9 おかえりなさい
はいはい、テスト2日目終了!
友達と頑張って覚えたところがでて、嬉しかったです!
「湯澤さんっ…!」
「……立花くん」
校門を抜けた私を追いかけてきたのは、さっき話題に上がっていた人、立花くんだった。
私は歩きながらちらと振り返り、彼を視界の端に入れる。
声を上擦らせた彼は走ってきたのか、髪が乱れていた。
そんな姿も絵になるんだと思いつつ、何を言いに来たのかと訝しく思った。
「どうしたの?」と尋ねると彼は、
「……っ、ごめんね!」
と言った。
「…えっ」
驚いた私は、足を止めて背後を振り返った。
そこにいたのは、腰をきっちり90度に折った彼だった。
「ど、どうしたの……」
と若干慌てながら言うと、彼は
「さっきの彼女たち、僕が勝手に話しかけていただけなのに、君にあんなことを言うなんて…。本当にごめんなさい」
そう言った。
その深い悔恨が滲む声音に、私は驚いた。
さらりと揺れた彼の髪に一瞬目を奪われ、それからはっと意識を戻した。
ふと周りを見回せば、ちょうど下校時刻になったばかりの為か人はあまりいないが、いることにはいる状況だった。
そんな中で、学園の王子と呼ばれる立花くんが、唯の目立たない一生徒である女子に頭を下げているなど、勿論注目の的となっていた。
「……ちょっと、来て」
彼らの興味の視線を浴びていることに気づいた私は、未だ頭を下げている彼の手を掴んで走り出した。
*
「………はあ、はあ……」
「だ、大丈夫……?」
「だい……じょ…ぶ……、はぁ……」
私が彼を連れてきたのは、私の帰路の途中にある小さな公園だった。
小さなブランコと砂場とベンチのみの、本当に小さな公園。
彼の手を離してベンチに座りこめば、荒い息が口から漏れ出る。
心配げな声に顔をあげれば、割と走ったはずの彼は全く疲れているようには見えなかった。恨めしく思いつつ、息を整える作業に専念する。
日頃の運動不足が祟ったか……!
緩やかに動いた風が頬を撫で、彼が隣に座った事を伝えてきた。
次いで背に手が添えられ、ゆっくりさすられる。私の呼吸が落ち着くまで、そうしてくれるつもりのようだった。
「……もう、大丈夫だよ」
「…そう……?」
「うん」
まだ少し心配そうな表情で、彼は私の顔色を確かめる。
鞄に入っていたお茶で喉を潤した私は、本当にもう大丈夫だ。
しっかりと頷いてみせると、彼はホッとしたように微笑んだ。
どこかぎこちないその笑みに首をかしげた私は、さっきの話を思い出した。
「そういえばさっき言ってた事って……?」
「……ああ、それね」
不意に表情を翳らせた彼。俯いたかと思うとぱっと顔を跳ね上げ、
「本当にごめんなさい!」と殆ど叫ぶように言った。
悲痛な面持ちで此方を見つめる彼の、まるで判決を待つ罪人のような表情に、私は思わず吹き出した。
「……え……?」
ぽかん、と彼は口を開けて固まった。
その表情はどこか幼く見えて、一瞬家で待ってくれているであろう”彼”の姿とダブって見えた。
「何とも思ってないから、別に大丈夫だよ」
そう笑いながら言えば、彼は信じられないような顔をして私を見つめた。
「……気にして、無いの?」
「うん」
そう頷けば、そう、とどこか嬉しそうに僅かに微笑んだ彼。
「ありがとう」
「……?」
なぜそんなことを言われたのか分からないが、とりあえず彼が納得したようなので、一応頷いておいた。
*
冬の冷たい風が目の前を通り過ぎ、髪を巻き込んで空へと舞い上がっていく。
髪を押さえて空を見上げると、曇り始めてはいるもののまだ青空が広がっていた。
「そろそろ、帰ろう」
そう言うと立ち上がり、振り返ると彼は私に手を差し出した。
不思議に思いながら手をとれば、意外な力強さで引き上げられた。
公園を出ると、誰もいない道路が右から左へと伸びている。走ってきた方を見れば学校が僅かに見えるので、帰るには困らないだろう。そう思い手を離して家に帰ろうとしたら、
「家まで送るよ」
と彼がさらりと言った。
「……え?」
「家はどっち?」
「……こっちです」
振っても引っ張っても外れない強情な手に諦めた私は、渋々彼の送りを受け入れる事にした。
左へと歩き出して、彼を誘導していく。私の家まではもうそんなに距離はない。けれど彼はどうなのだろうか。
道中に、彼の家も聞いてみる。
「大丈夫みたいだよ。俺の家もこの先だから」
そうにっこり笑って答えた彼。少しほっとしつつ、私はそう、と答えた。
「…ここでいいよ」
「そう?」
「うん」
最後のT字路まで来た私達。此処を右に曲がれば、私の住む家にたどり着く。
先ほど少し会話をしていたところ、彼の家は角を左に曲がった先にあるそうなので、もう此処で別れる事にした。
「ばいばい」
「うん。また明日ね、湯澤さん」
「…立花くんも」
そう言うと、嬉しそうに微笑んで彼は身を翻した。
ゆっくり離れていく背を何とはなしに見つめていると、彼は不意に振り返った。
「……っ?!」
バッチリ目が合ってしまい、彼は驚いたように身を震わせた。ひらひら、と手を振ると、小さく微笑んで手を振り返してくれる。
そして人差し指を立てて、「しーっ」と言うように口元に当てた。
今日のことは秘密、ということだろうか。
意外とお茶目な仕草にほんわかしつつ分かった、と頷くと、彼は満足そうに頷いた。
私も帰ろうと後ろを振り返り、歩き出した。
ここから家までは、せいぜい百メートルくらいだ。微かに見える我が家の屋根に頬が僅かに緩むのを感じながら歩いていく。
どこか楽しい気分が湧き上がってきて、自然と早足になる。
何故なら。
「お昼ご飯は、何を食べようかな。…アディくんのリクエストを聞いてみようか」
「ナツメさん」
「……あ、アディくん!?」
さらさらの翠髮をつば付きの帽子の中に隠して、此方へ歩いてくる小さな体。
一見少女のようにも見える顔立ちは整っていて、人形と見間違えてしまいそうだ。
けれど、最近よく笑うようになってきた。
今も微かに浮かぶ年相応の笑みは、とても可愛らしい。
「どうしたの?」
「……いえ」
目の前まで来た彼と目線を合わせるように、腰を屈める。
何処か気まずそうに視線をそらす彼をじっと見つめると、暫くして顔を上げた。
「……迎えに、きました」
「……………へ?」
「ナツメさん、帰りましょう」
そう言って差し出された言葉。そのまま身を返そうとした彼の手を思わず追いかける。とった手のひらは、少し冷えていた。
「……っ、ナツメ、さん……?」
「帰ろう、アディくん」
「……………はい」
彼の手を温めるように、包むように握る。きゅっと握り返された手は、確かに彼のものだ。微笑みながら、私も握り返す。
2人一緒に歩き出すと、後ろから冷えた風が吹き付けた。風にさらわれる髮を押さえつつ、隣を歩く小さな姿をこっそり見下ろす。
どこかそわそわとした様子で私の手を握る、小さな手。細い指先は繊細そうで、力加減を一つ間違えたら折ってしまいそうだ。今は指先が冷えて、赤くなっている。
握る手で指先を握ると、彼が驚いたように自分の手を見下ろした。
私の手の中に収まったそれを、一緒にブレザーのポケットにしまう。
途端に目を丸くして私を見上げた彼に、小さく微笑みかけた。
「迎えに来てくれて、ありがとう」
「……はい」
家に着くと、彼がドアを開けて、先に身を中へ滑らせる。
そして中から私のために開けられたドア。
中へ入れば、玄関に立った彼が僅かに微笑んで言った。
「お帰りなさい、ナツメさん」
ああ、彼はこれが言いたかったのだな、と分かった。
朝の会話を覚えていたのだろう。
すらすらと出てきた言葉は、何度も練習したのだろうか?
彼からの、初めての迎えの言葉。
「…………ただいま、アディくん」
私も笑顔で答える。僅かに頬を染めた彼は、嬉しそうに見えた。
部屋へ向かいながら、思う。
彼が来るまではなかった、「おかえり」という言葉。
これから彼の声で聞くことができるのだと思うと、悪い気はしなかった。
明日は世界史と英語!!
死ねるかもしれない…