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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

沈む船の神曲

作者: ポニョマル

この船は沈む。それだけは確かだ。理由を聞かれれば具体的に説明するのは難しいが、とにかく、沈むということだけははっきりしている。


 僕には、それが、わかる。

 

だから、説得しなきゃならない。この船の乗客二千人の命を少しでも多く助けるために。


 救命ボートは足りるかって?充分過ぎるくらいだ。二十人が乗れる救命ボートが二百槽もある。必要な分の倍もあるのだ。余裕をもって避難すれば充分間に合う。タイタニックとは違う。全員が助かりたいと思えば助かるのだ。それにここは太平洋の日本に近い位置にある。水とわずかな食糧を積み込んで一週間もオールを漕げば、銚子かその付近あたりにでも辿りつけるだろう。もしかしたら救助の船に助けられるかも知れないし、サメにでも襲われない限り、まず死ぬということはない。無論これらは全て、乗客が素直に救命ボートに乗ってくれればの話だが。

 とりあえず、船長に話をしよう。僕は少豪華客船の絶対不沈丸の船長室のドアをノックした。コンコン。


「どうぞ」


 僕は船長室に入った。船長は訝しげな目で少年である僕を見た。まるで不審者でも見るような目つきだ。実際、僕はジャージに汚れた靴という出で立ちをしており、お世辞にもオシャレとはいえなかった。が、この際恰好はどうでもいい。さっさと要件を話そう。


「何者だね君は。ここは関係者以外立ち入り禁止だよ。」


「すいません。でも、人命に関わることなんです。僕の話を聞いてもらえませんか?」


「話とは何かね?この船の乗組員として働きたいとでもいうのかね?残念だがそれは無理だ。乗組員は数多の試練を潜り抜けたものだけを厳選して採用している。体力テスト、ペーパーテスト、コミュニケーション能力、積極性、実務経験といったあらゆる能力を吟味している。そして最後に、この絶対不沈丸の船長であるこの私が面接を行い、ビビッときたものだけを採用している。君は見た感じだと運動経験も無さそうだしあとコミュニケーション能力も無さそうだ。悪いが採用するわけにはいかない。どうか客の一員として、この日本近海周遊豪華客船ツアーを楽しんでくれたまえ。今夜には甲板でカラオケパーティーもやる。私がAKB48の歌を美声で熱唱するのを楽しんでくれたまえ」


 人命に関わる話だと言っているのにこの老人は何の話をしているのだ。人の話を聞いてないのか。少々呆れる、気を取り直して話そう。

 

「話というのは、この船が沈むということです」


「こっここここここの船が沈む?ほう、非常に不愉快だが興味深い話だ。続けてくれたまえ。」


  ちゃんと話聞けるんじゃねーか。最初からそうしてくれよ。


「うまくは説明できないのですが、船の動き、人々の表情、空の色、風の音、海の香り、星の明るさ、それに、僕の第六感などから総合的に判断して、今夜中にも、この船が沈むことが分かりました。」


「それで?」


「船自体や航路に、何らかの異常がないかを調べた上で、出来るだけ速やかに乗客のみなさんに避難するよう指示を出してくれませんか。見た所、十分な数の救命ボートがあるようですし、今から避難すれば、恐らく一人も死人が出ずに済みます」


「ほう…」


 船長は暫く押し黙った。何かを深く考えているようだし、何も考えていないようにも見える。いずれにせよ、少年である僕の話にいい印象を持っているようには見えなかった。


「君、歳はいくつだね?」


「は」


「何歳かと聞いているんだ」


 船長の口調が苛立っているのが分かった。失礼なことを言ってるのは分かる。が、大勢の人の命がかかっているのだ。ここで船長の名誉を多少傷つけることになっても仕方あるまい。


「十六歳です」


「そうか。私は六十六歳だ。君のような人生経験の浅い小童とは比べ物にならない程、経験も勘も磨いている。それこそ、風や海とも会話できるくらいにね」


 パチン!

 船長か指を鳴らした。ガタイのいい二人の乗組員がいつの間にか、僕の両脇を抱えていた。動けない。


「この偉そうなガキをつまみ出せ。二度と船長室に近づけるな。それから、精神安定剤も与えてやれ。あと今夜のカラオケパーティーには必ず出席させろ。そいつにはアニソンを歌わせてやる。大勢の人の前で恥をかくがいい」


「待ってください船長!本当なんです。本当にこの船は…」


 言い終わらないうちに船長室から僕は放り出された。


「部屋で寝てろ坊主。二度と船長に迷惑かけんじゃねえぞ」


 ガタイのいい男の一人に言い捨てられた。まあ仕方あるまい。船長という高い地位についている限り、僕のような少年の話にそう簡単に耳を傾けるわけもあるまい。こうなったら、話を聞いてくれそうな人を探すより仕方ない。

          〈2〉


「あなたがこの船の設計者のネフ・ダルビーさんですか?」


「そうとも」


紳士的な雰囲気の男性だ。外人ではあるが、日本語も流暢に話すようだ。船長とは違って、少しはもの分かりのよさそうな感じだ。ここは船内のバーのカウンターだが、VIP専用といった豪華なものではなく、最安の価格でツアーに参加した乗客でも気軽に楽しめる庶民的なバーといった感じだ。まだ昼間なので客も少なく、ネフさんの他に数人いるだけだった。


「君は見た感じ未成年だね。お酒は飲めないだろう?オレンジジュースを奢ろう」


「そんな、結構ですよ。ちょっとお話がしたいだけです」


「遠慮するなよ。マスター。搾りたての果汁百パーセントのオレンジジュースをこの子に。」


バーのマスターとネフさんはどうやら親しげな関係らしい。マスターの方も嫌な顔一つせず、慣れた手つきでオレンジジュースを搾ってくれた。


「ほら。ここのオレンジジュースは最高だよ。さらにいうと、マスターの作るカクテルは極上だがね。君が二十歳になったら、飲みにくるといい。最も、こんな海の上の小さなバーに好き好んで何度も来るような乗客なんて殆どいないけどね」


「はあ…」


 オレンジジュースを少しだけ飲んでから、ネフさんの話にとりあえず頷く。おいしいことには変わりはないのだが、要件のことを考えるとじっくり味わってもいられない。それ以上に、このネフという男にはどこか威圧的な雰囲気があり、落ち着いていれらない。怒った様子でないのは分かるし、これから話すことも恐らく真摯に聞いてくれるだろう。それだけに、何か気負いさせるものがある。


「金持ちの客は、こんな小さなバーには来ない。VIP専用レストランでフォアグラやキャビアを使った料理を楽しみながら、何年ものの何トカとかいう有名なワインを楽しむらしい」


 ネフさんは一人で勝手に語り出す。話が不快だとは思わないが、どのタイミングで船が沈むことを言えばいいのか。


「せっかく海に出たんだ。こうして窓から見える広大な海景色を味わいながら、昼間から安い酒を飲むのも味があると思わないか?」


「思います。あの…」


「うん?」


 仕方ない。ネフさんの話を聞いていたいという気持ちもあるが、話さなくてはいけない。


「この船は沈みます。僕は大勢の人に助かって欲しいんです。僕の話を聞いてくれませんか。失礼なことを言ってるのは分かります。でも、決してふざけてるわけではないんです」


            〈3〉

「なるほどね…」


 あらかたの経緯は話し終えた。あとは、納得してもらえるかどうかだ。


「君の話し方や表情を見るにつけ、どうやらふざけている訳ではなさそうだね」


 お?これはいい反応か?


「だが君の意見は客観性に欠ける。船のどこにどんな異常があるから危険だとか、船の航路のどの位置にどんな異常があるかとか、具体的な説明が出来ないとどうしようもあるまい」


 確かに言う通りだ。だからこそ、それを解明するためにもネフさんに協力して欲しかったのだが、そこまでは伝わらなかったらしい。


「うまくは言えないんです…言葉では説明できない。目にも見えない。でも確かな実感として、僕はこの船が沈む未来が分かるんです」


「だから」


 ネフさんは諭すような声で言った。怒っているようではないが、僕を哀れんでいるような雰囲気だった。船長よりマシだと思えば、気楽なのだろうか。


「君の言っていることは地震の予知と同じだよ。よくテレビで有名大学の教授やら、有名な研究所の博士やら、海外の預言者とかが大地震を予知するだろう?でもそれで実際に避難する人が何人いると思う?実際の災害はもっと唐突で、忘れた頃にやってくる。直観は大切だ。船の設計も同じだ。実用性、利便性、安全性、芸術性、経済性…そういった様々な複雑な要素の絡み合う中で、いかに素晴らしい船を設計するか。そのアイデアやインスピレーションは確かに直観に支えられている」


 一息ついてネフさんはグラスのカクテルを飲み干した。酔っているわけではなさそうだったが、少し饒舌になっている。僕の気分を害さないように言葉を選んでるのもわかる。それだけに、僕のもっている『この嫌な予感』が伝わらないのが悔しくあった。


「が、だからといって、直観で災害を語るのは極めて危険だ。恐怖心に煽られると人は冷静な判断が出来なくなる。直観も、リラックスして、恐怖心や心配事のない時にこそ冴え渡る。きっと人の命を救うのも、そういった冷静な直観なんだと僕は思う」


 ああ、この人でも駄目か。悪い人ではないのだが、どうやら話はここまでだ。


「君の一生懸命さは素晴らしいと思う。人を救いたいというその気持ち。陸地に戻ったら、ボランティアの一つでもしてみればいいんじゃないかな。きっと君なら、大勢の人を笑顔に出来ると思うよ」


「…わかりました。話を聞いてくれて、ありがとうございます」


 僕は席を立った。オレンジジュースは半分ほど残っていた。他に話を聞いてくれる人を探さなくてはならない。


「まちな、ボウズ」


 いきなりバーのマスターがオレンジを投げてきた。何とかうまくキャッチできたが、いきなり何をするのだ。


「そいつを土産にやるよ。太陽の光をたっぷり浴びて育った、無農薬有機栽培のオレンジだ。ハードボイルドなお前に相応しいぜ。お前のハートは、熱く燃えている。お前には、海の男の素質があるぜ」


 何やらかっこいいことを言ってるが、素直に喜べない僕がいる。オレンジを齧りながら船の甲板に向かう。そこなら大勢の乗客がいるはずだ。こうなったら直接、乗客に話を聞いてもらうしかない。


           〈4〉


「あの、話を聞いて下さい!」


「何コイツ、キモイんですけど」 


色んな人に声を掛けるが無視される。まあ確かにキモイ恰好をしているから仕方ない。が、ここで挫ける訳にはいかない。人命がかかっているのだ。恥を捨てろ。僕。


「船が沈むんです。今からボートで逃げれば間に合います」


大声で甲板にいる人全員に聞こえるように言ってみるが、まるで反応がない。僕を見てクスクス笑う家族やカップルがチラホラいるだけで、他の人は完全に僕の存在をスル―しているといってもいいだろう。どうして話を聞いてくれないのだ。皆の命が助かるのに。今逃げれば、誰も死なずに済むのに。どうして沈むと分かっている船の上で、のんびりお喋りを楽しんだり、キャビアを食べたり、イルカのウォッチングに夢中になったり、船内の小さなプールでのんびり浮き輪の上でお昼寝したりできるのだ。お願いだ。一人でもいい。早くこの船から脱出してくれ。


「少年よ、何を切羽詰った顔をしているのかね」


 ふと、恰幅のいいスーツ姿の小太りの男性に声をかけられた。手元に何か食べ物をもっている。パンの上に、テリーヌのようなものが塗ってある。


「ほっほ。このパンが気になるかね。これはフォアグラを塗ったトーストだ。フランスから取り寄せた最高級のフォアグラをたっぷりと塗りつけてある。舌の上で溶ける脂がたまらんよ。うむ、うまい」


 その男性はうまそうにフォアグラパンとやらにかぶりついた。おそらくこの船に一室しかない最高級スイートVIPルームの客だろう。見るからに金持ちだし、着ているスーツも高そうだ。パンを立ち食いするのは明らかに下品だと思ったが、他の乗客達の中にはその男性のフォアグラパンなるものを羨ましそうに見ているものもいる。船の上でまで、高級料理に執着することはないだろうに。


「…船が沈むので逃げて下さいと皆に忠告をしてるのです。おじさんは、話を聞くつもりで、僕に声をかけたのですか?」


 少し苛立ちながら僕は言った。ネフさんとは偉い違いだ。傲慢そうな雰囲気が男性の立ち振る舞いや態度から伝わってきたが、これほど目立つ男なだけに、僕の話に乗客の注意を集めるチャンスかも知れない。実際、その男の存在感もあって、甲板の乗客の中にも、僕たち二人の様子に注目している人達もいる。


「船が沈む!うむ!それはゆゆしき事態だ!」


 男性のふざけた態度にいらつきながらも、出来るだけ冷静に僕は船が沈むことを話した。夕方には沈むきっかけが起き、夜の間には沈んでしまう。そういった経緯を出来るだけ周りの乗客のも聞こえるような大きな声で、僕はその男性にも話した。


「うむ!少年よ!君はなかなか面白い考えをもっている。そのようなユニークで独創的な感性は、この物質主義、お金第一主義、目に見えるものが全てだ主義に浸りきった現代社会において、貴重なものだろう」


 昼間からフォアグラを人前で立ち食いしてるオッサンにいわれてもなあ…。が、周りの乗客は僕らの話にうまく注目しているらしい。この変なオッサンも一応ありがたい存在ではある。


「だが少年!君は大きな勘違いをしている!君の思想の源流には、他人を自分の思い通りに動かそうという傲慢さが!あるのだ!」


 オッサンはいきなり懐から高級そうなブランデーを取り出すと、一気に飲み干した。乗客の中からおーという声とチラホラと拍手が上がった。詳しくは分からないが、どうやら相当アルコール度数が高そうだ。ネフさんと違い、オッサンは早くも酔いが回ったようで、赤面してるし、足元もふらついてきている。が、意識ははっきりしているようだ。僕は何やら説教されそうだが、ここは我慢して聞き流すしかない。少しでも、乗客の注意を集めたい。


「少年!君は乗客を助けたくて避難を勧めているのではあるまい!大勢の人の命を助けたとテレビや新聞やネットで称賛されたいのだろう?そのことで沢山の人にチヤホヤされたいのだろう?自分を立派なことをした善人と思いたいのだろう?極めて偽善的で、かつ傲慢で、不誠実だ。君のような人間は友達も少なく、その性根の卑しさを見抜かれて、女の子にも相手にされまい。見給え、乗客のなかにいる女性は皆君のことを侮蔑する目で見ている。だが私は違う。心が広いからね。君のように少し頭のおかしい少年の話も聞く。聞いた上で的確なアドバイスをする。私は優しいからね。弱者を思いやる慈しむ優しい気持ちを私はもっている。だから君にも声をかけたし、君の話も聞いた。一方君の優しさは違う。自分の名誉のために出鱈目な嘘はつくが、そこに本当の優しさはない。船が沈むだって?だったら周りの人に気付かれないように、その危険因子を排除するなり、船の危険な部分を修理するなりしたまえ。いい男は、黙って行動するものだ。そして行動は、本当に力のある男がとるものだ。本当の優しさは、力から生まれる。いいかね?強さとは優しさだ。強さのない人間の優しさなど偽善でしかない。私には強さがある。学歴もあるし、金もある。自慢じゃないが、ゴルフの大会で優勝したこともある。つまり、運動神経もいい。それから、美女と結婚しており、総合的な社会的地位が非常に高い。わかるかね少年。これこそが強さだ。そして、真の優しさなのだ。君は見た所、ファッションセンスもなく、貧乏そうだ、頭も悪そうだし、運動神経も悪そうだ。多少ユーモラスな感性を持ち合わせているようだが、それを表現する手段を持たない。なぜって?力がないからだよ」


 …ひどい言われようだが、僕は何も言い返すことが出来ない。この男の言ってることの中には真実もある。といっても、殆どはかなり乱暴な屁理屈にも思えるが…。それより問題はこの話を乗客が感心しながら聞いているという事実だ。ここでこの男の正論を多少含んだそれっぽい屁理屈に言いくるめられると、他の乗客を説得することまで絶望的になってしまう。それだけは避けたい。


「おっしゃりたいことは分からないでもないです。でも例え乗客全員が僕の忠告で避難したとしても、陸地へ帰れば僕はその説明を求められ、うまく説明できずに旅行会社や船の従業員から文句を言われ、いくばくかの損害賠償を求められ、ブタ箱にぶち込まれるでしょう。『オオカミ少年、豪華客船でパニックを起こす』とでも新聞記事の見出しにでっかく書かれるかも知れません。頭のおかしいやつとして報道され、おそらくこの船の誰からも感謝されないでしょう。事実この船で僕はすでに、大勢の人からそう思われているでしょう。つまり僕にとって、乗客が逃げようが逃げまいが、僕個人の名誉や称賛などないに等しいのです。何も得をしないのにこうして逃げるように言うのは、それでもやはり大勢の人の命が助かって欲しいからです。それは損得勘定を超えた僕自身の本当の気持ちです。それこそ、優しさなどではありません。自然に出てきた、素直な気持ちに従って行動しているだけです」


「笑止!」


 ちょっとは言い返せたかなと思っていたら、オッサンは僕の話をいきなり大きな声で静止してきた。そしてまたもや懐からブランデーを取り出すと、一気に飲み干した。さっきよりも苦しそうな様子だが、やはりまだ意識ははっきりしている。その眼は、確かに、僕に対する敵意に満ちていた。こんな所でケンカ腰にならないで欲しい。僕は決して暇つぶしにこんな論争をしている訳ではないのに。


「少年!君の話は一見それらしい!だが私はそんな口先だけのテクニックに騙されたりはしない」


 だからブーメランになってるというのに…。


「優しさとは力だ!話は変わるが私は最近、空手道場やボクシングジムに通うのが趣味でね。どちらも年会費が百万ほどと少し割高だが、一流のアスリートが丁寧に教えてくれる」


 バキィ


 いきなり、腹に凄まじい重圧を感じた。オッサンのこぶしだ。僕のみぞおちにめり込んでいる。息が苦しい。


「か…は…」


 口に手を当てると、手のひらに赤い血がべったりとついていた。殴られて吐血することは実際にあるのだなと妙に納得する。無論、うれしくなど全くないのだが…。


「一流のアスリートの指導で、こうして君のような卑怯な悪人を懲らしめる術を身に着けたというわけだ。素晴らしいじゃないか。最高の見世物だと思わんかね?きっと乗客も楽しんでくれる。感じ給へ私の拳を。愚かで弱い君への愛に満ちた美しく重いこの拳を」

 

 ドカッ!バキィ!

 

 続けざまにオッサンの拳が襲ってきた。蹴られることもあった。痛い。凄まじく痛いが、痛いと叫ぶ余裕も、やめろと抵抗する余裕もない。顔を、頭を、腹を、背中を、足元を、何度も何度も殴られ、蹴られた。ぼくは立てなくなり甲板の床にうずくまった。


「ふう…少しすっきりした。見給へ乗客の様子を。誰も君を助けようとはしない。これが君の人望のなさと不誠実さをよく表している」


 確かに乗客の目は僕への暴行を楽しんでるように見えた。止めようとする人は一人もいなかった。おっさんが怖かったから止めなかったのだろうか。それとも、楽しい見世物が終わるのがもったいなくて止めなかったのだろうか。いずれにせよ、冷たいものだ。


「船は沈まんよ。君の愚かな妄想は実現しない。君がヒーローになることもない。ヒーローになりたければ、勉強するなり、スポーツをするなり、友達を沢山作るなり、恋愛をするなり何らかの努力をし給へ。地道な努力を通して、私のようなヒーローになりなさい。乗客の皆さん!私の勇敢な正義の鉄槌に!どうか盛大な拍手をお願いします!」


 そして大勢の乗客がオッサンに拍手をした。もうダメだ。この船で沈む人達を助けることは出来ない。僕がいくら助けようとしてどうしようもない。


 諦めるしかない。僕には、何も出来ない。


 ふと海に目をやると、太陽が水平線の彼方に沈みかけていた。


           〈5〉


 欄干から海水面に目をやると、もの凄い数のウミガメがこの船に迫ってきているのが見えた。迫ってきたかと思うと、もう船のすぐ近くまで来ていた。そしていきなり、船の底にタックルしてきた。次から次へとタックルしている。鉄で出来た船の底に、あんな風に体当たりして大丈夫か?と思ったが、ウミガメ達は、狂ったように集団タックルを続けた。少しずつだが、船の底の側面が破損していってるようだ。うそだろ?なんでウミガメの甲羅ごときで…。ふと迫りくるウミガメの一匹と目が合った。死神のような顔をしている。もちろん死神なんぞに会ったことはないが、そうとしか表現のしようがない。ウミガメは全身が真っ黒で、甲羅は鉄分でも含まれているように見えた。鉄分を含んで硬化した甲羅でタックルすれば、なるほの船の底も破損するだろう。しかし、鉄分を含んだ甲羅など重くて泳げないのでなないだろうか?その分、筋肉が発達していたり、浮き袋みたいなものがあったりするのかな?…と、生物学的なことを考えている余裕はない。あんなウミガメ、図鑑でもテレビでも見たことが無い。まるでこの世の生き物ではなく、地獄から出張にでも来ているみたいだ。じっくり観察したり、捕獲して解剖したり、甲羅の硬さを研究でもしてみたいものだが、とりあえず今はそんな余裕はない。


 あの死神のようなウミガメが、嫌な予感の正体らしい。

 

 看板に戻って僕は大声でいった。


「ウミガメが、船に体当たりしています!死神のようなやつです。このままでは船が沈みます。どうか海面を見てください!」 


 大声で叫ぶが。誰も聞いてくれない。ウソだろ?ここまで危機が目の前に迫っているのに…これが最後のチャンスかも知れないのに…。


「うっさい黙れやガキ!」


いきなり関西弁っっぽい言葉を使う乗客の一人に罵倒された。海面を見るだけなのに、何をそこまで怒られなくてはならないのだ。


「お前さっきオッサンに負けたやろ。まずそこんとこ反省せーや。言いたく無いけど俺もお前の態度はひどいとこあると思うで?何てゆーかな、お前の態度からは謙虚さってもんが伝わってこーへんねん」


 この船は説教好きな乗客が乗り合わせる因縁でもあるのか。説教するのはいいけど、海面をちらっと見るくらいはしてくれ。夕日も綺麗だぞ。


「お前がさっきオッサンに殴られた時な?お前はオッサンに感謝するべきやってん。『ありがとう』って。でもお前言わへんかったやろ?せやからお前の声は今みんなに届いてへんのとちゃうか?」


 ああもう…今頃死神ウミガメちゃんたちが船の底に穴開けてるぞ…。


「お前が『ありがとう』って言えへんのはな?やっぱお前が生きてる中で甘えてきた所があったからやと思うよ、俺は」


 ああ、うん…そうね。そうかもね。


「そーゆー当たり前のことが出来んやつってのはな、やっぱいくら人のためとか口先では言ってもな、あかんと思うわ。俺は。そこんとこどう思う?自分?」


「…とりあえず海面を見てもらえませんか。僕の態度に気に入らない所があったなら後であやまります」


「ああもう、ちゃうって。お前全然わかってへんねん」


 関西弁の男はもたれていた欄干から離れて僕の方に向かってきた。欄干から外を向いて少し視線をに向けるだけで、世にも珍しい、そしておぞましい姿の死神ウミガメちゃん達が見られるというのに。


「お前な?さっきオッサンに殴られた時反抗的な態度とったやろ?そういう偉そうな所が、やっぱみんなムカつくんやと思うで?もっとな、素直にならんとあかんわ。お前はみんなのこと悪く思ってんのか知らんけどちゃうねん。お前の強情な態度がな?みんなをイラつかせてんねん。自分そのこと分かってる?自覚ある?」


「どうしろいうんですか」


 悪く思ってもいないし恨んでもいないからさっさとして欲しい。さっきまでとは違う。もう本当に時間がない。


「まずな、イメージすんねん。みんなと仲よーしてる自分を。一緒にお喋りしてる自分を、楽しくメシ食ってる自分を、イメージすればいいねん」


 今まで説得しようとしてきた人達にも変な所はあったが、こいつは断トツでおかしい。


「船が沈むとかな?人の命とかな?そんなことはどーでもええねん。大事なのはな。絆やねん。わかる?たぶんお前今までの人生の中で絆ってもん大事にしてきーへんかったやろ?そこが甘えてるっていってんねん。胸に手ぇ当ててちょっといっぺんよー考えてみ?絆が大事やねん。お前はそういうとこ勘違いしてんねん」


「ああ…はい…わかりました。絆が大事なんですね…」


「わかったらえーねん。俺もな、別にお前に説教しようと思ってこんなこと言っとんとちゃうなん。…っておい、どこ行くねん。まだ話の途中やぞ。絆が大事やいまゆーたやろ。…いってもたか。ホンマあかんな、あいつ…」


           〈6〉


 関西弁で説教する男を無視して向かった先は救命ボートの置いてある所。僕一人が逃げてもボートは百九十九槽余るし、別に独占して自分だけ逃げるってことにはならないだろう…。最後まで説得したかったが、もう僕の声は彼らには届かない。というかこの船、絶対不沈丸だっけ?頭のおかしい人多すぎだろ…いや、彼らから見たら、僕も頭がおかしいのかも知れないけど。もう既に船は傾き始めている。床にビー玉を転がしてみたら。きれいに転がる。死神ウミガメちゃん達の姿はもう見えない。船底に穴をあけたら、もう彼らはこの船に用はないのだろう。

 それにしても、一体彼らは何ものだったのだろう?もし悪魔の一種か何かで、僕にしかその姿が見えないのだったら、乗客の目に映らなくても不思議ではない。最も、乗客は海面に目をやることすらしなかったけど…。いや、悪魔とか霊的な存在なら、なぜ物理的に船の底を破壊することが出来たのだろう?やはりあれは本物のウミガメで、鉄を破壊するほど強靭な甲羅をもっていて、新種で、まだ見つかっていないウミガメなのか…?やっぱ一匹くらい捕まえておけばよかったな。頑張れば出来たかも知れない。

 …などと下らないことを考えている間に、ボートを水面に降ろし、脱出の準備が出来た。非常食とミネラルウォーターも少々拝借した。さんざん殴られたり、説教されたのだから。これぐらいはいいだろう。さて、さっさとこの沈みゆく絶対不沈丸からおさらばするか…。


「待って下さい」


ふと声を掛けられた。見ると。同い年くらいの黒髪ストレートに白のワンピースといういわゆる清純そうなかわいい少女がいた。


「何かな」


 僕は少し上ずった声で答えた。この非常時にいくらかわいいからと女の子相手に緊張するとは、随分呑気なものだと自虐的な思いがした。


「あの…さっきの話、本当なんですか?この船が沈むって…」


「ああ、そのことか…」


 僕は本日五度目の詳しい解説をした。死神ウミガメのエピソードも忘れずに。ついでにビー玉を使って船の傾きを実演して見せた。彼女は驚きを隠せないようだ。どうやらこの船にも、話の分かる人はいるらしい。

「そんな…まさか…沈むなんて…」


「いや、今から逃げれば充分間に合いますよ、何なら一緒に来ますか?」


 僕は海面に浮かんでいる救命ボートを指さして言った。二十人乗りのボートだ。一人が二人になった所で何も問題はあるまい。もっとも、この危機的な状況をかわいい女の子と二人で切り抜けたいと思う下心ももちろんあった。これがあれか。吊り橋効果というやつかな?まあ、それとは別に、純粋に一人でも多くの人が助かればいいなという気持ちももちろんある。


「沈むなんて…怖い…私まだ高校生なのに…青春もこれからなのに…まだまだやりたいこと沢山あるのに…沈むなんて…いやよ」


「いや、だから今からに逃げれば十分に間に合うって…」


「おかしい。わたしなにも悪いことしてないのにこんな目に遭うなんておかしいわ!神様って最低!私に何の恨みがあるの!私なりに一生懸命やってるのに最低!」


 …どうやらこの美少女も例外ではなかったらしい。今思うと、ネフさんは随分な人格者だったな。今逃げれば充分間に合うのに、なにを泣きわめく必要があるのか。


「あなた、船が沈むっていうのに平然としてられるのね!最低だわ!」


「いや、別に平然としてないけど…ってかだから、逃げようと言ってるんだけど…」


「意味わかんない!もういい!誰も私の気持ちなんて分かってくれない!だいたい私、こんな豪華客船ツアーなんか行きたくないってパパに何度も反対したわ。パパっていっつもそう。子供に金をかけるのが親の愛情だと思ってる。ママはいつもいつも勉強しろってうるさいし、友達は恋バナに名を借りた自慢話ばっかしてくるし。あたしだって結構モテんのよ?去年だって、クラスの男の子五人から告白されたし。妥協するのは嫌なの!あたしは、本気の恋愛しかしないって決めてんのよ!」


 何の話だよ。いや、この船に乗ってる人間に突っ込みは無意味であろう。恐らくは各々が自分の好きな幻想の中で生きているのだろう。それでも一応コミュニティは成り立つのだから、人間社会ってのは不思議なものだ…うまくできている。


「それで…一緒に来るんですか?来ないんですか?」


 もう僕はさっさと逃げたいのだ。


「どうして私を追い詰めるような言い方するの?…誰も、誰も私を愛してくれない。私は一人ぼっち…暗い海の底に…一人…」


 ドラマの主人公ならここで僕はあなたを愛してますよとでも言うのだろうが、そんなことをいってやる気には全くなれない。出来れば今すぐこの美少女を海に投げ入れてやりたいが、いくら非常時とはいえ、やりすぎだろう。


「きっとあなたを大切に思ってくれる人達はいますよ。お父さんだってお母さんだってお友達だって、きっとあなたを大切に思ってくれてるはずです。さ、早く逃げましょう、何なら、お母さんとお父さんも連れて」


 僕は精いっぱいの作り笑顔で彼女に手を差し伸べた。


「ごめんなさい…」


「え?」


「あなたはいい人だとは思うけど、それは、友達としてっていうか…何ていうか、男として魅力を感じないの。だから、あなたと一緒にボートには乗れません!ごめんなさい!さようなら!私のこと恨まないでね」


 意味不明な断り方をされたが、とりあえず、海に放りこんでおけばよかったかな。僕は少し後悔しながら、ボートに乗り絶対不沈丸を後にした。


          〈7〉


 あたりはすっかり暗くなっていたが、ボートには懐中電灯とコンパスが備えつけてあるので、進む方向を間違えることはない。西へ西へと進んで行けば、日本の太平洋岸のどこかにたどり着くだろう。オールはわずかな力で動かせるようになっていて、腕も殆ど疲れない。最近の救命ボートは随分ハイテクなものだと感心する。


「今頃船はどうなったろうな…」


あれだけのことがあっても、まだ船の人たちを気にかけてる自分が少し驚きだった。あの船の傾き具合から予測すると、二千人という人数がボートに乗って逃げるには、沈没までの時間はぎりぎりだろう。あの少女が皆にいって回ればあるいは何とかなってるかも知れない。いや、もうどうでもいいか。とりあえず僕は、さっさと陸地に帰ろう。帰っても戻る所は渋谷の某公園の木の下のダンボールハウスだが…。今頃は撤去されてるかな?そしたらまた作ればいいか。

 日雇いのバイトで稼いだ雑誌の懸賞に、豪華客船の太平洋周遊ツアーというのがあった。何気なく応募してみたら、なんと当選を知らせる葉書が公園に直接届けられた。葉書を受け取ったのは仲間のホームレスだったが、くすねたりせず、ちゃんと僕のためにとっておいてくれた。


「土産話の一つでも聞かせてくれよ」


 そういって彼は、僕のささやかな船旅を心から祝福してくれた。ごめんよ、あまり面白い話はできそうにない。でも、新種のウミガメを発見したかもしれない。もしかしたら、僕の名前がそのウミガメにつくかも知れない、なんてね。


            〈8〉


 船を出て五日目、陸地が見えた。


「思ったより早く着いたな…地形から察するに、あれは伊豆半島かな?」


 とりあえずボートを漕いだ。久しぶりの陸地だ。たった十日やそこら海に出ていただけなのに、やはり懐かしくそして嬉しい。伊豆なら、なんとか歩いて東京まで帰れるだろうか。僕はウキウキした気分でオールを漕いだ。砂浜に乗り上げた。帰ってきた。


「両手を挙げて動くな。動いたら撃つ!」


 いきなり何だと思う暇もなく、どこからともなく現れた警察官に僕は捕まった。気付いたら、両腕に手錠がされている。


「容疑者確保!武器は持っていないようです」


 あたり前だ。何で僕がこんな目に遭うのだ。ヘリコプターが近づいてきた。砂浜近くの駐車場に着陸し、中から警察官に連れられて一人の女の子が現れた。


「この男で間違いありませんね?」


「はい…この人です。この人が、船を沈めました」


 やはり海に放りこんでおくべきだった。あの時の美少女だ。どうやら彼女の脳内では船を沈めた犯人は僕らしい。警察も、美少女の言うことをすっかり信用しているようだ。僕を捕まえていた警察官も美少女の前で張り切りたいのか、僕の腕を掴む力が強まった。痛いよ。放せ。でも警察に連れて来られたってことは、あの船の乗客はレスキュー隊にでも助けられたのかな?だったらよかったな。


 呑気に安心しつつ、僕は警察に連行された。すぐに最高裁で裁判をやるらしい。容疑は豪華客船に対するテロ行為とのことだ。



           〈9〉


「沈みゆく船の甲板で、私は乗客の皆を落ち着かせるために、AKB48のメドレーを熱唱しました。初めは慌てふためいていた皆さんも、私の美声に徐々に冷静さを取り戻していきました。そして皆さん順序よく救命ボートに乗り込み、乗客全員の命が救われました。そこにいる偉そうなガキの企みは阻止されました」


「船長さん、あなたがAKB48のメドレーが得意なのはわかりました。被告が船長室を訪ねた時のことを、もう少し詳しく話して頂けませんか」


「裁判長、AKBの歌で大事なのは船乗り魂です。私の航海の始まりはそもそも…」


「もう結構です。次の証人を呼んで下さい。」


裁判長は船長の証人喚問にうんざりしたようだ。しかし最高裁でAKBへの愛を語るとは船長の船乗り魂も立派なものだと僕は思った。


「次…絶対不沈丸の設計者、ネフ・ビルダーさん」


 ネフさんなら僕の無実を証明してくれるはずだ。あの船の中でネフさんだけが真剣に僕の話を聞いてくれた。船が沈んで、僕の話の正しさが分かったはずだ。


「私は、非常に残念でなりません。何が彼をこのような卑劣なテロ行為にいたらしめたのでしょうか」


 え?ネフさん。何この流れ。


「彼が私のいたバーに来たのも、彼の策略だったのでしょう。彼は私に船が沈むと先に予言することで、『沈むわけがない』と逆に私を油断させるために、あのような行動をとったのです。実際私は、彼と話した後に、船が沈むわけなどないと本気で思い込んでしまいました」


 そりゃねーよネフさん…。あんまりだよ…。


「ですから私は、実際に船が沈み始めても、おかしいとは思いませんでした。いや、彼にそう思い込まされていたのです。乗客がパニックを起こし、船長がAKBの歌を熱唱するまで、船が沈んでいると理解できなかったのです…」


 遅すぎだろ。もっと早く気づけよ。


「今は彼に厳罰を望む限りです。彼には真摯に償いをしてもらいたい」


 ネフさん…いや、ネフ、お前もやっぱあの船の住人だったか。


「大変参考になる証言、ありがとうございました。被告、何か反論することはありますか?」


「…ありません…」


「では次の証人…被告が甲板で暴力行為を働こうとした所を、やむを得ず暴力で阻止したというオッサンさん」


 誰が暴力行為を働こうとしたって?てか、オッサンって名前なのか?


「少年!見下げ果てたものだな!まさか君がテロリストだったとはな!私の愛が通じなかったのかね!」


 こいつの話にはもう反応しない方がいい。言わせるだけ言わせよう。


「裁判長、勇敢な私は甲板で暴力行為を企んでいる彼に気付き、声を掛けました。『悩みがあるなら聞いてやる。どうだ、私の会社で働かないか?』とね」


 言われてねーぞ。そんなこと。


 「ところがあろうことか彼は私の話に逆上し、いきなり殴りかかってきたのです。恐らくこの私の余裕たっぷりで紳士的な態度が、彼のコンプレックスを刺激したのでしょう」


 逆上して殴りかかってきたのはオッサンの方だろ。


「確かにその話は目撃証言がありますね。続けて下さい」


 誰の証言だ。


「私はやむを得ず、愛の拳で彼を殴りました。私も辛かったのです。人を殴るなんて最低のことです。暴力はこの世で私が最も嫌うものの一つです」


 いやオッサン嬉々として僕のこと殴る蹴るしてただろ…。


「しかし、より大きな暴力を阻止するために、時として小さな暴力は止むを得ません。私は心を鬼にして彼を殴りました。が、彼の心に私の愛は届かなかったのでしょう。彼の卑劣なテロ行為を、止めるには至りませんでした…」


「オッサンさん。自分を責めることはありません」


「ありがとうございます裁判長。でも私は、自分が許せません…」


「その悔しさは、きっと裁判の結果に反映されるでしょう」


「はい。ありがとうございます。私もネフ氏と同様、彼に厳罰を望みます」


             〈10〉


「やっぱお前はあれやな、絆っちゅーもんが分かってなかったんやな」


「関西弁男さんは、被告に忠告をしたのですか?」


「裁判ちょ。ちょっとおれこいつに言ってやりたいことあるんっすわ。いいっすか」


「どうぞ」


 また意味不明な説教を始めるつもりか関西弁の男。しかし僕はあらゆる理不尽に慣れてしまったようだ。もう不快感も感じなくなってる…。


「はー…テロとかな。ホンマありえへって思うわ。俺はな。お前はどうなんか知らんけどやな」


 そうか。


「あー…もう何て言っていいか分からんわ。お前は、人としてやったらあかんことをやった。でも罪を償う方法はある。お前が奪った人の命。お前の命で償うんや」


 何もしてねーから。てか、誰も死んでねーだろ。


「死刑になるよりしゃーない。あの世で、みんなに謝り。な?」


な?じゃねーよ。


「厳罰は約束しますよ関西弁の男さん。では最後の証人…美少女さん」


 あの船には変な名前の人間が沢山いたんだな。まあいい。こいつだ。こいつが僕をテロリストにでっちあげた。じっくり話を聞かせてもらおう。


「彼はボートから船底に何らかの細工をしていました…たぶん、大穴をあけていたんだと思います」


 あんたと話したのは船の上でだっただろーが。


「私は不審に思って声をかけました。そしたら彼、私の体を、舐めまわすような目でじろじろ見てきたんです…ホントに気持ち悪かった」


 …妄想にしてもひどすぎるな。人をテロリスト呼ばわりすることの意味をこの女は分かっていない。


「彼はきっと変質者で、精神もおかしいに違いありません。このまま釈放したら必ずまた人を殺します。厳罰を望みます。死刑にして下さい」


 何で誰も死んでないのに僕は人殺し呼ばわりされるのだろう。とりあえず証人喚問は終わった。さあ僕の反撃の開始だ。理屈では誰にも負けない。見せてやる。僕のマシンガン自己弁護トークを。


「裁判長、では僕の…」


「判決。死刑。これにて閉廷!」


はい?裁判長、ちょっと…あの…。


 そして僕は死刑になった。完全に死に至るまでに多少苦しんだが、死に顔は安らかなものであったらしい。ただ一つ知りたかったのは、あのウミガメの正体だ。あ、そういえば法廷でウミガメの話くらいはしておけばよかったなあ…。まあ遅いか…。


            〈11〉


 ホームレスは共同墓地に卒塔婆を立て掛けられるくらいで、墓石など高価なものは造られないらしい。まあ、死刑囚だし、仕方ないか。


「しかし見事な働きだったなボウズ」


卒塔婆に無農薬有機栽培のオレンジを突き刺した。バチあたりとでもいうのかな。


「お察しの通り、あのウミガメは俺が地獄の海から呼び寄せたものだ。当然客の目には見えないが、不慮の事故を引き起こすくらいの念力はある」


卒塔婆にさらにオレンジを突き刺した。何個突き刺せるか試してみよう。


「船底は錆びていた…そこに地獄からの念力が加われば当然破損する。ウミガメ達の体当たりは、言ってみればパフォーマンスだ」


三つ目のオレンジを突き刺す。卒塔婆はまだ倒れない。


「先に救命ボートを全て海へ捨てておく作戦だったんだがな。お前が俺のバーに来てネフに話してることを聞いたときは本当に驚いたよ。天使様が派遣した勇者か何かかと思った」


四つ目のオレンジを突き刺す。卒塔婆は少しぐらつき始めた。が、まだ倒れない。


「俺はお前に監視されてると思って、ボートを捨てることが出来なかった。結局、俺の愚かで強欲な人間共の殺戮作戦は失敗したわけだ…」


五つめのオレンジを突き刺すと。卒塔婆は倒れた。が俺の敗北感は一向に消えない。


「音痴で傲慢な船長に頭の固い設計士。暴力好きの美食家に説教好きな男、そして被害妄想で悲劇のヒロイン気取りの美少女」


卒塔婆を掴み剣のように振り払ってみた。オレンジが墓石に飛び散る。これじゃ蟻が湧いてきそうだな…。


「あの船の乗客も乗組員も、いつも狂った連中ばかりだ。私利私欲のために他人を振り回す。傷つける。罵る。苦しめる。そのくせ自分を真面目で善人で立派な人間だと、本気で思い込んでいる」


さらに卒塔婆を剣のように振り回す。完全な中二病だな、これじゃあ…。


「随分繊細な感性をもっていたな。ボウズ。お前の嫌な予感の正体は。俺の乗客に対する殺意だよ。お前、ホームレスだったんだな。だからあんなに、俗世間に染まらない美しい霊性を持ってたんだな」


再び卒塔婆をもとの地面に突き刺す。オレンジの汁で汚れたが。許せ。


「俺の負けだよボウズ。俺は乗客を皆殺しにすることでこの世界をほんの少し綺麗に出来ると思ったが、お前の心の美しさが勝ったんだ。人の醜さに動じないお前の強さに俺は負けた。だから俺は、あの船を沈めることは出来ても、お前に守られた乗客を誰も殺すことは出来なかった」


 墓場を後にする。俺もまた帰る場所を失った。あんな腐った船のバーでも、確かな俺の居場所だったと、今にしてわかる。


 呪いは時に一つの船を沈めることもできる。だが本当の優しさを伴った祈りはまた大勢の命を救うことが出来る。俺も、祈ればよかったのだろうか。憎んだり、感情的になったりすること無しに。ただ、冷静に、人の醜さと向き合うことで。


 どうして俺はあの時オレンジをボウズにやったのだろう。お礼の気持ちだったのか?お礼?何の?まあいいか。とりあえず、新しいカクテルの調合でも考えよう。難しい複雑なことを考えるのは後でいい。俺も、ホームレスにでもなってみるかな。


             〈12〉


「うん…ここは?」

「霊界ですよ。俗にいう天国ですね」

「あなたは?」

「君の守護霊ですよ。実はかくかくしかじか…」

 僕はどうやら死んじまったらしい。バーのマスターが真犯人だという話の経緯や、地獄のウミガメやら呪いの話をしてもらった。なるほど、そんなことがあったのか。

「で、どうします?君の今回の頑張りを評価して、来世は金持ちに生まれ変わらせてやると天使様がいってますよ?」

「天使?」

「まあ私の、上司みたいなものです」

「来世ってあの来世?」

「来世は来世でしょうよ。で、どうします?」

「随分急な話ですね」

「まあここで百年ほどのんびり過ごしてからの話ですけどね」

「来世もホームレスでいいです」

「ホームレス?こんな悲劇のヒーロー人生だったのに?」

「悲劇?」

僕はふふんと守護霊に向かって笑った。

「何を言ってるんです?喜劇ですよ。人生なんてコメディです」


これにて物語は終了である。


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