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ゲシュペンスト 4

 一年前、ヨミはなたね摘みの速さだけが自慢の、何処にでもいるただの少女だった。

 剣など握ったことはなく、両親が決めた相手と結婚する未来を疑いもせず、なたねを積むだけの生活をしていたヨミの運命を変えたのは、幼馴染みローサリアだった。

 緋色の長い髪を持ち、幼い頃から利発だったローサリアは、ヨミが五歳になる頃に唐突に姿を消した。

 大人たちはローサリアの失踪を神隠しだと嘯いていたが、いくら子供でも現実は分かる。 大多数の村人は、人さらいにあったのだろうと思っていたし、ヨミも幼馴染みの身に起こった不幸に涙していた。

 もう二度と会えないと思っていたローサリアが現れたのは、遠い地の他人事だと思っていた戦争の影が、ティエンメイの地にも射し込み始めてきた頃だった。

 おとぎ話のなかで語られる聖者や英雄のように、白いドレスを着たローザリアが《理の姫》として現れた。

 ヨミははじめ、ローサリアを幽霊かなにかかと思った。人さらいに会い、売り飛ばされたか殺されたかとばかり思っていたからだ。

 なにより、本来の美貌もさることながら、なにか、得体の知れない美しさを佇むだけのローサリアに感じていた。

 当時は分からなかったが、今なら何に惹かれていたのか理解できる。

 十数年ぶりに現れたローサリアは、どうしてかは分からないが、たしかに《理の姫》だった。

 世界そのもの、命そのものとも言えるエーテルをその体の内に留める存在。

 生と死の狭間に佇む存在を、人は本能的に畏怖するものだ。

(なぜ、あたしだったの?)

 神々しいまでの美しさで人々を魅了したローサリアから、一番遠い場所にあると思っていた。

 滅びを目前にした祖国を守りたい気持ちは人一倍あると自負していても、戦場に赴く兵士たちの無事を祈るしかやれることなど無かった。

(あたしじゃなかったほうが、もっと、みんな助かったかもしれないのに)

 深い闇の中で、ヨミはもがく。

 困窮するティエンメイに《理の姫》として現れたローサリアは、力の受け手である騎士にヨミを指命した。

 かつての親友だったからなのか、《理の姫》しか分からない資質でもあると言うのか。

 ヨミが指命の理由を聞いても、ローサリアは何も語らなかった。

 何も分からないまま、ヨミは白銀の《甲冑兵》として戦場に立つしかなかった。

 ど素人でも、女だろうと子供だろうと、エーテルの甲冑は強大な力となって戦場で猛威を振るった。

 英雄と仲間は担ぐが、ただのなたね摘み女だったヨミには分からない。

 祖国を守るためには戦い続けるしかないとは分かっているが、人を殺す事実はいまだ受け容れられないでいる。

「――あたし、はっ!」

「おお、ようやっと目を覚ましたか、ヨミ」

 戦場とは少し違う、生活感を感じさせるざわめき。

 ヨミは喘ぐようにして呼吸をしながら、声のほうへ顔を向けた。  

「ヤーフさん? よかった、ご無事でしたか」

 覗き込んでくる見知った顔に、ヨミは頬を緩ませた。

 死んだ夫の師である初老の男は、ヨミにとっても心強い師であった。《甲冑兵》としての力以外は、ただの少女でしかないヨミを侮らずに適切な対応をしてくれる数少ない人物でもある。

 ヨミは一度、大きく息をついて胸中を落ち着かせると、改めて周囲を見回した。

「オルビタの連中は敗走。敗残兵を適当に処理して、村に戻ってきた。水くらいは、飲めるか?」

「一口、頂戴します」

 寝床から起き上がろうと浮かせた背中を、ヤーフが支えてくれた。

 兵士としての訓練を受けていなかったせいか《甲冑兵》として戦場をかけずり回った後は、必ずと言って良いほど寝床から起き上がれないほどに消耗する。

 ふらつくが、まだ自力で起き上がれる程度には消耗は軽度のようだ。ほっとして、緊張が緩んだヨミは、視界が半分欠けているのに気付いた。

「ヤーフさん、これ? あたし、もしかして目を?」

 顔、左半分を覆っているごわついた感触は包帯だ。

 手当を受けるほどの負傷を受けた覚えはないはず、と思案してぞくっと背筋が強ばる。

 思い出したのは、女の手だ。

 焼ける程に冷たく凍てついた、とても人の物とは思えない感触の手のひら。恐ろしさに振るえながら、ヨミは包帯の上から頬をなぞった。

「目は大丈夫だ。ただ、すこし肌が……しばらくは、そのままでいたほうがいいだろう。さあ、水を飲むんだ」

「……は、はい」

 カップに注がれた温い水を一口含んで、ゆっくりと喉に流す。

 乾いた体に染みるような感覚は、生きていることを実感させてくれるようだ。

「お前のおかげで、かなりの戦力を削れた。しばらくは、オルビタの進行の手も緩くなるだろう。今のうちに、ゆっくり休んでおきなさい」

 ヤーフの気遣いに、ヨミは口元をほころばせた。隊一番の戦力……言い方を変えれば兵器であるヨミに、年頃の少女と同じように扱ってくれる人はとても少ない。

 亡き夫が、親のように慕っていたヤーフは、ヨミにとっても親と同等の存在になっていた。

 無言の期待を、ヤーフは感じとっているはずだ。甘えるなと拒否されないのは、ヤーフもまた寄るべき家族を亡くしているからだろう。

「今回は、どうしてか体調もいいですし、休む前にローサリアに会ってきます」

「無理はするな、ヨミ」

「わかってます。あたしは、ティエンメイの最後の要ですから」

 自虐的に聞こえてしまったか、苦い表情を見せるヤーフに「大丈夫ですから」とできるだけの笑顔を向ける。

「自ら、望んで剣を取っているんですよ」

 ヤーフの唇が僅かに動くが、言葉になる前に噤まれる。溜息だけが、僅かに漏れた。

 本当に、覚悟して剣を取っているのか?

 言葉にされていたら、どうなっていただろう。何度も何度も戦場に赴いているが、人を殺すことには慣れる気がしない。

 正気のままで、いつまであれるだろうか。

 疑問は疑問のままでおいて、誤魔化しながら進むしかないのだろう。

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