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戦国史に想う  連載エッセイ  作者: 酒井 知徳
桶狭間の戦いの勝因とは何か? 「桶狭間の戦いまでの信長軍団の姿と勝因」
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特殊な 信長軍

「特殊な信長軍」



信長の精鋭たちについて書かせて頂きましたが、織田軍について少し触れてみたいと思います。

他の大名と比べると、桶狭間の戦い当時の織田軍は特殊であると、私は考えます。


当時の一般的な大名の軍隊ですと、今川軍などは良い例ではないでしょうか?

今川家に各土地の豪族が集まって形成されています。

現代の会社に例えると、大企業の今川家に中小企業の関連会社が集まって出来ている感じでしょうか。

ここで、ポイントだと思うのは、中小企業の社長たちが何を考えて居たかです。

今川家が無ければ自分たちの会社の運営に支障が出ます。

ですが、この社長たちの最大の目的は、自分の会社の存続に在ると思うのです。

言い換えると、自分の土地を守るために、今川家に従っている。共存していると言う所だと思います。


それでは、私の思う織田軍の特殊性についてですが、

それは、父信秀亡き後、離反に次ぐ離反により作られたものであるという事が大きく関わっていると思うのです。

正確に言うと、離反が相次いだのに、信長が何故、当主で有り続けられたのかという事なのです。

信秀の軍団をそのまま継承していたら、どんな構造になるでしょうか?

今川家同様、現在の会社に例えてみます。

信長の父、信秀は、尾張守護大名の斯波義統しばよしむねの家臣の織田達勝おだみちかつの家臣という立場でした。

信秀は、尾張の大企業の斯波家の直径の子会社の社長といった感じだと思います。

ですが、信秀が亡くなる頃になると、親会社が衰退して、子会社が台頭していき、尾張一の大企業というと、信秀の織田家という事になります。


少し話がそれましたが、この尾張で一番の勢力になった、織田家を継いだのが信長です。

信長が家督を継いだときは、大企業の織田家に中小企業の関連会社が集まって居たのです。

社長が信長に代わっただけで、組織がそのまま維持できていれば、今川家の縮小版といった感じでしょうか。

ですが、織田家の子会社、元親会社、本社の重役たちが離反していくのです。

それは、鳴海勢、岩倉勢、清州勢、信長の兄、弟、それを担ぐ、重役の、林、柴田、などです。

それに対して信長が、いかに対抗したか?

信長は、父の組織に残る者(家老)は、そのまま継続しつつ、自分の思い道理になる、信長直営の会社を立ち上げていたと考えます。

父から継いだ会社では、重役たちの意見も聞かないといけないし、

「社長それは、違います、こうしなければ!」なんて言われて、自分の思うように出来ないですし。

(独裁者のイメージが強い信長が、重役に意見されていたなんて、意外と思う方も居られると思うので、私が面白いなと思うエピソードが信長公記に有りますので、紹介したいと思います。

天文23年、信長21歳の歳、現在で言うなら、19歳、この年20歳になる信長は、今川の村木城を攻めます。

(信長は、翌日出陣する予定であったが、家老の林秀貞・美作守みまさかのかみ兄弟が、不服を申し立て、林の与力である荒子の前田与十郎の城へ退却してしまった。ほかの家老たちは「いかがいたしましょうか」と言ったが、信長は「それならそれで構わぬ」と言って出陣した。)

親父の会社を継いだけど、中々自分の思うようには、いかないというエピソードで面白く感じます。

そこで、信長は、今で言うなら大卒や高卒の若者、バイトまでいたかもしれません、の若者をどんどん採用して信長直営の会社を持っていた。

(この信長直営の組織は、信長公記に有るように、有名な斎藤道三との会見でお供した7・800人と私は考えます。

この時の信長は、家督を継いで2年、20歳です。今で言うなら18歳。19歳になる歳です、会見は、4月下旬と有るので、高校卒業したばかりの若者です。)


この若者が作った組織が、織田企業から、離反して、逆に織田企業を買収しようとする、組織に対抗したのです。

対抗しいえたのは、信長の組織の、やる気の高さ、団結力だと考えます。

大企業の若社長が、自分と同じオフィスに居るのですから、話したことも無い社長の下で働くのとは、やる気が違って当然といえます。

それと、信長自身も前線で槍を交えた、首を取った記述も有ります。

これも、口うるさいだけの上司とは違い、社長も営業に回ったり、現場で物造りをしたりといった感じです。

一社員から見ると、社長も俺たちの気持ちが解るという事になり、(意識の共有)仲間意識に繋がる物と考えます。



「読みやすい物にと考え、現代会社に例えてみましたが、いかがでしたでしょうか?逆に分かりづらくなっていたらすみません。

今の例えを踏まえて、簡単に織田軍の特殊性とその強さ、についてまとめさせて頂きます。」


当時は、今川家に代表されるように、守護大名の下に、各土地の支配者が集まって出来ていたという事です。

戦いに成ると、各土地の支配者が兵を各々連れて集まります。


織田家も、父の信秀の時代は、他の大名同様に、信秀の下の各土地の支配者が集まって出来ていたのですが、信長の代になると、

各土地の支配者(織田家の家老)の兵、+、信長の私兵、という構図になります。

先に、私が、信長の軍隊が特殊だと言ったのは、この信長の私兵に在るのですが、

当時、一国の主が、各土地の領主の兵以外で、およそ800人(信長公記)持っていると言うのは、特殊と考えます。

信長の合戦は、各土地の領主(家老)が連れて来た兵も居たと思うのですが、主に活躍したのは、この800名と私は考えます。




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