合う。俺は足早に歩いて「おかまバー めぐり逢い」へと急いだ。


「おかまバー めぐり逢い」は、パッと見だと、小さな喫茶店みたいな店だった。窓がないので中の様子はわからない。俺は木の扉を引いた。取り付けられたベルがチリンと鳴る。薄暗い店内に、ミラーボールが回っていた。

「いらっしゃーい」

 カウンターの中にいる、ママらしき人と目があった。

「初めてのお客さん?」

 ストライプのブラウスの胸元は膨らんでいて、一見派手なおばさんといった感じだが、その声は男のものだった。近くのソファ席に、俺に背を向けて座っていた人が立ち上がり、振り返る。

「やだ、可愛い~! ひとりなの?」

 相手の声の大きさと見た目に、俺は正直なところ面喰らってしまった。180cmはあるだろうという立派な体躯で、マリリン・モンローみたいな白いドレスを着ている。頭は金髪で、カールされたボブ。真っ青なアイシャドウは、指で触れたら掬えそうなほど、ギラギラと輝いていた。

「あたし、咲良です。咲良ちゃんって呼んでね。こっちにどうぞ」

 薄緑色のソファに案内されそうになって、俺はようやく声を発した。

「すみません、客じゃないです」

「え?」

“咲良ちゃん”の声のトーンが一段下がった。

「店っていうか、人を探しているんです。さっきゴールデン街の店で、ここで訊いたらいいよって言われて」

 咲良ちゃんは腕組みし、唇を尖らせた。

「何それ、うちは探偵じゃないわよ。人探しって、どうせ女でしょ!?」

 俺が言葉を濁すと、「もう、やんなっちゃう!」と咲良ちゃんはぷりぷりと怒った。カウンターに視線を移すと、ママが俺を手招きした。ほかの客やキャストの視線を感じながら、俺は事情を話した。

 ママは黙って煙草を吸いながら、俺の話を聞いていた。念のためみらいの写真も見せたが、iPhoneの画面を一瞥すると、「さあねえ……」と煙を吐き出しただけだった。

 さすがに気落ちしながら、「忙しいところ、すみませんでした」と言って踵を返そうとした俺の腕が、がっしりとした力でつかまれた。咲良ちゃんだった。

「せっかく来たんだから、一杯飲んでいきなさいよ」

 逡巡していると、「二丁目のルールよ」と言われてしまった。そう言われたら、従うしかない。俺はソファに腰を下ろした。真横に咲良ちゃんが座る。

「何飲む?」

「ウーロン茶をお願いします」

「ソフトドリンクなんて置いてないわよ」

「じゃあウーロンハイで」

「もう、つまんない男!」

 咲良ちゃんはアメリカ人みたいに手のひらを上にあげて顔をゆがめた。二の腕の筋肉が猛々しい。咲良ちゃんがカウンターにドリンクを作りに行き、俺が所在なくしていると、隣のソファ席の客とキャストが話しかけてきた。

「咲良ちゃんね、あれ怒ってるわけじゃないから。むしろ愛情表現だから」

「そうよぉ。咲良ちゃんって、あんたみたいな顔が好みなの。肌が浅黒くて、小柄で、目元に憂いがあるタイプ。全盛期のV6の森田剛みたいな感じ?」

「ちょっとー! 剛ちゃんは今でも全盛期よ!!」

 ウーロンハイをテーブルに叩きつけ、咲良ちゃんはどかっとソファに座った。ウーロンハイに口をつけ、俺は眉をひそめた。めちゃくちゃ濃い。

「あんた、年はいくつ?」

 24歳と答えると、咲良ちゃんに「あ~、若いっていいわね。肌もこんなに綺麗で」と頬を撫でられた。されるがままにしていると、咲良ちゃんは「で、も!」と耳元で大きな声を出した。

「最近の男の子って、お金は使わないし、遊び方も知らないし、つまんないわよね。酒も飲まなくて、いったい何が楽しくて生きてるの?」

 特に考えたこともなかった。今日はそんな質問ばかりされる日だ。

 俺自身は、普段は、別にこんなもんかなって思って生きている。楽しいとか楽しくないとか、そういう概念はあまりない。それをつまらないという人もいるだろう。

 みらいの顔が浮かんだ。自分の人生をつかむために、あいつはすべてを捨てた。俺とは全然違う生き方だ。みらいはいつだって、俺よりはるかに優秀だった。


 うまく返事できないまま、会話が途切れてしまった。無言の空間を断ち切るかのように、咲良ちゃんは、ぐいと俺の腕をつかんだ。

「ほら、踊りましょ!」

 手を引かれて、店の真ん中に躍り出る。音楽のボリュームが上がった。

「V6の『Sexy.Honey.Bunny!』よ。あたし、この曲大好きなの。一緒に踊るのよ!」

 そう言って咲良ちゃんは、両手を上げてポーズを取り、がに股で踊り始めた。彼女のキレキレの動きを見ながら、とりあえず合わせて動いてみる。この曲は知らないが、普段HIP HOPを聴いているから、横ノリは嫌いじゃない。

 サビで咲良ちゃんが激しく腰を振ると、ヒュー!という歓声が飛んだ。飛び散ってくる汗を頬に感じながら横揺れしていると、咲良ちゃんが俺の手をエスコートし、社交ダンスのように俺の体をくるっと回した。もはやどっちが男か女かわからない。大歓声が起きる。一回転すると、咲良ちゃんはとびきりの笑顔をよこしてきた。

 なんというか、不思議な夜だ。


 拍手されながら席に戻ると、新しいドリンクが用意されていた。ウーロンハイだと思って飲んだらウーロン茶だった。踊ったあとに、冷たくて気持ちがいい。隣で咲良ちゃんが水割りをすすった。

「あんた、不思議な子ね」

 突然そう言われた。

「こういう店に初めて来たノンケの男は、だいたい照れたり怖がったり、もしくはそっぽ向いたりするもんよ。でもあんたは、あたしみたいな相手でも、目を見て話すし、笑わないわね」

 咲良ちゃんは何気ない口調だったが、目は笑ってなかった。俺は一度自分の膝に視線を落とし、また上げた。

「俺は昔、すごく鈍感で」

 こんな話をするつもりじゃなかったのに、言葉が自然と口から出ていた。

「自分のことしか見えてないガキで、人が内面に抱えてることとか、本当は出したいのに隠さざるを得ない気持ちとか、そういうのが全然わからなかったんです。知ろうともしなかった。それで大事な人を傷つけたかもしれなくて」

 俺は本当にガキだった。バカな中学生だった。あの頃みらいがどんな気持ちで、俺たちの前で笑っていたのか、気づいたのはずっとあとのことだった。

「バカだから、あとで後悔して、そのことをずっと考えていて。俺は今も相変わらず鈍感で、どちらかというとつまらないタイプの人間だと思います。だから他人の気持ちを100%理解できるわけじゃないけど、せめてこれから会う人たちについては、見た目や肩書だけで判断したくないって、いつも心のどっかで思ってて」

 たぶん俺は、今日一日、ずっとこのことを頭の隅で考えていたような気がする。

「あるわよね。そういうこと、人間誰でもあるわ」

 咲良ちゃんは、いつの間にか目に涙を浮かべていた。大きな手でそれをぬぐうと、「あたし、トイレ」と言って、ずんずんと店の奥に歩いて行った。

 ウーロン茶を飲んでいて、気づくと、ママが隣に座っていた。煙草のにおいを漂わせながら、ママがそっと口を開く。

「アンタ、いい子そうだから教えてあげる。みらいちゃんの店、知ってるわ。私たまに行くのよ」

 思わず俺はまばたきをした。ママは口の端でニッと笑った。

「元気よ、あの子。苦労しただろうに、目が綺麗で、いい子よね。アンタと似てるわね」

 この人はすべてわかっているに違いない。ママが「ここよ」と名刺大のショップカードを渡してくれた。

「ありがとうございます」

 俺はキャップを取って、深く頭を下げた。会計を頼んでいると、咲良ちゃんがトイレから出てきた。

「やだ、もう行くの? これからがいいところよ。ママの藤あや子の物マネ見てからにしなさいよ。めちゃくちゃ似てるんだから」

「いいのよ、行かせてあげなさい」

 ママが促してくれた。俺は再度お辞儀をする。

「ねえ、また来てよね」

 ねだるような咲良ちゃんの言葉に、俺はうなずいた。

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