第3話
みらいを探し始めてすぐ、俺は見通しが甘かったことに気づいた。新宿に「あい」と名の付く店がどれくらいあるか、少し考えればわかりそうなものだ。
検索で3ページ目までに出てきた店の住所をざっと見て、まずは西口の都庁近辺から当たった。小料理屋が一軒、ガールズバーが一軒、歯医者が一軒。どれも空振りだった。
そもそも、あいという店名がひらがななのかカタカナなのか漢字なのか、もしくは英語の「AⅠ」なのかもわからない。せめて何屋かくらい教えてもらいたいのに、あの電話以降、みらいのLINEは既読にもならない。
南新宿の「焼き鳥愛ちゃん」という店も覗いてみたが、不発だった。高島屋のデッキから、新宿駅東南口周辺へと歩く。給料日後の初夏の金曜夜だ。ただでさえ人が多い新宿が、どいつもこいつも楽しそうにふらふら歩いている。街全体が大きな客船のように、ゆるやかな波に揺れている。俺は迷い込んだネズミのように、ふらつく足取りたちの間をくぐり抜ける。
歌舞伎町まで来ると、人ごみはさらに混迷を極めていた。それらしい店を数軒探したが、みらいはいなかった。有り得ないとは思いつつ、念のため有名なホストクラブ「愛本店」にも足を運ぶ。
俺みたいにカネを持ってなさそうな若い男の客自体が珍しいのだろう。対応した黒服は、最初から冷やかしお断りという態度だった。みらいのアイコン写真を見せてみたが、「頭おかしいんじゃね?」とにべもなく追い返された。
歌舞伎町の真ん中まで戻ってくる。最近オープンしたデカい映画館は、遅い時間だというのに、かなりの人出だった。ビルの上のほうにゴジラの頭部のモニュメントが飾ってあり、道行く人が上を向いて写真を撮りまくっている。それを尻目に、俺は次の行き先を探すべく、下を向いてiPhoneをタップした。
すると、画面に急に充電サインが表示され、あ、と思ったときには、電源が落ちてしまった。残り20%はあったから油断していたが、急激に落ちたところを見ると、バッテリーが古くなっていたのかもしれない。修理の際にバッテリーも替えておけばよかったと、今更後悔しても仕方がない。念のため再起動してみたが、すぐにまた落ちてしまった。
くそ、とつぶやいて、あたりを見回す。さすがに歌舞伎町といえど、この時間は携帯ショップは閉まっている。コンビニで充電器を買うしかないか。乾電池式のものが売っていればいいが。
「ねー、おにーさん。あたし充電器持ってるよ」
振り返ると、小柄な女の子が、小首をかしげて立っていた。ラベンダーっぽい色の、セーラー服みたいなミニ丈のワンピースで、白いフリルの靴下に、厚底のスニーカーを合わせている。髪の毛は薄い金髪で、ツインテールにしていた。目の色がグレーがかっているのは、カラコンを入れているからだろう。
何も言えずに見返していると、その子は続けた。
「困ってるんでしょ。助けてあげるよ。そこの居酒屋に電源あるからさ、充電ケーブル使っていいよ」
「親切にどうも。でも、いいよ」
正直なところ有難かったが、俺は断った。服やメイクの感じから、未成年に見えたからだ。もうすぐ0時を回る。子供と一緒にいて、面倒なことになるのは嫌だった。
「いいからいいから」
しかし彼女は有無を言わさず俺の手首を握ると、居酒屋に向かって歩き出した。
「いいって」
「お礼はいらないから。その代わり、充電器貸したげてる間、ちょっと話し相手になってよ」
「あんた、いくつ?」
「22」
思ったより年がいっていた。それならと、ついていくことにした。
店員に案内される前にさっさと電源のある席に座ると、彼女は手早く充電器を差した。ピロッという音とともに、iPhoneが息を吹き返す。それを見届けると、彼女はテーブルに置いてあったタッチパネル式のメニューを抱えるようにして、「何食べる?」と料理を選び始めた。
「ウーロン茶」
「おっけ。あたしケーキ食べてもいい?」
うなずくと、「じゃあこれー」と言って、「クリーミーピニャコラーダ」と「ベリーベリー三段パンケーキ」を素早くタッチした。
「ケーキ食うなら、ファミレスとかのほうが良かったんじゃないの」
「いいの。別に味変わんないし」
おしぼりで手を拭きながら、俺の目を覗き込むように言った。
「それより、誰かと一緒に食べるほうが、よっぽど美味しい。お兄さんがつかまって、よかった」
「よく、こういうことしてんの?」
「逆ナンっていう意味なら、しない。人助けっていう意味なら、たまにする」
とりあえずうなずいておいた。そういえば名前言ってなかったねと、彼女は「あたしのことは、『めろちゃす』って呼んで」と言った。正確には、め
ろちゃすのあとに「。」がつくらしい。
「どういうふうに書くの?」
「ひらがなに決まってんじゃん。お兄さん、ウケるね」
俺が勇気と名乗ると、「じゃあ、『ゆーたそ』って呼ぶ」と返された。めろちゃすもゆーたそも聞き慣れない響きだが、彼女の世界では、そういう日本語が主流らしい。
めろちゃすは音楽の専門学校を卒業したあと、いろんなバイトをしながら暮らしているそうで、今日は新しいバイトの面接を受けたあと、ひとりでぶらぶらしていたのだと、こちらが質問する前にすらすらと語った。
「新宿、よく来るの?」
「実家が西武新宿線だから、いちばん大きい街って言ったら新宿。実家は東村山ってとこ。知ってる?」
聞き覚えのない地名なので首を横に振った。志村けんの出身地なんだよと、めろちゃすは教えてくれた。
「学生のときは渋谷と原宿ばっか行ってたけど、もう飽きちゃった。なんだかんだいってあのへんって、チームっていうか、連帯感?を求められるっていうか……。リア充なんだよね。インスタグラムに大勢で自撮りしたのをあげる感じ。幼いんだよ。でも、新宿はそういうのないから好き。お酒飲めるようになってからは、断然新宿」
あと、地下アイドルとバンドの対バンとか、AV女優のトークイベントとか、面白いイベントも結構あるんだよと説明した最後に、めろちゃすは子供が秘密を打ち明けるように、目を輝かせながらささやいた。
「あとね、彼氏が下落合に住んでるの」
申し訳ないが、俺は下落合も知らなかった。めろちゃすは落胆したような顔で、「ゆーたそ、何年東京住んでんの?」と尋ねたが、東京に来て1年弱と答えると、「じゃあ、わかんなくても仕方ないか」と納得したようだった。下落合は、西武新宿駅から電車で二駅だそうだ。
「なら、彼氏の家に行きなよ」
めろちゃすは頬を膨らませた。ころころと表情の変わる子だ。
「合鍵もらってないんだもん。今日も全然連絡つかないし」
めろちゃすは堰を切ったように語り始めた。
「3か月前から付き合い始めたんだけど、月に2回くらいしか会えないんだよね。LINEも次の日になってから返事きたりするし。仕事で疲れて、LINE見たあと寝落ちしてたとか言うんだけど、毎日そんなに忙しいものかな? 彼氏、不動産関係なんだけど」
「外回りとかだったら、忙しいんじゃない」
「でも今日は友達と飲み会なんだって。ひとりで新宿いるから合流しよってLINEしたのに、既読スルー。返事くらいできるくない?」
めろちゃすはフォークの先で、ブルーベリーを1個、2個と突き刺した。
「ねえ、これって付き合ってると思う?」
「わかんねえ。本人に聞いたほうがいいんじゃないの」
本当にわからなかったのでそう答えたが、めろちゃすは満足いかないようだった。
「そういう返事いらない。男ゴコロ? 教えてよ」
「わかんねえけど、こんな時間に女の子を歌舞伎町にひとりきりにして平気ってことは、大事にはしてないと思う」
ぱっちりとしたつけまつげの目を見開いたあと、めろちゃすはフォークを握った手元に視線を落とし、黙ってしまった。
俺は無神経なところがある。正直に言ったつもりだったが、怒らせてしまったかもしれない。腕時計を見た。居酒屋に入ってから、すでに1時間弱経っている。フル充電にはなっていないだろうが、そろそろ潮時かもしれない。
「ゆーたそは、紳士だね」
めろちゃすが急につぶやいた。パーカを羽織ってキャップをかぶった紳士なんて聞いたことがない。
「何言ってんの。視力、大丈夫?」
「そういう見た目だけど、言葉遣いが綺麗じゃん。女の子のこと、女って言わずに、ちゃんと女の子って呼ぶね。お前、とかも言わないし」
なんで? と言われて、俺はしばらく考えた。そんなこと、考えたこともなかった。
「……うちがシングルマザーだったから、かな。意識してるわけじゃないけど、女の人に対してキツい言い方はしない」
いい息子! あたしもそういう息子を生みたい! とめろちゃすは言ったが、子供みたいな外見の彼女では、あまり現実感のないセリフだった。
「母ひとり子ひとりだったの?」
「いや、3歳上の兄貴がいる」
「ゆーたそと似てる? フリーだったら紹介してよ」
「ずいぶん会ってないからわかんねえ」
「あっそ」
パンケーキの皿は、いつしか空になっていた。俺は腰をあげた。
「もう行くの?」
「人を探さなきゃいけないんだ。助かった。ありがとう」
俺は千円札をテーブルに二枚置いたが、めろちゃすは「そういうつもりじゃない」と、頑として受け取らず、財布から500円を取り出して、千円札1枚と一緒に渡してきた。めろちゃすの長財布はパンパンに膨らんでいて、キーホルダーがじゃらじゃらとついていた。
「貸して」
チェーン同士がねじれて絡んでいるものがあったので、お礼代わりと
言ってはなんだが、直してやる。細かい作業はお手の物だ。
「ありがとう。ゆーたそ、モテるでしょ」
「感じたことねえ」
「モテるよ。やさしいし、マトモだし」
ただ、とめろちゃすは付け加えた。
「マトモすぎて、あたしはあんまり好みじゃないけど」
俺はめろちゃすの顔を見た。めろちゃすは餅のような白い頬をゆるませて、キャハハと笑った。