私の考える勝因についてのまとめ 「桶狭間の戦いと、信長軍団」
私の考える勝因についてのまとめ
「桶狭間の戦いと信長軍団」
信長の精鋭の実戦経験について、書かせて頂きました。
その戦いかたは、正面から突撃するという物です。
戦いとしては、とてもシンプルな物ですが、当時の織田軍の戦いと言えば、正面から、ぶつかって勝つ!
という物で有ったと思うのです。
実際の槍を交えて命のやり取りをするのですから、経験の有る者と無い者では、強さが違って当然といえるでしょう。
そして、正面攻撃の場合、命を大事に戦う軍と、無鉄砲に突っ込む軍では、後者に分があります。
ここまで、何回も戦いを経験してきて、軍の中では、戦いの話で盛り上がる事は、多くあったと思います。
逃げ腰の奴は、格好悪い。
無鉄砲な奴は、格好いい。
活躍した奴は、仲間たちの噂の的です。
軍全体の持っている、空気感・価値観、が信長軍の強さであると思います。
そして、格好良いという士気の高さは、若者特有と考えます。
ここで大事なのは、今挙げた例を見ますと、桶狭間の戦いだけが特別では無いという事です。
●「説明」
信長27歳の時。
桶狭間の戦い。
今川方、兵5000に対して。
信長方、兵2000で突撃します。
打ち取った首、3000余りと有ります。
これは、合戦、全体の首ですので、桶狭間山合戦では、少なく見積もって2000といった所でしょうか。
★「見解」
どうでしょうか?規模は大きくなっていますが、目の前の敵陣に突撃して蹴散らすという織田軍の戦い方は変わっていないと思うのです。
桶狭間の戦いの突撃の様子が信長公記に有りますので紹介します。
空が晴れたのを見て、信長は槍をおっ取り、大音声を上げて「それ、掛かれ、掛かれ」と叫ぶ。
黒煙を立てて打ち掛かるのを見て、敵は水を撒くくように後ろへどっと崩れた。
弓・槍・鉄砲・幟・指し物、算を乱すとはこのことか。
義元の朱塗りの輿さえ打ち捨てて、崩れ逃げた。
この様に、信長公記を見ますと突撃です。
突撃して、義元の本隊を崩し、義元を打ち取る事ができたのは、
「信長と共に戦う実戦経験のある若者たちで、士気が高かったから」
と私は、思うのです。
「今川義元を打ち取ることが出来た理由」
義元を打ち取る事が出来たという事に言及します。
それは、若者たちで有った事が最大の要因であると、私は考えます。
逆に言いますと、精錬された兵でも、若者たちでなければ、義元を打ち取る事が出来たか判らないと思うからです。
信長公記の記述を紹介します。
「義元の旗本はあれだ。あれに掛かれ」と信長の下知。
未の刻、東へ向かって攻めかかる。
敵は、初めは三百騎ばかりが丸くなって、義元を囲んで退いたが、二・三度、四度、五度と引き返し、打ち合い切りあううちに、次第次第に人数が減り、遂には五十騎ほどになった。
信長も馬を下り、若武者どもと先を争うように、突き伏せ、突き倒す。
頭に血が上った若武者ども、乱れ掛かって鎬を削り、鍔を割り、火花を散らし、火焔を降らす。
乱戦だが、敵味方の区別は、旗指し物の色で知れた。
ここで、信長のお馬廻り・お小姓衆の歴々、負傷・討死した者、数も知れない。
と、あります。
この記述には、若者のエネルギーが満ちていると思うのです。
緻密な策や偶然、奇抜なアイデアで勝ったという一般的な評価がありますが、何故、策や偶然、奇抜なアイデアと言いたいのか不思議だ、と思ってしまいます。
私は、いらついた若武者達が、突撃に突撃を重ねて勝ったようにしか思えません。
それを、可能にしたのは、信長も含めて若さで有ると思うのです。
義元打ち取りの場面は、深追いです。
深追いは、自分たちの損害も少なくないのは、言うまでも有りません。
追い詰められた側は、死の物狂いで抵抗します。
そこに、突撃しては、引き返し、また突撃する。
この様に、損害を省みず、深追いして義元を打ち取ることが出来たのは、血気に逸る若者のエネルギーであると思うのです。
信長自身も、若武者達と一緒になって槍を振るった、血気に逸る若武者だったのです。
この若武者達の、リスクを省みない、がむしゃらな情熱、(士気の高さ)こそ、信長軍団の姿であり、この軍団全体を包む価値観・空気感であったと感じます。
これこそが、義元を打ち取ることが出来た最大の要因と考えます。
ここまでお付き合い頂きまして、ありがとうございました。
桶狭間の戦いの勝因と信長軍の姿について、私の見解を書かせて頂きました。
今回このエッセイを書こうと思ったのは、一般に言われる通説が、兵の数や、武器の効果、地形の効果、など、ゲームの数値のシミュレーションの様な物だと感じたためです。
ゲーム(データ)で有れば、敵も味方も、同じ兵士で同じ戦い方をします。
同じ兵士であれば、武器の効果、地形の効果、で優越が出来、それを覆すのは、策戦、調略、という事になります。
ですが、実際はそこに居るのは人なのです。
人には、感情があり、人が集まれば全体の空気が生まれます。
それは、データから見たシミュレーションでは、解らないものです。
私は、この人の姿、感情や全体の価値観・空気感そこ重要視するポイントであると考えました。
貴方様の解釈の一例に加えて頂けるものになったとしたら大変うれしく思います。
歴史の解釈は人の数だけ有るという事で失礼させて頂きます。
重ね重ねありがとう御座いました。