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戦国史に想う  連載エッセイ  作者: 酒井 知徳
織田信長の人物像・性格・人柄についての見解
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現在の信長のイメージについて2

「信長の人物像が出来上がる工程を整理します。」



信長の歴史上の出来事が現在の価値観で解釈された。

比叡山の焼き討ち、魔王と言われた信長。

神になろうとしたから、傲慢な人物。

など、のインパクトのある出来事を元に、負のキャラクター作りがなされた。


そして負のキャラクターが、物語として広く世間に紹介された。

物語のキャラに一貫性を持たせるために、負に解釈出来るエピソードが多く紹介された。

好きで自分で調べない人は、ドラマでしか知りえないので、世間に定着。

定着した、厳しくて怖い人物だという潜入感で見るので、確かにその通りに見える。そこに矛盾を感じない。

信長は、厳しくて怖い人だという、空気的事実が出来上がる。

この空気的事実である、厳しくて怖い人、という信長を元に歴史の検証が行われる。

一つの歴史の形が出来上がる。

それが、テレビ番組で紹介させる。

空気的事実では無く、事実になる。

さらに、この事実となった歴史を元に検証が行われる。


私が伝えたいことは、

インパクトのある出来事から出来上がったキャラ→空気的印象→歴史検証→

空気的印象→歴史検証→事実的印象→歴史検証→事実的印象

印象から印象が作られるので、そのスパイラルから抜け出せないという事です。

そして、「だと思うよ」から「であった」に変化していきます。


信長の人物像・性格・人柄、ありきで、歴史の検証が行われていますが、この信長の人物像が違ったものであるなら、まったく別の歴史の姿も在りえると思うのです。



私が見たテレビ番組の話を紹介しますと、信長が、残酷で厳しくて怖い人であるという事が前提ですべての討論がされていました。

明智光秀謀反の動機として、信長は、サイコパス、人が物のように見えてしまう人で有ったのではないか?

そして、織田家全体がブラック企業であったと言う推論です。光秀は、こんな信長についていけないと思ったと言うものです。

これは、現在存在する、無慈悲で厳しくて怖い、信長のイメージから、推察された、イメージ(サイコパス)という答えです。

そして、謀反の理由を信長の性格、人柄にあるとするのです。

信長は、家臣を使い捨てても何とも思わない性格とされています。

「家臣は、がまんしていたので、光秀がやらなくても誰かが謀反に及んだ」

という推論につながっていました。

その番組では、数名のコメンテイターの方が全員、既存の残酷な信長のイメージに乗っ取って話をしていて、残忍性の補足もしていました。


世間的信長のイメージから、

信長の人格が、人が物に見える社長、その会社は、人を物の様に使い捨てるブラック企業と表現されていました。

この前提から、信長が天下統一まで、一歩の所まで行けた理由を考えると、

「恐怖で家臣を支配したからである。」

「家臣は皆がまんしていたのではないか?」

けっして、信長に人望があったからとはならないのです。


信長にも、民の事を考え慈悲深い出来事も有ります。

5人ほどコメンテイターの方が居ましたが、一人くらいは、

こんなに優しくて慈悲深い信長が謀反されたのだから、光秀は高飛車だったのではないかと言う人が居ても良いように感じました。

やはり、信長の人格を見直して、新たに歴史の検証をすれば、今までにない歴史の姿が見えると考えます。



私がここで注目したいのは、

サイコパス、ブラック企業、という推論では無く、そこにいたる前提です。

この前提とされる信長の性格は、作られてきた空気的事実であると思うのです。

要するに、残忍で厳しくて怖い人だという前提で、信長の歴史を見るとサイコパスに見えるのです。そこから、織田家はブラック企業となります。

さらに、残忍であったというイメージは、イメージと推論が重ねられ、空気的事実が事実のように、世間に定着しているので、違和感を感ません。

そして、信長が残忍だから、性格に問題があるから、という方向の話しか出ないのです。

サイコパスの根拠は、あたかも事実で有るかのような、世間のイメージであり、無理やり根拠とするなら、一つ二つの実例です。

一つ二つの実例を根拠として語るのであれば、信長は、庶民思いで、仲間思いであるという推論が出ても、何ら不思議ではないのです。

両論とも、ふり幅としては、同じですが、

世間の空気的事実があるがために、サイコバスには、違和感を感じずに、庶民思い、仲間思いには、違和感を感じるのです。

大学の先生も居られたのだから、もう少し幅のある見解が有っても良いのではと思うのです。




「最後に重複しますがまとめさせて頂きます。」


冒頭でも述べましたが、

私は、信長の人物像(性格・人柄)を、今一度見直すべきであると考えております。

信長の人格を見直して、新たに歴史の検証をすれば、今までにない歴史の姿が見えると考えます。


歴史の出来事を元に、私の解釈を書いて行きたいと考えておりますが、あくまでも、私個人の解釈で有りますので、正解では有りません。

ですが、現在の信長のイメージも、歴史の事件を解釈した一例であると思うのです。

現在では、比叡山の焼き討ちについては悪ではない、というのが一般的な評論ではないでしょうか?

ですが、残忍な信長という人物像は改善される事なく、歴史の検証にまで使われています。

極端な言い方をしますと、この信長のイメージは、歴史の解釈が違うだけだと思うのです。

戦国の世を生きた大名ですので、残酷な出来事も確かに有ります。

ですが、信長だけに限った事ではありません。

第六天魔王というキャッチーなフレーズに引っ張られ、信長は、他の大名と比べて、非道・残忍なイメージが強いと思います。

そして、非道・残忍なイメージありきで、信長の歴史をとらえているので、戦国大名なら、誰しも持ち合わせている出来事も、信長は、残忍だからと言われてしまいます。

信長の、非道・残酷な面だけをみて、人柄(人格)を非道・残忍として、語るのであれば、信長の、良い面だけをみて、善人として語る事もできます。

これは、ふり幅は同じです。

魔王というイメージありきで見るので、悪いことが目につき、その他の事も悪く解釈されていて、現在ある信長のイメージは、非道・残忍に傾き過ぎているとおもうのです。

現在の魔王信長の一方通行の解釈に、一石を投じられたら良いなと思います。



内容に一貫性を持たせるために、現在の歴史認識について否定的に書かせて頂きましたが、一つの可能性として正しいと考えています。

内容を伝わりやすくするために、現在の信長のイメージについて少々極端な書き方をしましたが、現在では、信長に対して、残忍・非道だけではない、皆それぞれ違う、さまざまなイメージをもっておられると思います。

人それぞれ皆違う信長像をお持ちで有るように、私も、信長ってこんな人だったのではないかと考えて楽しんでいる一人です。

歴史の解釈は人の数だけ有るという事で楽しんで頂けたら幸いです。





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