イレールさんの素敵なお屋敷
「―――ミオ、そろそろ着きますよ」
「ん……ぅえっ…!?」
不意に聞こえた声に重い目蓋を開けると、目の前にある彫刻のような美しい顔に思わず仰け反った。
どうやらイレールの屋敷へと向かっている馬車の中で、美桜はいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
混乱した様子の美桜にクス、と笑みを溢したイレールは、目にかかっている美桜の前髪を払いながら美桜と視線を合わせる。
「随分うなされていましたが…何か良くない夢でも見ましたか?」
「え…あの、いえ…」
先程まで見ていた夢をちらりと思い出した美桜は、そう言ってイレールに曖昧な笑みを向ける。
そんな美桜を見て一瞬イレールの瞳に影が落ちたような気がしたが、直後に二人の乗っていた馬車が屋敷に着いたと同時に再び彼はにこりと笑みを浮かべた。
「着いたようです。さ、降りましょうか」
「あ、はいっ!……と、あの…?」
カチャリと開いた扉から馬車の外へ降りたイレールは、先には進まず美桜へと手を差し出している。
一体どうすれば、と戸惑っている美桜に再びクスクスと笑ったイレールは優しく目を細めた。
「お手をどうぞ、姫?」
「ひ、ひひ姫…っ!?」
更に戸惑う美桜の手を自ら取って馬車を降ろさせたイレールは、白銀の髪をさらりと揺らしながら屋敷へと足を進める。
そして歩きながらも少し美桜へと顔を寄せ、小さく囁いた。
「貴女は異世界の姫君ということにしてあります。手違いでこちらへ呼び寄せられた、ね。ですから私以外の人間の前ではそのように振る舞って下さい」
「そ、そんな!あたし姫君だなんて、そん―――」
突然立ち止まったイレールは高い位置にある顔を美桜へ向けると、すっと目を細めた。
「従ってもらいます。嫌ならまた神殿へ戻りますか?明日には再び陛下が戻って来られると思いますがそれでも良いのですか?……まぁ陛下に会いたいと言うのであれば私は何も…」
「い、い嫌ですあんな人!もう二度と会いたくないです!イレールさんがいいです!」
ハッ!と我に返った美桜がしまった、何を言っているんだ自分はと思った時にはもう遅く、イレールはこれまで以上に満足した笑みを浮かべていた。
―――嵌められた、ような気もしなくもない…。
顔を耳まで真っ赤にして俯く美桜を余所に、イレールは瞬時にいつもの表情に戻って屋敷へと足を踏み入れていた。
もちろん、美桜の手を引きながら。
―――に、しても大きすぎる…!
"王宮ほど広くはないのですが"とかなんとか言っていなかったっけ、この人…。このお屋敷よりも更に広いと言うことはどれだけ大きいの、王宮って…
だだっ広い玄関ホールを見渡しながら唖然としていた美桜に気付いたイレールが、同じように玄関ホールを眺める。
「どうかしましたか?」
「お、大きいんですね、イレールさんのお屋敷って…」
「はぁ…そうですか?王宮に比べればこんな屋敷、馬小屋の様な物ですよ」
「うま、…!?」
さも当たり前のことのように口にしたイレールに、美桜は再び唖然とした。
彼女は少なくとも元いた世界では、これ程大きな屋敷を見たことはなかった。
それからあれよあれよと言っている間に、美桜の身の回りの世話をするようイレールが言いつけた侍女達との挨拶を済ませ湯浴みや着替えを終えた美桜は、イレールの計らいでその日は食事が終わるとそのまま与えられた部屋で早めの睡眠を取ることになった。
「―――ミオ」
「んー……?」
「そろそろ起きましょう。…ミオ?」
「もう、ちょっと…」
「仕方ありませんね…」
枕元で小さな溜め息を感じたミオは、何か違和感を感じてぱちりと目を開けた。
そしてすぐ目の前まで迫った美しいイレールの顔に驚き、同時に自分の唇がイレールの指によってなぞられていることに気付いた。
「い、イイイ、イレーンさん、な、なにを…」
「イレールです。残念ですね…何度起こしても起きないので口付けで起こしてあげようと思ったのですが…」
「い、いりませんっ…!!」
顔を真っ赤にして慌てふためく美桜を見て、イレールは「冗談ですよ」と笑いを溢しながらベッドの端に下ろしていた腰を上げた。
「身支度を整えたら来なさい。朝食を食べたら庭を案内してあげます」
「あ、はいっ」
大きな窓から見える色鮮やかな庭園をちらりと見やったイレールに次いでそちらに目を向けた美桜は、少し胸を踊らせて身支度を整えたのだった。
窓から見える空が少し雲っているのが残念だが、それでもイレールの屋敷の庭園はそれは見事に美しい輝きを放っていた。