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戦国史に想う  連載エッセイ  作者: 酒井 知徳
織田信長の人物像・性格・人柄についての見解
21/22

第六天魔王信長・論争に終止符を! 3

前回を投稿しましたところ、結城藍人様より、歴史的大発見だと過分なレビューを頂きました。本当に嬉しい限りです。誠にありがとうございました。

 ここからが、本題です。

 それでは、いったい、フロイスの一節は、どのような内容なのでしょうか?

 まず初めに前回のおさらいをし、問題点を明確にしたいと思います。

 

「一節の内容」

 信玄は、信長に手紙を書いた時、次のように名乗りました。

 天台座主沙門信玄。(仏門の保護者である)

 信長は、これに対して(信玄の書状に対して)

 第六天魔王信長。(仏門の妨害者である)

 

 ウィキペディアでは、「信長は、これに対して」を「信長は、信玄の書状に対して」と、信長の行動として解釈していました。

 これでは、信長は、信玄の書状に対して、第六天魔王信長と、どうしたのか分かりません。

 文章として、成り立っていないのです。

 その為、幾つも考えられる憶測の中の一つのパターンである「自ら返書に署名し応酬した」と憶測を付け足しています。


 最大の問題点は、文章として成り立っていないという事です。

 私は、フロイスが文章として成り立っていないものを書いた可能性は低いと考えます。

 これは、イエズス会への報告書です。そして、天台座主の説明、第六天魔王の説明においうて、ダイバと釈迦の関係、その他の事も詳しく書いているからです。



 ここから、私の見解を書かせて頂きます。

 それでは、どのように読み解けば、文章として成り立つのでしょうか?

 私は、フロイスの一節をそのまま読みます。

 したがって、記載漏れも有りませんから、解釈した上で、憶測で補う事もしません。

 参考までにもう一度、原文の内容をご覧ください。

 

「一節の内容」

 信玄は、信長に手紙を書いた時、次のように名乗りました。

 天台座主沙門信玄。(仏門の保護者である)

 信長は、これに対して

 第六天魔王信長。(仏門の妨害者である)


 私は、明確に書かれている内容に注目します。

 それは、信玄が信長に書状を出した事です。

 人物の行動を明確に記したものはこれだけです。

 重複しますが、「信長は、これに対して」を、「信長の行動」と解釈すると、文章として成り立ちません。

 何回読み返しても、明確に書かれている事は、信玄が信長に書状を出した事だけです。

 素直に書かれている情報だけを元に読み取りますと、信玄が、信長に出した手紙の事が書かれている文章です。

 一通に手紙の内容なのですから、「信長は、これに対して」とは、「信長の行動」ではなく、「フロイスの接続詞」であるというのが私の見解です。

 それでは、原文にて説明します。 


「一節の内容」

 信玄は、信長に手紙を書いた時、次のように名乗りました。(★人物の行動・出来事)

 天台座主沙門信玄。(仏門の保護者である)(★書状の内容)

 信長は、これに対して(フロイスの接続詞)

 第六天魔王信長。(仏門の妨害者である)(★書状の内容)

 

 私は、これが、フロイスが書簡に書いた内容であると考えます。

 それは、信玄が信長に宛てた書状で、自分は、仏門の保護者であるといい、信長の事は、仏門の妨害者であると、一方的に信長を断罪している書状である。というのが私の見解です。

 

 原文に補足を一つ入れると、より分かりやすいと思うのでもう一度記します。

 

「一節の内容」

 信玄は、信長に手紙を書いた時、次のように名乗りました。

 天台座主沙門信玄。(仏門の保護者)

 信長(の事)は、これに対して

 第六天魔王信長。(仏門の妨害者)

 

「信長は、これに対して」を「信長の事は、これに対して」と補足させて頂きました。

 文章が明確になったと思います。ここで大事なのは、「信長の事は」と、した事は、解釈では無く、補足であるという点です。

 原文でも内容のわかるものを、明確にする為の補足という位置づけだということです。

 

 重要なのは、書かれている明確な情報は、一つの手紙の事だけです。

 これを元に読み取りますと、「信長は、これに対して」とは、「信長の事は、これに対して」という接続詞としてフロイスが書いたとしか、読み解くことが出来ないという事です。


「一節の内容」

 信玄は、信長に手紙を書いた時、次のように名乗りました。(★人物の行動)

 天台座主沙門信玄。(仏門の保護者)(★書状の内容)

 信長は、これに対して(★フロイスの接続詞)

 第六天魔王信長。(仏門の妨害者)(★書状の内容)

 

 いかがでしょうか。

 一つの書状の内容として読んだとき、文章として成り立っていると、私は考えます。

 これならば、ウィキペディアでしているように、解釈したり、無数にある憶測を選ばなくても、原文を補足するだけで明確な内容になります。


 

 この一文は、信玄が自らを仏門の保護者であるとして、一方的に信長を断罪している文章であると考える根拠を、もう一つ紹介したいと思います。

 それは、甲陽軍鑑の中で紹介されている、信玄が将軍に宛てた手紙です。

 その中で、信玄は、信長の事を次のように書いています。


「そもそも信長・家康は、逆心をくわだて山々を焼き払い、諸仏物を破壊、掠奪りゃくだつし、自分の事のみ考え栄華をきわめて、諸人は口を閉ざし、眉をひそめさせるように追いこむ、ひとえに仏法王 法の破壊の相がみえており、欲界の天魔の変化である」

 信玄は、将軍に宛てた手紙の中で、信長・家康は、欲界の天魔(第六天魔王)の変化であると言っています。

 同書にて、信玄は「大嶺たいれい(比叡山延暦寺)の諸伽藍、七社の零藍(大津市の日吉大社・七社権現か)の建立を実現いたし、再び顕密けんみつ(顕教と密教)を同時に学べる霊地となし、現世の安息のために政をただし、正義、同義で夜を照らし、天下を静謐せいひつにする功績を残したい旨を、よろしく様軍にお伝えいただきたい」

 と書いています。

 

 まとめさせていただきます。

 この内容は、信玄が、信長を第六天魔王の変化であると公言しています。そして同書にて、信玄は、寺社仏閣の再建をして、霊地とすると公言しています。

 この様に、もう一つの史料が存在するのです。

 そして、先に述べました、フロイスの一節に書かれている情報だけを素直に見れば手紙は、信玄から信長に宛てた一通だけである。

 一通の書状の内容として読んだとき、文章として成立する。

 

 この二点を根拠としまして、フロイスの一節には、信玄が信長に宛てた書状の事がかかれており、そこでは、信玄は、天台座主沙門信玄、(仏門の保護者である)、と、いい。信長は、第六天魔王信長(仏門の妨害者である)と、信玄が書いている、というのが私の見解です。

 

 したがいまして、第六天魔王信長とは、信長が自ら名乗ったのではなく、武田信玄の発言である。という見解です。


 

「ウィキペディアの改正」

 それでは、ウィキペディアをどのように改正するべきなのか、私の考えを書かせて頂きまして、終わりにしたいと思います。

 

 第六天魔王信長について。

 武田信玄が信長に宛てた書状に、天台座主沙門信玄と書かれていたことに対して、信長は、第六天魔王信長と、「自ら手紙に記した」「返書に署名した」「応酬せり」と、フロイスの書簡に書いてあると一般的に信じられてきた。 

 しかし、原文には、「自ら手紙に記した」「返書に署名した」「応酬せり」との記述は何処にも書かれてはいない。

 書かれていると、一般的に信じられていたこれらの表現は、天台座主沙門信玄、「信長は、これに対して」を「信長は、この書状にたいして」と解釈した上での、憶測でしかない。

 フロイスの一節に書かれている情報だけを見ると、信玄が信長に宛てた書状の事のみが書かれているものであり、その書状で、信玄が天台座主沙門信玄(仏門の保護者である)といい、信長の事は、第六天魔王信長、(仏門の妨害者である)と、信玄が一方的に信長を断罪している書状の事を、フロイスが記したと考えられる。「注釈・その根拠」

 したがって、フロイスの書簡に書かれている内容は、信玄が信長に宛てた手紙の中で、信玄は自らを天台座主沙門信玄といい、信長の事を第六天魔王と公言していると読み解く方が自然である。


 「注釈・その根拠」

 根拠として、第六天魔王信長という表現は、フロイスの書簡以外の史料の何処にも登場しないと言われているが、甲陽軍鑑の中で、信玄が将軍に宛てた書状にて、信長・家康は、欲界の天魔の変化(第六天魔王)である。と公言している点があげられる。

 ちなみに同書にて、信玄は、比叡山その他の、寺社仏閣の再建を将軍に公言している。

 甲陽軍鑑の資料としての信憑性を問う声もあるが、フロイスの第六天魔王の一節に関する全文には、甲陽軍鑑に記述との酷似点が多くある。

 二つの史料に、同様の事が書かれていることから、甲陽軍鑑の中に記載のある、信玄が将軍に宛てた書状の内容について、その信憑性は非常に高い。(書状の内容とは、信長・家康は、欲界の天魔の変化であると公言している事)


 

「事の真相・実像」

 信玄が信長を第六天魔王と呼称した背景には、信玄は、天台座主である覚恕法親王を保護していたため、この人物を名目(大義名分)に上洛を果たすため、もしくは、中央政権とのつながりの強化、地位の向上を考えていたと思われる。

 そこで、当時の中央政権において最大の影響力を持っていた信長に対抗するために(信長包囲網など)、信長を第六天魔王と悪く言い、自らを天台座主沙門信玄と名乗り正当性を主張した、というのが事の真相ではなかろうか。


「天台座主沙門信玄とは」

 信玄が増長して、自らが天台座主を名乗ったとする解釈も存在するが、天台座主信玄ではなく、沙門と書かれている。沙門とは、修行増の事である。

 信玄は当時、天台座主である覚恕法親王を保護していた事を踏まえて考えると、天台座主である覚恕法親王の下で修業する僧侶信玄と読み解く方が妥当である。

 

 

 この様に、ウィキペディアが改正され、一般的認識が改正されたら良いなと私は、考えています。

皆様の支持が得られ、改正される日が来れば嬉しい限りです。



「ウィキペディア改正案・事の真相について」

 

 現在のウィキペディア記事、「武田信玄」にて、信玄の天台座主沙門信玄、これに対して信長は「仏道修行を妨げる魔・信長」と皮肉で返したと読むこともできる。

 と、記載がありました。

 これは、信長が、自ら返書に署名して応酬した、という事を事実(史実)とした上で、事の真相についての推察の記載です。


 そこで、私も、改正案の最後に事の真相について推察の記載を付け足しています。

 推察ですので、ウィキペディアに記載するのは、適切では無いかもしれませが、武田信玄ウィキペディアにも推察の記載がありましたので、もし、真相について推察の記載を乗せるとしたらと仮定しまして、私が事の真相を考え最後に加えておきました。

 


「あとがき」

 今回は、第六天魔王信長論争に終止符を、と題しまして論説を書かせて頂きました。

 第六天魔王信長という代名詞くらいは知っている、かたに興味を持って読んで頂けるもの、考えながら読んで頂けるものになっていたら幸いなのですが、力及ばない所は、もうし訳なく思います。

 それでも、少しでも楽しんで頂けたら嬉しく思います。

 仮にですが、私の様な一介の歴史好きが提唱する論説が支持され、ウィキペディアの改正がなされたら、こんなに嬉しい事はありません。

 しかし、大学の教授や、有名な歴史家であれば、誰々が提唱した論説として、名前が載る所ですが、私の様な若輩では中々そうはいかないなぁ、と思うところです。

 歴史好きの方は、皆それぞれが、見解や論説を持っていて、新たな論説の提唱者として、名前が残せたらと思う方は、沢山おられると思います。

 私も、その一人ではありますが、そんなのいつの事になるやら、夢のまた夢と言った感じです。

 これからも、読者の方に、興味を持つきっかけになり、楽しく考えながら読んで頂ける、戦国史の論説を書いて行きたいと考えています。

「これは、確かに!」「これは、違うなぁ」などと楽しんで頂けたらと思いますので、お付き合い頂けたら嬉しく思います。

 重ね重ね最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。



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