現在の信長のイメージについて1
織田信長の人物像・性格・人柄・についての見解
織田信長は、どんな人だったのか?
私の考える信長という人物の解釈を書いていきたいと思います。
一般に言われる信長のイメージですが、
「天才的な革命児で、日本を武力で統一・支配しようとするロマン・野望を持っていて、独裁者的で、厳しくて威圧感があり、近寄りがたい怖い人。」
この様な感じではないでしょうか?
もちろん少し詳しい方であれば、世間一般的なイメージでは無く、各々のイメージをお持ちだと存じます。
ですが、一般的なイメージが存在することもまた事実であると考えます。
テレビの歴史番組などでも、この信長のイメージを前提に語られる事が多く有ると思います。
このイメージ先行で考えると、歴史的事件の本来の姿が見えないのでは、ないかと思うのです。
私は、信長の人物像・性格・人柄、を一度、考え直すべきであると思っています。
私も昔は、一般に言われるような信長のイメージを持っていました。
しかし、ずっと疑問が有りました。
何故?人が集まり天下にあと一歩という所まで行けたのかという事です。
人たらしというイメージの秀吉なら、頷けたのですが、信長の性格、人間性に良い印象が有りませんでした。
光秀の謀反に代表されるように、人望が無いようなイメージが強かったのです。
ですが、私が現在考える信長の姿は、
「元気で、明るくて、楽しくて、皆に楽しんでもらうサービス精神が旺盛で、自身も皆と盛り上がるのが好きで、物事に対して意欲的で、お人好しで、真面目で律儀で、正義感があり、基本的には気さくだけど、たまに面倒くさい人です」
世間のイメージとは、大分離れた物ですが、この連載を読み終わった後に、この人物像も在り得るかも知れないなと思って頂けるものになれば良いなと思います。
それでは、歴史上の事件を元にして、私の見解を書いて行きたいと思います。
歴史の真実に迫るという事ではなく、私の解釈ですので、歴史の勉強にはならないと思いますが、一つの解釈として楽しんでいただけるもの。名前くらいは知っていると言う方でも、興味を持って頂けるもの、にしたいと考えております。
私も他者の、歴史解釈を見たり聞いたりして、「言われてみれば確かに!」とか「この可能性は有るかもしれないな」とか「これは、私の見解と違うな」と、あれやこれや考え楽しんでいる一人です。
私は、自分と違う意見こそ、私が歴史を楽しめる最大の要因だなと思うのです。
皆が皆、自分と同じ見解であったら楽しむ要素が有りませんから。
そんな感じで、一人の解釈として楽しんで頂けたら幸いに思います。
「織田信長という人物に対する一般的な印象。」
信長の一般的に言われる印象をキーワード的に、敢えて良い印象と、悪い印象に、まとめてみたいと思います。
良い印象
「革命児、天才、独創的、天下布武というロマン、能力主義、斬新な戦術、口髭のダンディなおじ様、戦国三英傑の中で乱世という時代に切り込んだ英雄」
悪い印象
「厳しいひと、残忍、うつけ者、日本を力で支配するという野望。人を信じない、傲慢、俺様的、天罰を恐れない、権威を無視する、独裁者、人に意見されるのが嫌、直ぐにカッとなる、気分屋、裏切り者は、皆殺し、逆らう者も皆殺し、第六天魔王という、悪役の親玉さながらのキャッチフレーズ」
ここでは、実際にそうで有るか、無いかでは無く、一般的なイメージだと思うことを、挙げさせて頂きました。
私の印象ですが、世間一般では、
「厳しくて、残忍で、傲慢で、魔王」
要するに、「嫌な奴」という印象が強いように感じます。
「天下統一まで、あと一歩という所まで行った英雄では、有るけど、人間的には好きになれないよね」
という世間の声があるように感じるのです。
「信長の、厳しい怖いイメージが何故、世間一般に浸透したのか?」
世間に、広く信長のイメージが浸透した理由に、ドラマのキャラクターの影響は、大きいと思います。
信長のキャラクター作りには、もとネタが有ります。
信行の謀殺。比叡山の焼き討ち、長政の髑髏、一向一揆勢の皆殺し、無断で出かけた女中の成敗。寺社でも容赦なく焼き払う。荒木村重の一族皆殺し。恵林寺の焼き討ち。神と称した。第六天魔王と称した。将軍を追い出した。朝廷の官位を断った。味方に裏切られる。天下布武という野望。
などでしょうか。
このエピソードを元に人物像を想像すると、厳しくて怖い人、天罰を恐れない魔王が出来上がります。
では逆に、良いイメージで、信長の人物像を作ってみたいと思います。
天下布武というロマン、楽市楽座、兵農分離、鉄鋼船、桶狭間の勝利、長篠の勝利、三軒半の槍、鉄砲の登用、
こんなところでしょうか。
一見すると、人柄に結び付く事柄が無いのです。
がしかし、この題材でもキャラクターは、想像で作れます。
しかし、圧倒的に、悪いエピソードの方が、信長の人間性を表現するのに、想像しやすいと言えるでしょう。
ドラマでは、
秀吉が、信長に厳しく叱られ、ははーっと床に頭をこすり付けているシーン。
光秀が、信長の独裁者ぶりに耐えかねて謀反に及ぶシーンに代表されるものです
信長を主人公にしている場合は、人を信じる事の出来ない、心に闇を抱えた人物として書かれたりします。
これは、物語を盛り上げる演出です。
ここで私が重要だと思う事は、
信長の人柄は、ドラマの都合上出来上がっているキャラクターであると思うのです。これが、あたかも、実際の信長の人柄で有るかのように世の中に浸透しています。
そして、歴史的出来事を扱うテレビ番組でも、この信長のイメージで真相解明しようとしているわけです。
「チョット待ってください、それはドラマのキャラクターですから」
と、思うのです。
私は、これでは、実際の姿が見えないと思うのです。
ですが、実際に人でなしに見える、残忍な出来事が多いから、信長の人柄のキャラクター作りは、違ってないのではという意見もあると思います。
それについての見解を述べたいと思います。
先ほどの負のイメージとして挙げさせてもらった中にも、解釈が違うだけで、良い人柄に結び付くことも有るのです。
これは、ドラマの影響が大きいと思うのですが、出来上がった厳しくて怖い印象から見ると、総て悪に見えるという事です。
簡単に言いますと、
嫌いな人はなぜ嫌いか?、嫌な人だと思って、その人を見ると、嫌な所が目につくのです。
好きな人は、何故好きか?良い人だと思って、その人を見ると、良い所が目につくからです。
ドラマのキャラクターを通してみると、魔王信長に見えるのです。
例えば、
足利義昭(将軍)を担いで上洛したのも、信長が利用しているとも解釈できますし、頼まれたから協力してあげた、人が良い信長も解釈できます。
比叡山の焼き討ちについては、最近は、皆さんもご存じのように、神の仏も恐れない魔王ではなく、利権を掌握する僧侶の排除であると言われます。
これも、「仏に仕える者は、民衆に心の道を示すのが役目であろう、金に目がくらんで民衆をないがしろにするとは、何事か」という、僧侶より真面目な信長の姿も在り得るのです。
ですが、信長を悪とする前提があるので、これも「寺から利権を奪って自分の物にしたかった」と言われてしまします。
現在の信長のイメージ2へ続きます。