イレールさんのおとぎ話
「さて、ではそろそろ何故ミオがこちらの世界に召喚されたのかを話しておきましょうか」
美桜と二人でお菓子を摘まんでお茶を楽しんでいたイレールは、口にしていたカップを置くと唐突にそう切り出した。
「私達が生きるこちらの世界には、"シラ"と呼ばれる創造神が存在するとされています。そしてそのシラの神力をその身に宿した娘が存在していて、私達は彼女達を"シラの巫女"と呼んでいます」
「シラ…」
そう言えば近所に住む白川さんというおじいさんが近所の皆に"しらさん"なんて呼ばれていたな、と美桜はぼんやり思い浮かべる。
真っ白な髪と髭、それと目元に深く刻まれた笑いジワが特徴的な優しいおじいさんだった。
しらさんの家にはよく野良猫が集まっていたので、幼い頃の美桜はよく彼の家に入り浸っては猫達とじゃれ合ったものだ。
美桜は彼によく懐いていたのだが、実家を出てからは一度も会いに行っていなかった。
「各国を統べる我がクィンシア国では、異世界より召喚したシラの巫女を国王陛下の正妃に迎えるのが初代国王からの習わしなのです」
「あ、だからあの時…」
『こんな薄汚い小娘を余の正妃に迎えろと言うのか』というような感じの事をあの金髪の美しい男が忌々しそうに吐き捨てていたのを思い出す。
あの時はそれどころじゃなかったから然程気にはしなかったものの、よくよく考えてみればやはりあの陛下と呼ばれていた男は失礼極まりないな、と美桜は少し唇を尖らせた。
「歴代のシラの巫女達に共通するのは黒髪黒目だということと、不思議な力を持っていること、そして美しい容姿をしているということです」
「はぁ…ならやっぱりあたしはその"シラの巫女"さんじゃないですね。美しくもないし、不思議な力なんて持ってません…」
脱力したようにそう苦笑した美桜に、イレールはにこりと笑みを向けた。
「なら明日にでも本当のシラの巫女が召喚されるでしょう。無事にそれが終わったら神殿の総力を上げて美桜を元の世界に戻す方法を考えましょうか」
「あ、はい…そうですね。ところで、そのシラの巫女さん達にはどんな力があったんですか?」
「それぞれ持っていた力は異る物でしたよ。例えば人の傷を癒す力を持つお方もいれば、少し先の未来を予知する事ができるお方、ありとあらゆる動物に好かれ、世界中の野性動物を味方に付けた方もいらっしゃったようですね」
「すごいですね…っ」
キラキラと目を輝かせてそういう美桜は、昔から神だとか未知の力だとかそう言う類いの話が大好きだった。
だから異世界トリップ物の小説を呼んではそのおとぎ話のような幻想的な話に心踊らせていた。
「こちらでは神や精霊の存在が認められています。私達の住むクィンシアは、古来より神に愛された国だと言われています」
「精霊の存在も、認められているんですか…?」
驚いた様子の美桜にそちらでは認められていなかったのかとイレールが問い掛けると、美桜は目を大きくさせたままこくりと頷いた。
「そうなんですか…こちらには実際に精霊の姿が見える一族もいたとされています」
「そうなんですかっ!?」
「ええ…数百年も前の話ですが」
「じゃあ、今はいないんですか?」
「そうですねぇ…その一族の末裔がどこかに隠れ住んでいるという話は聞きますが事実かどうかまでは分かりません」
イレールの話によると、かつてこちらの世界には"精霊使い"の一族が確かに存在していたという。
彼らには他の人間には見えない"何か"が見えていて、それは自然界に生きる精霊であったり、今となってはそれこそおとぎばなしでしか聞かない神獣であったり。
更には一族の中で最も秀でた力の持ち主であれば、神の類いのものまで見えた。
そして彼らはその人間ではない者達と共存し、時には従え、そして時には崇め敬いながら生きていた。
それ故いつしか魔法を扱う者達よりも恐れられる存在となっていき、出る杭は打たれるが如く力のある魔術師達により滅ぼされてしまったという。
「そうですか…もしその末裔さんが本当にいるなら、会ってみたいです」
淡い期待を瞳に滲ませながらそう呟いた美桜は、ティーカップに口をつけ甘いお茶をこくりと飲み込んだ。
「そうですね。時間がある時にでも調べておきます」
そうにこりと笑みを浮かべて言ったイレールは、しかしその翌日王宮へ呼び出されてから数週間経っても屋敷へは帰ってこなかった。