苦い記憶と甘いお菓子
「わぁ……」
目の前に広がる広大な庭園を見て、美桜は思わず感嘆の声を上げた。
色とりどりの花や石造りの噴水、そして木造りのベンチ。
女の子なら誰もが心踊る風景がそこには広がっていた。
「この庭は私の屋敷で唯一の自慢です。」
こんなに立派なお屋敷に住んでいて何を言い出すんだと内心思いながらも、美桜は一番近くに咲いていた花の香りを楽しむ。
甘い香りが鼻孔を擽り、張り詰めていた美桜の心が少し和らいでいく。
噴水の水の上には花びらが浮いていて、キラキラと輝くそれは宝石の様にも見えた。
すっかりそんな幻想的な風景に見入ってしまっている美桜に、イレールは小さく笑みを浮かべる。
「一つ、聞いても良いですか?」
「はい?」
突然背後から掛けられた声に美桜が振り返ると、すぐ目の前にいたイレールに手を取られた。
「これは一体誰にやられたのです?」
腕の至るところに散りばめられた痣の一つを優しく指で撫でながらイレールは声を漏らした。
その言葉にぴくり、と反応した美桜は、すかさずイレールの手から自分の手を引き抜いて曖昧な笑みを浮かべた。
「ああ、これですか?お恥ずかしい話なんですけど…元いた世界でその、お付き合いしていた彼がですね、なんていうか…怒りっぽい人だったんです!それであの、ちょっと喧嘩になってそれで…」
へらりと笑いながら早口で言った美桜にイレールが何か言おうと口を開きかけた時、不意にポツリと二人の頭に雫が落ちた。
「…雨が降ってきましたね。屋敷へ戻りましょうか」
にこりと微笑みを浮かべてそう言ったイレールは、美桜の手を軽く引いて屋敷内へと促した。
テラスから屋敷内へと入ると、部屋の中にはお茶の用意がされていた。
その中のある一つに目を向けた美桜は、カッと目を見開く。
白いお皿の上に置かれたピンクや黄色等の可愛らしい色合いのマカロンのような焼き菓子に、美桜の二つの目が釘付けになる。
「食べて!僕たちを早く食べて!」と言わんばかりのオーラを放つその焼き菓子だけをただただ見つめ続ける美桜に気付いたイレールは、クスクスと笑いを漏らしながらその焼き菓子を一つ摘まんだ。
「食べますか?」
「い、いいんですかっ?」
「ええ。貴女の為に用意させたんですよ」
そう言ったイレールはあろうことかその摘まんだ一つを美桜の唇にそっと宛がった。
「―――……っ!?」
「…さ、口を開けて」
顔を真っ赤に染め上げて狼狽える美桜に、イレールは目を細めてにこやかに囁いた。
少しの躊躇の末ゆっくりと口を開けた美桜の口内に、まだ少し温かい焼き菓子が優しく差し込まれる。
するとふわりと広がる上品な甘み。
次いで半分ほど口に含んだ焼き菓子を噛むと、サク、と感じたと思えばその次にはふわりとした食感…そして最後にとろけるようななめらかさのカスタードのようなクリームが口内に広がった。
「ふ…~~~っ!」
もごもごと口を動かしながら目を潤ませ、目だけで感動を伝えてくる美桜ににこりと笑みを向けたイレールは、摘まんでいた残りの半分をひょいと自分の口へ放り込んでしまった。
「な、い、イレールさんっ?」
ちゅ、と音を立てて指に付いたクリームを舐めとったイレールは再び赤面して目を見開いている美桜に極上の笑みを向けた。
「どうしました?顔が赤いですね」
―――この人、絶対確信犯だ…
更に顔を赤くした美桜を見てクスクスと満足げに笑みを溢すイレールにむぅ、と唸り声を上げながらも、やはり例の焼き菓子が頭から離れない美桜だった。