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戦国史に想う  連載エッセイ  作者: 酒井 知徳
織田信長の人物像・性格・人柄についての見解
16/22

私の論説1

この論説は、訂正させて頂きます。

今回、2016年10月29日、「第六天魔王信長・論争に終止符を!」と題しまして、新たな論説を投稿させて頂きました。

そちらを、私の考える本命説とさせて頂きます。

ご覧頂ければ嬉しく思います。



 

 信長が自ら第六天魔王と名乗ったのか?

 一般的には、「信玄が私は、仏門の守護者」と言ったのにたいして、「だったら俺は、仏門の修業を邪魔する、第六天魔王だ!」と嫌味で返したとされています。

 しかし、この文書の信憑性については、論争があります。

 ですが、やはり書いてあるという事実から、信長は、自ら名乗っていると確定する論調が強いと思います。

 そして、信長が自ら名乗ったと言う論調を前提として、第六天魔王と名乗った意味は、どうゆう事か?という見解が多数あります。

 

 

 「私の見解」

 しかし、私は、信長は自ら名乗っていないと考えています。

 そもそも、フロイスの書簡にあるように、信玄が天台座主沙門信玄と署名した手紙に、信長が対六天魔王と署名して返したという事実が無かったと考えています。

 これは、当時の信玄と信長のやり取りを、フロイス自身の解釈で編集されて書いたものであるという見解です。

 

 前回紹介した信憑性についての一般説では、信玄の名乗りの記述は正確か否かという所に注目しているものです。これは、内容についての正確性です。

 ですが、私が注目するポイントは、フロイスの書こうとした主旨です。

 

 フロイスが、書きたかった主旨とは何か?

 「信玄が三河へ進行する前、面白いことが有った。信玄が天台座主沙門信玄と署名したのに対し、信長は第六天魔王信長と署名して返した。」

 

 フロイスは、面白いことが有ったと書いています。これはフロイスの主観です。要するに、フロイスが面白い事と感じたわけです。

 では、何が面白いと感じたか?

 それは、売り言葉に買い言葉、あからさまに大名同士が張り合って喧嘩している姿です。

 フロイスは、これを面白いと感じ、この一説に書きたかった主旨であると私は考えます。

 

 では当時、信玄と信長が、売り言葉に買い言葉で張り合って喧嘩していたのかという事が問題ですが、実際にあります。

 その様子が甲陽軍鑑に書かれています。(甲陽軍鑑の信憑性は後に)

 その中で、あの信玄と信長が、売り言葉と買い言葉という形で、あからさまに互いを罵っているのです。

「おい、おい、子供の喧嘩かよ!」

 というやり取りで、私も以前より、面白いと感じていて大好きな歴史の一幕です。

 私は、以前より、フロイスの一説は、甲陽軍鑑にある書状のやり取りを元にフロイスが書いたものであると、安易に思っていました。

 しかし今回、丁寧に全文を読みますと、私が、面白いと感じていたことを、フロイスも面白いと感じていたのです。

 私や、フロイスでなくとも、あの信玄と信長が、売り言葉に買い言葉で喧嘩しているのですから、面白いと感じるのではないかな?と思います。

 


「私は、フロイスの一説は、甲陽軍鑑に紹介されている、信玄と信長の売り言葉に買い言葉という書状を元に、フロイスが解釈して、書かれてた物であり実際のやり取りでは無いと考えています。」

 

 その根拠は、フロイスの問題の一説は、一連の文章のなかの、日本語訳で3ページの中の3ページ目に登場します。

 その前の、2ページに書かれている内容と、甲陽軍鑑で紹介されている内容の類似点の多い事です。

 そして、総てにおいて、甲陽軍鑑の内容が詳しく書かれています。

 この点から、フロイスは、甲陽軍鑑に紹介されている二人の書状を元に書いた可能性が非常に高いと考えています。

 甲陽軍鑑の方が詳しく書かれている事を、踏まえますと、フロイスの記述と、甲陽軍鑑、どちらの信憑性が高いのかと考えますと甲陽軍鑑という事になります。


 ここで問題は、天台座主沙門信玄に対して、第六天魔王と返信したと言う記述が甲陽軍鑑に登場しません。

 では何故フロイスが、このように書いたのか?

 そこで、私は、フロイスが書こうとした主旨に注目しました。

 要するに、甲陽軍鑑で紹介されている、信玄と信長のやり取りの主旨と、フロイスの一節の主旨が同じである。

 そして、全文を見た時、甲陽軍鑑との類似点を総合して考えました。


 この様な推論から、フロイスが、まったくのデタラメを書いたのでは無く、当時実際にあった、信玄と信長のやり取りを、フロイス自身の解釈で編集して書い たものであると考えています。

 ここで、問題になるのは、一連のやり取りを聞いた、若しくは書状をみたフロイスが、天台座主沙門信玄に対して第六天魔王と返したという解釈にたどり着くのか?です。

 私は、たどり着くと考えています。


 別の見かたをしますと、フロイスが知っているのですから、都の噂になって居たという事も考えられます。

 これも、フロイスが一節の表現にたどり着いた同様に、町の噂になり得るのか?ということです。

 私は、町の噂になり得ると考えています。


 要するに、甲陽軍鑑で紹介されている、信玄と信長のやり取りは、フロイスの一節や、町の噂で、天台座主沙門信玄に対して第六天魔王と返した。と解釈され ても不思議では無いと考えています。

 もちろん、町の噂があり、それをフロイスが書いた可能性も有ります。

(ここまで書いて、改めて思う事は、町の噂の方が先で、それをフロイスが書いた可能性の方が高いかもしれません。最後に触れます)

 


 それでは、甲陽軍鑑の内容とフロイス書簡の前の2ページの類似点を紹介します。

 ★見て頂きたい所は類似点なのですが、その表現まで酷似しています。フロイスが実際にその書状を見て書いたのではないか?というほど似ています

 私は(これが)、フロイスが、信玄と信長の書状を元に書いた裏付けであると考えます。

 そして、この内容と主旨は、フロイスの一節、もしくは町の噂になり得る物であると考えています。


(先ほど甲陽軍鑑にある実際・・のやり取りと書きましたが、甲陽軍鑑については信憑性が低いという、ご意見があると思います。

 しかし、私は高い部分も有ると言う意見です。このフロイスの記述との類似点は、甲陽軍鑑の信憑性を裏付けるものであると考えます。

 歴史学としては、こちらの方が価値のある比較かもしれません。


 それでは、フロイス書簡と甲陽軍艦の比較をさせて頂きます。




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