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戦国史に想う  連載エッセイ  作者: 酒井 知徳
織田信長の人物像・性格・人柄についての見解
22/22

論争に終止符を!の感想

前回まで、第六天魔王信長、論争に終止符を!と題しまして、推論を書かせて頂きました。

今回は、それについて私の思う事を書いています。

以前、イメージから歴史検証するとイメージのとうり見えると書かせて頂きましたが、今回の第六天魔王信長は、具体的な例だったと感じました。

ですので、この具体的な例を交えまして、感想を書いています。

史料は、色々な読み解き方があると思います。数ある読み解き方の一つとして楽しんで頂けたらと思います。

「信長の人物像について」

 信長は自ら第六天魔王を名乗っていないという見解を書かせて頂きました。

 信長像を語る時、信長が自ら第六天魔王を自称したのか、してないのかという事は、とても重要な事なのです。

 それは、信長に関するその他の歴史考察をするとき、自ら第六天魔王を名乗り、やり返している人物像で考えるのと、そうでないのでは、その見解が違うものになります。

 信玄に対抗して自ら第六天魔王と()()()()様な信長像で考えてはいけないのです。

 むしろ、比叡山の焼き討ちにあるように、自らの正当性を主張して、私が断行したわけでは無いと、責任追及をかわそうとしている信長像が、資料から読み取れる姿です。


 信長という人物像に迫る時、資料から人物像を読み解くのが筋です。

 しかし、信長の場合、人物像ありきで資料を読み取っている物が数多くあると私は感じています。

 今回の、「信長は、第六天魔王と自ら署名し返書で応酬せり」何処にも書いてないという事実が良い例ではないでしょうか?

 信長は、傲慢で独裁的、人が物の様に見えるサイコパス。光秀が謀反に及ばないでも、誰かが謀反に及んでいたであろう人でなし。伝統を軽んじる改革者。

 この様な、現在の信長像ありきで、フロイスの一節を耳にしても、「信長なら、第六天魔王を名乗ってやり返すよね!なっとく!」

 と、今まで、その真相が疑われなかったのです。

 フロイスの書簡を、冷静に読めば、一言も書いて無いという単純な事なのにです。

 それは、そうです。人物像から歴史的出来事を見ているのですから。


 私は、信長という人物像を考える時、18歳で家督を継いで、49歳本能寺に倒れるまで31年間、織田家の当主として生き、天下の政の中枢として生き、天下統一まであと一歩という所まで大勢力を築いた事を、史実としてとらえます。

 これを史実としたとき、現在の信長像では、辻褄が合わない。と、私は考えています。そして、これでは歴史の真の姿は見えないのではないかと思うのです。


 私の歴史考察学の考えを少し書かせて頂きますと、人物像ありきで、歴史の出来事を見ると、そこに人物像として矛盾を感じないという事です。

 これを繰り返す事により、人物像が出来上がり、この人物像は、その他の歴史解釈にもちいられます。

 これは、歴史考察学の盲点であり、最大の注意点です。


 これは、現在の信長像でもいえる現象ではないでしょうか。

 張り合って魔王を自ら名乗ってしまう人物ってどんな人だろう?と考えると、傲慢で負けず嫌い、世間の評判など気にならない人物の出来上がりです。

 この様に考えると、あの出来事の真相も、この出来事の真相も、魔王なら当然ありえると、この人物像を元に考察されているのです。


 今回、信長は自ら第六天魔王を名乗っていないという論説を書かせて頂きました。

 信長という人は、張り合って魔王を名乗る人物だ、というイメージが世間から払拭ふっしょく出来たら嬉しい限りです。


 しかし、最大の問題は、信長って魔王と言われている人物でしょ?好きになれないんだよね。

 これです。確かに信玄に言われているのですから、その通りです。

 しかし、信玄が言ったからといって信長が魔王の様な人物と推定するのは、適切ではありません。

 そもそも、信玄が、本気で信長を魔王だと思っていたのかについても疑わしい所です。これは、政治的に信長よりも優位に立つための主張であると考える方が妥当ではないでしょうか?

 現代人が、信玄の政治的主張に付き合って、信長を魔王と思う必要もないのです。



 第六天魔王信長とは、信玄の言いがかりです。この言いがかりによりどのくらい歴史検証がずれているのか、検証してみたいと思います。

 信長に対して言いがかりをつけたし武田信玄、この人は魔王では無いのでしょうか?

魔王信玄(・・)!なんて、人物像はどうでしょうか?


 武田信玄は、魔王であると、誰かが公言します。

「え?!信玄って魔王なの?本当かなぁ?」

 信玄が魔王かどうか、その行いを見てみましょう。

 父を追放し、息子を殺し、妹の嫁ぎ先を滅ぼし、他国の領主を殺し、その娘を妻にする。娘たちを政略結婚の道具として使う。意に沿わない僧侶を殺して寺を焼く。他国を侵略する建て前として、そこの領主を欲界の天魔の変化であると、言いがかりをつける。

 どうでしょうか?魔王信玄(・・)なら、このくらい当然の行いですよね。

 信玄を魔王だと考え、歴史考察すると、やはり信玄とは魔王のような人物だという事になりそこに矛盾を感じません。魔王信玄の出来上がりです。


 では、何故信玄が魔王と言われるような所業を行っているのでしょうか?

 それは、信玄がサイコパス(父や息子、娘達、家臣を物の様に考えていた)からではないかと考察されます。

 本当に信玄はサイコパスでしょうか?

 それでは、信玄がサイコパスか検証します。

 父を追い出したのも、サイコパスなら納得

 息子を殺したのも、サイコパスなら納得

 他国の領主を殺しその娘を、凌辱したのも、サイコパスなら納得

 娘たちを道具に使ったのも、サイコパスなら納得

 勝頼に家督を譲らずに、孫に家督を譲ったのも、サイコパスなら納得

 甲府へ、調子のいいことを言って呼び出され、闇討ちされた領主が三人いるが、サイコパスなら納得

 再検証の結果、矛盾を感じないため「信玄は、やはりサイコパスである」と、なります。

 この様な、人が物の様に見える人物が領主の武田家ってどんなだろう?と考えた時、武田家とは、ブラック企業であると考察されるのです。

 ここまでの検証で、矛盾を感じないと言うのが大事なポイントです。


 この魔王信玄像から、歴史を考察します。

 信玄が病気で死ななくても、勝頼は謀反に及んでいたであろう。

 勝頼時代に、家臣たちは離反したが、実は信玄時代から家臣たちは離反する機会をうかがっていた。

 家臣たちは、殺されるのが嫌で渋々従っていた。

 天台座主、覚恕法親王をないがしろにして意のままに操っていた。


 魔王信玄から歴史を考察した時、この様な推論が出てもおかしくありません。

 でも、この歴史検証おかしいですよね。



●「信玄の例と、信長の例を比較」

 前文と重複しますが、信玄を魔王と考えた時の歴史検証と、信長を魔王と、考えた時の歴史検証を比較します。


 信玄は魔王であると、誰かが公言したとします。

 信玄って魔王の様な人物だったんだ、と思い歴史考察します。すると、全ての事が、魔王なら当然の所業に見えます。

 やはり、信玄は、魔王であるという確証へつながります。

 この確証から、信玄は、きっとサイコパス、人を物だと思っていた人物像が推測されます。

 この人物像で再検証したとき、確かにサイコパス。人を物だと思う所業のオンパレードです。

 武田家とは、ブラック企業であるとなってしまします。

 これを元に歴史考察すると、

 信玄が死ななくても家臣たちの離反で国が滅んだ。

 長篠の戦いで、鉄砲の銃弾の雨の中に突撃したのも武田家がブラック企業だからである。

 勝頼時代に少し持ち直したが、旧体制のブラックを払拭できずに、離反が相次いでしまった。


 この歴史考察は、変ですよね。

 魔王信長という人物イメージは、歴史考察する上で、これほど歴史の真相を変えてしまう物だと言いたいのです。


 信長を魔王と考えた場合はどうでしょうか?

 信長は魔王であると、誰かが公言したとします。

 信長って魔王の様な人物だったんだ、と思い歴史考察します。すると、全ての事が、魔王なら当然の所業に見えます。

 やはり、信長は、魔王であるという確証へつながります。

 この確証から、信長は、きっとサイコパス、人を物だと思っていた人物像が推測されます。

 この人物像で再検証したとき、確かにサイコパス。人を物だと思う所業のオンパレードです。

 織田家とは、ブラック企業であるとなってしまします。

 家臣は皆疲れていた。

 誰も信長には逆らえなかった。

 みな信長にはついていけないと思っていた。

 光秀が謀反に及ばないでも誰かが謀反に及んだであろう。


 信玄を魔王と考えた時の歴史考察と比べてみてください、まったく同じものが出来上がっています。

 この魔王信長というイメージが歴史の真相を追及するとき、いかにいい加減なものなのかお分かりいただけるでしょうか。

 最大の問題点は、この検証が大腕を振って歴史の史実とされ、検証や議論の元になっている点です。

 武田信玄を、魔王と考え武田家をブラック企業であると捉える推論は、面白いものですが、これは、まともな史実検証が在る上での、違う見方として風変わりな説という位置づけです。

 しかし、信長はどうでしょう?この風変わりな説が、史実検証の本題として正面に居座っているのです。

 この織田家をブラック企業とした推論は、テレビ番組で、「本能寺の変は何故起こったのか」について、歴史家の先生方、(大学の教授も含め)六人が考察していた事です。

 誰も、異論を唱えませんでした。

 もしかしたら、編纂学と考察学とは違うものかもしれません。

 この先生方は、題材が武田信玄でも、武田家をブラック企業として推論を展開したでしょうか?私はやはり、魔王信長というイメージから、ブラック企業だと定義づけしたように思います。

 これでは、真相が見えないと私は考えています。



 最後に私の考えを総括して終わりにします。

 信長は、第六天魔王を自称していません。したがってその人物像に何の関係もありません。

 武田信玄に信長が魔王だと言われたからといって、信長を魔王の様な人物と考える必要はありません。

 当の信玄も魔王であると仮定すれば、魔王だと言えてしまうのですから。

 これらのイメージは、歴史検証において、結びつけてはいけない需要なポイントであると私は考えます。


 ゲームのキャラとして、第六天魔王信長というフレーズがでたら、この製作者は、武田信玄の家臣なんだな(笑)と冗談が出るような日が来たら、面白いなと思うところです。


 最後までお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。


「追記」

 武田信玄が信長を第六天魔王と呼んだのは、自分を正当化して、信長のイメージを悪くする(悪者にする)のが目的であったと考えています。

 そう考えると現在、信長と言えば魔王なのですから、400年以上の時を超えて信玄の策略が成功していると言えます。

 恐るべき武田信玄と、言わざるをえません。


 ……と、ここまで追記を書いて、ふと思いました。

 第六天魔王信長論争の神髄はここにあるのではないかと。

 信長を魔王に仕立てたのは、信玄なのです。

 先ほども例題で書きましたが、信長だけが魔王に相応しいわけではありません。信玄にも魔王と言われれば、確かにと感じる出来事があります。

 しかし、400年以上もたった現代人にとって信長といえば魔王なのです。そして悪者のイメージを抱いています。

 これって、怖いくらいの衝撃をうけませんか?

 現在ブラック企業として織田家を考察させているのも、信長をサイコパスであると考察させているのも信玄の策略なのです。

 これは、当時の信玄が世論を味方につけるために狙っていた事です。

 400年後の時を超え、世間に信長を魔王として認知させるとは、武田信玄のこの策略は、震えがくるほど凄いものです。

 恐るべし武田信玄!

 ………いや。見事!と、いうべきでしょうか。

 戦国一の策士はだれか?真田昌幸?黒田官兵衛?竹中半兵衛?いやいや、武田信玄!結果を見ると、完全にぶっちぎりでしょう!


 追記が長くなりましたが、最後まで読んで頂きましてありがとうございました。





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