醜い姫君
床に描かれた大きな魔法陣を、息を呑んで見つめる数人の男達。
神官が長い詠唱を唱え終わったと同時に淡く光りを放ちぐるぐると回転を始めたそれは、次第に部屋中をまばゆい光で満たしていった。
数分…いや、数秒程だろうか。
長いようで短い間部屋中を満たしていた光が、徐々に魔法陣の中央へと集まっていく。
その光の中を目を凝らして見ていた男達は、思わず目を見開き、絶望の表情を滲ませた。
"シラの巫女召喚の儀式"
今この広く薄暗い召喚の間では、それが行われているはずだった。
シラの巫女と言うのは、この世の創造神である"シラ"の神力をその身に与えられた娘の事だ。
代々この国では、シラの巫女を異世界より召喚し、国王の正妃に迎えるのが習わしであった。
それぞれの巫女によりその身に与えられた力は異なるのだが、しかしどれも国を安定に導くに相応しい程の素晴らしい力であった。
そして歴代の巫女達全てにおいて当てはまる共通点が三つ。
一つは、シラの神力。もう一つは、漆黒の髪と同色の瞳を持つこと。そしてもう一つは、誰もが息を呑む程の美しい容姿。
だがしかしどうしたことだ。
光がすっかり消え失せた魔法陣の中央にぼんやりと佇んでいるのは、焦げ茶色の短い髪をした貧相な娘ではないか。
しかもその顔や手足には赤黒い痣が無数に散りばめられており、目蓋や口の端は切れて血が出ている。
とてもだが美しいとは言えないその娘を、誰もが眉を寄せて蔑みの表情を露にした。
―――ここはどこ…?
ぼんやりとしていた視界が晴れたと思ったら、今まで見ていたものとは全く違う光景が目の前に広がっていた。
暖かさを感じない石造りの薄暗い大きな部屋の中央に佇む自分と、それを遠慮のない蔑みの目で見る数人の男達。
そんな異様な状況でも、娘はどこかホッとしたような表情を浮かべた。
「―――なんだコレは。髪は黒くない上に美しさとはかけ離れているではないか。こんな小汚ない小娘を余の正妃に、とでも言うつもりか?」
正面の位置に立っていた金色の髪と淡い紫色の瞳を持つ美しい男が、そう忌々しそうに吐き捨てた。
その吐き捨てられた言葉よりもまず、娘は言葉が通じることに驚く。
どう見ても自分の元いた世界にはいない風貌の人間ばかりなので、言葉は通じないだろうと思っていたのだ。
―――ああ、異世界トリップとかなんとか言うあれかな…
ぼんやりと過去に読んだ小説や漫画の事を思い出す娘。
突如異世界に渡ったヒロインが周囲に持て囃され、最終的には幸せになるというものがほとんど。
そんな小説を読みながら、いつか自分もこんな風に違う世界に飛び立てたら…と想いを馳せたものだ。
「本当にコレは女なのか?髪は短いし顔も身体も傷だらけで…醜くて見ておれんな。早く余の目の前から消すのだ」
「いえしかし、一度召喚した娘を再び送り返すということは出来かねます陛下…」
「出来んのなら外へ放り出せ。目障りだ」
「は、しかし…」
"陛下"と呼ばれた先程の男と、その一歩後ろで狼狽えている黒いローブを羽織った老人。
二人をぼんやりと眺めながら、娘はなんとなく自分のおかれている状況を理解した。
―――なんだか…失礼な人だなぁ、この人。
小汚ない、醜い、目障りだ等と言われるとさすがに誰でも腹は立つものだ。
一言言ってやろうかと娘が口を開こうとしたその時、それまで後方で事の成り行きをただ静かに見守っていた男がコツリ、と足を踏み出した。
「ならばその娘は私が引き取りましょう」
暗がりからゆっくりとこちらへ歩いて来た男は、娘の前で立ち止まった。
その顔を見た娘は、思わず目を見開いた。
美しい白銀の長い髪はゆるりと一つに纏めてあり、柔らかな曲線を描いてさらりと肩から流されている。
そして前髪から覗く琥珀色の瞳は娘の視線を捕らえて離さない。
まるで女性ともとれる程恐ろしく整った容姿の男が、放心状態の娘ににこりと笑みを向けた。
「私の屋敷に来なさい。衣食住の面倒ぐらいは見てあげます」
「なんだイレール、その小汚ない娘を気に入ったのか?」
先程の陛下と呼ばれた男が、さも馬鹿馬鹿しそうな表情で白銀の美しい男に問い掛ける。
すると娘をじっと見ていた白銀の男は、何やら含みのある笑みを娘に向けた。
「陛下のお気に召さない娘を召喚してしまったのは神官の落ち度です。神官長である私が責任を取りましょう。良いのですか、陛下?この娘を連れ帰っても」
「勝手にしろ。明日もう一度召喚の儀式を執り行う。もしまたこんな結果になろうものならどうなるか分かっているな?」
陛下と呼ばれた男は今度は先程の黒いローブ羽織った老人に冷たい視線を投げ掛けた。
ひ、と縮こまる老人を余所に、イレールと呼ばれた白銀の男は未だ放心状態の娘を連れて重い空気が漂う召喚の間を後にした。
「…さて、貴女の名前は?」
長い廊下を歩きながら不意に掛けられた声に、娘は少し肩を跳ねさせて口を開く。
「美桜、です……」
「ミオ…そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。取って頂こうなんて思っていません」
くすりと笑って美桜に横目を向けたイレールに、美桜はカッと顔が赤くなるのを感じた。
「私はイレール・ベルンハルト。この国の神殿の神官長を務めています。これから私の屋敷に向かいます。王宮ほど広くはないのですが、まぁ不便はないでしょう」
美桜は淡々とそう話す美しく整った横顔を見つめながら、とにかく自分がこの男に助けられたのだと漸く理解した。
そして何故か足早に歩いている男に置いていかれないようにと、痛む手足を必死に動かした。